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「秋田百円ラーメン伝説」再び

昨夜8時頃から当ブログのアクセス数が一時的に急上昇。アクセス解析を見ると「藪松」「藪松 ラーメン」などのサーチワードが上位が占め、「2ちゃんねる」からのアクセスも多い。

アクセス元をたどってみると大本の記事は「internews」が昨日発信した「【涙のラーメン】涙の100円ラーメン 店主ガス代が払えず新聞配達も[国内]」であった。



犬の写真は記事と無関係。

この記事が「livedoor ニュース」に配信され、さらには「2ちゃんねる」のニュース速報板にスレが立ち、そこに「秋田百円ラーメン伝説」へのリンクが貼られたという次第。

速報性のない古い話題が、なんで今頃ニュースとして流れたか疑問だったが、記事の最後に以下のような募集があった。
<涙のラーメン特集とは>
皆さんのラーメンにまつわる思い出や物語などを教えてください。当編集部にて厳選し、記事として掲載・配信いたします(掲載できない場合もありますのでご了承ください)。そのストーリーを知った読者たちは、きっと素晴らしい何かを得るに違いありません! 応募方法は近日、『涙のラーメン特集』内にてご報告いたします。掲載にあたり著作権等は当編集部に帰属いたします。あらかじめご了承ください。また、2008年12月31日までに掲載したなかから、涙のラーメン賞に輝いた物語に対してニュース内で発表するとともに、インスタントラーメン1年分を贈らせていただきます。
「応募方法は近日、『涙のラーメン特集』内にてご報告いたします」とあり署名もあるから、この記事は投稿ではなく「internews」の記者が書いたものなのだろう。

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【涙のラーメン】涙の100円ラーメン 店主ガス代が払えず新聞配達も[国内]


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秋田百円ラーメン伝説

その店にはメニューがなかった。
だから一言挨拶を交わし、少し待てば一杯百円のラーメンが出てくる。
しっかりとダシが効いたスープ、チャーシュー一枚、メンマに海苔がトッピングされ、百円とは信じられぬほどの味とボリューム。これでは売れば売るほど赤字になるのはあきらか。だから所在を聞かれてもなるべく教えたくはなかった。

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80年代の店内

「薮松」が、静かに店を閉じたのは昨年の春ころだろうか。
看板も暖簾もなかったので、そこがラーメン屋だとは気がつかぬ人も多かった。
入口には「営業中」と書かれた(裏が定休日だったか)小さな木札がぶらさがり、たったひとつの目印となっていたが、年が明けてからは木札は裏返され、休業状態が続いていたと思う。そして夏ころには、ついにその木札も取り外され、およそ五十年にわたる歴史に幕を下ろし、伝説の百円ラーメンは、ほんとうの伝説となってしまった。

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秋田市大町五丁目(旧八日町)
店の前は除雪する人もなく

大城栄松さんの「薮松食堂」は昭和三十二年開業。
ある日、三人連れの母子が一杯五十円のラーメンを三つに分けて食べるのを見て、感じるものがあった。それが百円ラーメンの原点らしい。
百円の前は八十円。それが適正価格だった頃は、暖簾も看板もあって、メニューにはカレーライスなどもある普通の食堂だったという。

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引戸の上に残された「秋田県麺類飲食環境衛生同業組合・会員之章」

百円では儲かるはずもなく、儲けるつもりもなかった。製麺所など仕入れ先の人たちも理解を示し支払いを待ってくれた。百円ラーメンを維持するために、新聞配達で生活費を稼ぐオヤジの姿は、「なるほどザ・ワールド」「所さんの笑ってコラえて」など全国ネットでも放映され、観るものに感銘を与えた。

そんな気骨あるオヤジのラーメン、最期にもう一杯食べたかったな。

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