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二〇世紀ひみつ基地

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通町名物「青井陶器店」福禄寿

青井陶器店・ポケモンGO
2016.08.12 「青井陶器店」前

秋田市通町商店街の草市にて、ポケモンGOのルアーモジュールで客寄せする「青井陶器店」の名物「福禄寿」。

青井陶器店
2003.11

福耳の部分がセメントで補修され、屋根の塗り替えのとき付けられたのか、コールタールと思われる塗料が付着。左手に持つ杖の上部は下の写真のように取り外しができ、終業時には外されているようだ。

青井陶器店
2008.07

現在は通町商店街に位置する「青井陶器店」だが、通町の拡幅工事前は大町通りに面して、入口は東を向いていた。

青井陶器店
「青井陶器店」旧店舗

大正4(1915)年創業の「青井陶器店」前に信楽焼の「福禄寿」を設置したのが、昭和13(1938)年頃というから、齢80年を重ねた文字通りの御老体。

今は路上に固定された擬岩の上にコンクリートでしっかり止められているが、移転前は石座の上にそのまま置かれ、何度かの大地震のときには、顔の向きを変えることはあっても、倒壊すること無く立ち続けてきた。

青井陶器店

大正5(1916)年 書籍広告

大町商屋館
2016.08

平成10(1998)年4月、通町の拡幅工事が完成。

「青井陶器店」は二階建て住宅兼共同店舗の角地に移転して新装オープン。その後、店内に「炭火焙煎 珈琲工房 南蛮屋 秋田大町店」を併設。

「大町商屋館」と名付けられた町家風の共同店舗には「青井陶器店」と同じく大正年間創業の電気店「トガシ電器」のほか、レストラン、ギャラリーなどが入居している。

一帯の地主が「旧金子家住宅」で知られる金子家で、新装なった通町商店街のなかで、ここだけが共同店舗になったらしい。

旧金子家住宅
2016.08

手前に「旧金子家住宅」(旧金子商店)と、「秋田市民俗芸能伝承館」をはさんで「大町商屋館」。

「旧金子家住宅」の屋根に見えるのは、防火用の雨水を貯めた「天水甕」(てんすいがめ)。それを象徴するかのように、「大町商屋館」の壁面には、備前焼らしき甕が埋め込まれている。

秋田市通町
2016.08

 

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町家の軒先に違和感・季節外れの御神灯


高堂酒店(秋田贔屓)2013.02

川反一丁目の町家「高堂酒店」旧店舗。

現在は秋田の工芸品・雑貨などを扱うデザインショップ「秋田贔屓」(あきたびいき)が入居しており、営業中は御覧のように「左巻き三つ巴紋・裏に日の丸」が印された提灯を看板代わりに下げているのだが、それを目にするたびに強い違和感をおぼえてしまう。特に雪の降り積もった冬場は。

そもそもこの提灯は、外町(とまち)の総鎮守である日吉(ひえ)八幡神社、通称「山王さん」の御神灯(ごしんとう)で、日吉八幡神社秋季大祭(山王祭)の二日間に限って(かつては春季大祭の折りも)家々の軒先に下げられるもの。

ハレの日でも無いのに、年がら年中、軒先に山王さんの御神灯を下げることは、祝日でも無いのに毎日、軒先に「日の丸」を掲揚するのと同様な、常識を外れた行為なのである。


山王祭の宵(豊島町にて) 2005.09

外町の家々に御神灯がともる光景は初秋の風物詩。

文化年間(1804〜1818)の『六郡祭事記』に、「この夜、総氏子より出す所、灯籠百千数、城下より八橋の里に到る道路、社の境内まで昼の如し」と、山王祭が久保田町(現在の秋田市中心部)を代表する祭りだった往年の、きらびやかな宵祭りの様子を伝えている。

各町内には置山と舞台が設けられ、大きな曳山が練り歩き、近在からの見物人もあわせて、深夜まで大いににぎわった秋祭りも、今では規模を縮小し、外町の一部住人だけの、さびしいものとなっている。

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関連リンク

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土崎「桝屋薬局」解体・錦絵に描かれた町家


2004.02 土崎港中央三丁目(旧加賀町)桝屋薬局


2004.02


南秋田郡土崎湊加賀町「調合所 升屋助吉」広告錦絵(明治中期)







繁栄の港町・土崎の面影を今に伝える商家・桝屋薬局が、明治初年の竣工から140余年を経た2012年5月、解体された。

過去記事「舛屋薬局・町家」へのコメントで解体を知った時は驚き、目を疑った。


2012.07 「桝屋薬局」新店舗

解体された旧店舗のスペースは駐車場となり、その奥に町家風の新店舗が完成。

文化財クラスの名物建築であった旧店舗の解体は実に残念なことだが、いまどき駐車場がなければ商売に支障をきたすことは目に見えており、古い土蔵建築での営業は色々と不便だったに違いないと、当事者の立場で思いめぐらせてみると、解体もやむを得ない。

今回の場合、秋田市通町の老舗菓子舗・高砂堂のように店舗を後方に引家するセットバック工事も可能であった。しかし、そのためには新店舗を建築する以上の大きな費用がかかる。高砂堂の場合は道路の拡張で得た保証金がそれを可能にした。



店頭の“看板のれん”に大きく染め抜かれた「一に三角に○」の家印は、本家筋にあたる那波三郎右衛門家(升屋)の家印「一に三角」に「○」が付加されたもの。そのワンポイントが「モーニング娘。」の「。」を連想させてなんだか面白い。

http://blog-imgs-18-origin.fc2.com/2/0/c/20century/20090705181824a76.gif

家印についての詳細は下記関連記事を参照のこと。

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祭り囃子が遠く聞こえる

牛島のお祭り(三皇熊野神社例大祭)の日、商店街の昭和レトロ遺産物件・牛島のババの店に、氷ののぼりが見えたので、復活かと思い近づいてみると、登町の岡崎製氷が軒先を借りて、氷と天然素材シロップにこだわった、テイクアウトかき氷を販売しているのだった。店のおばあさんの健在を確認。


09.07.12

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牛島(ひみつ基地内タグ検索)

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秋田銀行発祥の地・茶町菊ノ丁



二丁目小路(現・山王大通り)方向から北に位置する、茶町菊ノ丁・上肴町・通町を望んでいる、大正期の撮影と思われる写真。

菊ノ丁は現在の大町二丁目、ニューシティビル裏通りの、かつては名だたる豪商が建ち並んだ通り。明治十九年の俵屋火事、明治三十八年の大火で被災しているため、それ以降に建てられた店が大半を占める。

西側(左手)の洋風建築が「第四十八銀行」。明治十二年に本県初の銀行「第四十八国立銀行」として、旧士族が株主となり資本金六万円で設立された。発起人は土崎の豪商・菅礼治、初代頭取に士族の代表として横手城代・戸村義得が就任。

明治五年、明治政府はアメリカの銀行制度を手本に『国立銀行条例』を制定。この条例に基づき各地に国立銀行が設立されたが、実際は民間人が経営する私立銀行であった。「第四十八」の番号は、四十八番目に設立された国立銀行を意味する。


第四十八国立銀行五円券

国立銀行紙幣は日本ではじめて造られた洋式銅凸版印刷紙幣、一円紙幣が水兵、五円紙幣が鍛冶屋の図柄で、明治政府のお雇い外国人エドアルド・キヨソネ(イタリア・銅版画家)がデザインを担当。

各国立銀行で同じ図案だが、中央下部に「第四十八国立銀行」、その両サイドに頭取・菅礼治と支配人・山中新十郎の名が配されている。


第四十八銀行(明治三十九年竣工)

明治二十二年、「第四十八国立銀行」は、株式会社「第四十八銀行」に改組。昭和十六年、第四十八銀行、秋田銀行、湯沢銀行が合併して現在の株式会社「秋田銀行」設立。

画像の洋風建築は昭和十一年解体、新築された「第四十八銀行」が、昭和十六年から「秋田銀行」本店(現在の「赤れんが館」は大町支店)、昭和四十六年、山王に新本店が落成、本店が移転した跡をうけて「秋田銀行」大町支店となる。


昭和十二年落成、第四十八銀行(合併後に秋田銀行本店、のちに秋田銀行大町支店)

昭和五十四年、現在の大町支店(秋田第一ビルディング)落成。


秋田銀行大町支店前

その昔「第四十八銀行」の場所に住んでいたのが、荒物茶紙商「吉川惣右衛門」家。吉川家には那波三郎右衛門の五男・祐之が養子に入り繁栄を極め、隠居後は「五明」の俳号で奥羽四天王と称されるほどの俳人となる。

「第四十八銀行」北隣の町家は昭和初期頃の地図によれば「那波喜助商店」。もともとは宝暦七年の銀札事件(秋田騒動)のとき札元になった豪商「見上新右衛門」家のあった所という。安永二年にエレキテルでお馴染みの平賀源内が来藩したときには見上家が宿舎に選ばれている。

「第四十八銀行」南隣に、冠木門を構える「鈴木喜右衛門」家は、久保田藩の御用商人として質屋を営んでおり、その宅地は戦後、山王大通りの拡張で道路となった。

東側(右側)に目を移すと「中村志ちや(質屋)」と判読できる町家。手前の堰には石橋が渡されている。


中村質屋

中村三右衛門・善兵衛を代々名乗った中村家は、水戸時代の佐竹氏に出入りし、秋田に移って藩の御用商人として、土崎港、能代港の開発にあたった。見上家と同じく銀札の札元。経済学博士で東大の教授も務めた中村常次郎(M40-S55)の生家でもある。

中村質屋の数軒向こうの、ひときわ軒の深い天水甕の上がっている町家が前に書いた「三浦傳六商店」。その手前に「岡田時計店」の看板が確認できる。


右に三浦傳六商店


茶町三丁(縦文字が旧町名)


現在の旧茶町菊ノ丁 07.08

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