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二〇世紀ひみつ基地

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横町道産子ラーメン・50年目の閉店


04.02

秋田市大町六丁目「横町ビル」の、かつては深夜まで酔客でにぎわっていた「道産子ラーメン」が閉店し、店頭に「テナント募集」の看板が掲示されていた。

土崎の有名ラーメン店「白樺」と同じく、札幌西山製麺の麺を使う店で、今年で創業50周年というから、昭和35年(1960)の開業。その頃はまだ「横町ビル」はなく、札幌ラーメンブームの前なので、最初は店名も異なっていた可能性もあるが、いずれにしろ秋田市内における札幌ラーメン店の元祖だったのではないだろうか。


04.02

西山ラーメンの黄色いミニのれんの前に「目標 平成22年 横町道産子ラーメン 50周年記念達成」のプレート。50年という目標を達成し、区切りを付けての廃業だったのか。


08.10


10.05

同地で営業していた呉服店「金忠」が、昭和44年(1969)鉄筋コンクリート三階建ての飲食ビル「横町ビル」を建設。当時の秋田市内はビル建築ラッシュで、飲食ビルに限って例をあげれば、先頃リニューアルオープンした「仲小路ビル」、大町二丁目の今は無き「竹谷ビル」(秋田新名店街)がこの年に竣工している。

「横町ビル」の薄暗き異界への通路を奥へと歩を進めると、川反六丁目のソープランド街へ“通り抜けれ升”。


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百七年目の「自転車百哩大競走」復刻版


新聞広告 明治三十五年

明治35年9月21日、秋田市下肴町のハイカラ商店・大島商会の主催により開催された、県内初の本格的ロードレースと思われる「自転車百哩(マイル)大競走」から100余年の歳月が流れた、平成21年9月21日の早朝、今も同地に残る旧大島商会の前に一台の自転車の姿があった。

車上の人は当ブログの「自転車百哩大競走・大島商会主催」を読んで感銘をうけ、数ヶ月前にそのレースの再現を決意し、この日のために準備を進めてきたチャリンジャーさん。

平成21年9月21日「自転車百哩大競走」

100余年前は舗装も整備もされていない悪路がつづくコースにくわえ、あいにくの雨天、自転車の性能も今とは格段に違う。好天に恵まれたコースを完走したチャリンジャーさんは、過酷なレースにチャレンジした当時の参加者の“凄さ”を常に感じながらの走行だったとブログで語っている。

明治の世に百哩大競走を企画した大島商会店主・大嶋勘六氏をはじめ、9人のレース参加者たちも彼の世から、秋風をうけて往時と同じコースを颯爽と走るその姿を、目を細めて見守っていたのではなかろうか。



この(2009)6月6日にはおなじく大島商会主催の「自転車遠乗会」、そして今回の「百哩大競走」と、今年は当ブログのエントリーに誘発された、21世紀版復刻企画がつづいた。

それらのエントリーが心を動かし、復刻企画を実行するきっかけになったのであれば、こんなブログでも存在する価値が幾分はあったということで、書き手としては正直うれしい。

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関連リンク

そよ風と一緒に♪ : 平成の「自転車百哩大競走」 2009年9月21日
そよ風と一緒に♪ : 秋田で最初の自転車レース!?
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マイテーとは何か?・大島商会の不思議広告



大正元年の秋、秋田魁新報三面に、「マイテー 何か」という、謎の文面の一段広告が掲載され、それから十四日のあいだ、その不可解な広告が延々とつづく。はたして「マイテー」の正体はいかに。






ナポレオンは マイテー人物(マン)
大日本帝国は マイテー邦国(カントリー)
英京倫敦は マイテー都市(シテー)

埃及金字塔は マイテー遺物(ニユメント)
日本富士山は マイテー山嶽(マウンテン)
さて其の次のマイテーは?
最初の掲載から十五日目、皆様ながらくお待たせしました、ようやく「マイテー」の正体を明かす謎解き広告が・・・・・・。



その正体は、秋田市下肴町に煉瓦造りのモダン店舗を構える大島商会特製の「マイテー靴」。

「特色は如何(いかん)」と、また翌日へと広告はつづき、半月にも及ぶ連載広告は完結を迎えた。


靴の需要増加と共に徒に外見を飾れる粗製濫造品の多きに鑑み特約工場を東京に設置し厳重なる監督の下に欧米の最新方式に則り製作せしめたるもの是れ即ち特製マイテー靴なり堅牢にして持久力に富み全くマイテーの名に反かず而も実用を主とせるが故に価格の低廉なる多く他に類を見ず。一度び使用せられなれば二たぴ三たび否な永久にマイテー靴を忘れ給う能わざらむ
明治の創業時から広告を重視した大島商会は、秋田市手形出身の人気文筆家で文明批評家の青柳有美を顧問として迎え、当時としては斬新な経営と広告を展開。この「マイテー靴」のアイデア広告を考案し、広告文を書いたのも青柳有美ではないだろうか。

謎かけの惹句を仕掛け、数日後に謎解き広告を載せる、このようなタイムラグ広告は、せわしなく情報があふれかえり、埋もれるスピードも早い現代では考えられない、ゆるやかなる時代の広告表現といえよう。


旧大島商会店舗 正面入口の石積アーチと要石が重厚にして優美

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自転車百哩大競走・大島商会主催

秋田市下肴町に大島商会が創業して間もない明治三十五年(1902)の秋、大嶋勘六氏の企画により、自転車の普及宣伝を兼ねた「自転車百哩大競走」なるイベントが開催された。


新聞広告 明治三十五年

秋田市を早朝に出発、本荘、浅舞、横手、六郷、大曲を経て秋田市に帰着する、延長百二十哩(マイル)約193.1 kmの走行コース。

賞品として、一着・金側懐中時計、二着・銀側懐中時計、三着・秋田八丈一反、四着から十着・木綿反物一反が用意され、参加できる自転車として、英米製の舶来自転車主要メーカーの名前が並ぶ。まだ国産自転車は性能が低く、輸入車が主流だった。

当時、自転車を所有することができるのは、資産家か地元の名士など一部の富裕層のみ。自転車がステータスシンボルであり、また贅沢な娯楽・スポーツであった時代である。

九月二十一日の大会当日、あいにくの雨模様の中、集まった参加者は九名、午前五時三十五分スタートの号砲が鳴る。

結果およびタイムは以下の通り。

一着・三森定治氏、午後三時四分着
二着・鈴木忠治氏、午後四時二十五分着
三着・小野周八氏、午後四時二十七分着
四着・伊藤徳松氏、午後五時三十五分着

その他の出場者は午後六時までの制限時間をオーバーするため、大曲で中止したという。当時の自転車の性能と乗り心地、未舗装の道路などの条件を考えると、出場したアマチュア選手にとって、相当過酷なレースだったことが想像できる。

日本で最初の自転車競走が開催されたのが明治三十年前後、これは短距離レースだったようだが、それから五年後に大島商会が開催した百哩競走は、秋田県に於けるロードレースの嚆矢であり、全国的にみても早い時期に開催された長距離レースだったのではないだろうか。

明治期に県内初の煉瓦商店を建て、列車を利用したサイクリング大会、ロードレース、さらにはミステリートレインなどの、当時としては画期的かつ独創的なイベントを企画開催した、大島商会店主、大嶋勘六氏の先進性と行動力には目を見はるものがある。

※明治大正期の広告等の店名は「大嶋」と「大島」が混在し「大嶋」のほうが多いが、登録有形文化財の登録名は「旧大島商会店舗」であり、文献も「大島」としているものがほとんどなので、表記は「大島商会」に統一した。

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