二〇世紀ひみつ基地

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そば屋の支那そば「千秋麺」横町で〆の一杯



秋田市の老舗製麺所「ヤマヨ」から、横町通り「そば処・紀文」の人気メニュー「千秋麺」新発売。

昭和41年の創業当時から、川反帰りの酔客に“〆の一杯”として親しまれてきた、極細の卵麺にあっさりとした醤油スープがからむ「千秋麺」は、ラーメンというよりも、“支那そば”と呼ぶにふさわしい、昔なつかしの風味。



パッケージに写るノレンに「わんこそば」とあるように、初期の「紀文」は、秋田で唯一、本場盛岡式「わんこそば」が食べられる店として話題をあつめた。

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関連リンク

そば処 紀文 きぶん - 秋田/そば [食べログ]
[秋田]そば処 紀文|文藝春秋|雑誌 [web連載]|オール読物|「居酒屋おくのほそ道」

秋田麺の匠 ヤマヨネットショップ/秋田のご当地ラーメン・そば通販

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| 食材・食文化 | 18:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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横町のモダン理髪店跡・レトロ看板建築


2005.11

商店と飲食店が並び、往時は買い物客でにぎわった商店街、秋田市横町通り(五丁目小路)に建つ端正な看板建築、旧「石田理髪店」。一階部分は店舗用に大幅に改装され旧態を失ってしまった。

昭和四年十月の『秋田魁新報』に「横町の石田理髪店新築」の記事あり。大理石の洗髪台や舶来の鏡を設置した、内外装を凝らしたモダンな床屋であった。

明治三十年代に間近の本町五丁目で開業したようで、明治三十八年刊行の『秋田市営業家明細案内』の本町五丁目(現・大町五丁目)の項に「衛生理髪所 石田床」の名がみえる。


2005.11

関東大震災後、昭和初期に流行した店舗兼住宅・二階建ての看板建築は、突起のない平坦な造りのファサード(建物正面)に左右対称の装飾を施しているのが特徴。

古代ギリシア・ローマ建築を起源とするペディメント(三角形の装飾)をあしらった、ルネサンス様式の窓。屋根板の下と両角の柱にも、左官職人が腕をふるった装飾ががある。


2006.09

ガラス部分が庇(ひさし)のように上方に開くことで、雨の吹き込みを防ぎ、天候にかかわらず通風を確保することができる、縦二連の「滑り出し窓」は、突起のない看板建築に有効な構造。

中央部に店名を記した文字看板があったことを物語る、点々と残る釘跡と文字の形跡。その上に看板を照らしていたランプの残骸。


石川書店・大正十年頃

旧「石田理髪店」と同じ設計者が手がけたものか、大町二丁目の「石川書店」旧店舗に、同じ様式の窓が使われていた。


石川書店・大正十年頃


2008.06

昭和モダン建築と伝統的土蔵建築のコントラストが印象的な屋並も、五丁目小路の道路拡幅(都市計画道路・川尻広面線)のため、いずれ消滅する運命にある。

今(2010)から二十年ほど前、旧理髪店の一階部分を改装、西隣に建つ蔵との隙間で営業していた「木村商店」が入居するが、平成二十一年の暮れに明け渡された。

西隣の蔵を改装した家電販売店「マルシバデンキ」が現役の時代、蔵の外観は看板とアーケードに隠れていた。その後はラーメン屋など数店が入居、現在は蔵のおもむきを活用した、イタリア料理を提供するしゃれた居酒屋となっている。




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旧・マルシバデンキ

| 散歩写真・路上観察 | 21:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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消えた昭和の灯・横町“すきま店”の終焉


2010.11

最近は夕刻から店を開く横町の木村商店のシャッターが降ろされたまま、閉店時も外に出ていた年季の入った陳列台も撤去されていた。気になって近所の人に尋ねたら、木村のおばあちゃんは至って元気だが、販売不振を理由に先ごろ店を畳んでしまったという。


2003.07

裸電球のもと、果物・菓子・おにぎり・パン・弁当などが所狭しと並ぶ小さな店。横町の名物店であった、24時間営業の木村商店のことを、僕らは「すき間みせ」と呼んでいた。

病弱な夫に代わって家族を支えるため、理容店と蔵のあいだのすき間(画像右手部分)を借りて、小さな露店を開いたのは戦後まもなくの頃。当初は深夜まで営業したわけではなく、売れないために店を開けていたら、次第に閉める時間が遅くなったというが、それが功を奏した。

ほとんどの商店が夕方には店を閉め、深夜営業のコンビニなどあるはずもない時代。夜遅くまで営業する小さな露店は、徐々に川反で働く人たちに知れ渡り、深夜になると仕事帰りのホステスや従業員、タクシーの運転手らがひっきりなしに訪れるように。ホステスへの差し入れに使うのか、高級メロンの箱がいつも棚の上に鎮座していた。


2005.10 バナナとスルメがいつもあった店頭


2005.11

やがて、夜から早朝までおばさんが店に立ち、昼は息子さんたちと交代する24時間営業体制に。70年代の最盛期には一日の売上げが30万円になったこともあり、中央の雑誌やテレビの情報番組で「日本でいちばん坪単価の売上げが高い店」として取り上げられたこともあったが、その後のコンビニの普及が影響して客足が遠のき始める。


2008.05


2009.04

今(2010)から二十年ほど前、隣接した旧理容店の一階を借り、壁を取り払って店舗を拡張するが、夕方から一人で店を切り盛りしていた最近は売上げも激減。昨年の暮れ、借りていた隣地を明け渡し、戦後間もない当初の小さな“すきま店”に回帰してから約一年後の静かな終焉であった。

数年前の新聞記事で、この店を「死ぬまでつづけたい」と語っていた、もうすぐ卒寿(90歳)を迎えるおばあちゃんにとって、人生を共に歩んだこの店を閉じることは、とてもつらい決断であったに違いない。永いあいだお疲れさまでした。

店の灯は消えても、裸電球の灯る横町の小さな店の想い出は、幾星霜、川反界隈を往き交った多くの人々の心に、いつまでも灯りつづけて消えはしない。


2009.08


2009.08


2009.12 最後は“すきま店”に回帰


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横町道産子ラーメン・50年目の閉店


04.02

秋田市大町六丁目「横町ビル」の、かつては深夜まで酔客でにぎわっていた「道産子ラーメン」が閉店し、店頭に「テナント募集」の看板が掲示されていた。

土崎の有名ラーメン店「白樺」と同じく、札幌西山製麺の麺を使う店で、今年で創業50周年というから、昭和35年(1960)の開業。その頃はまだ「横町ビル」はなく、札幌ラーメンブームの前なので、最初は店名も異なっていた可能性もあるが、いずれにしろ秋田市内における札幌ラーメン店の元祖だったのではないだろうか。


04.02

西山ラーメンの黄色いミニのれんの前に「目標 平成22年 横町道産子ラーメン 50周年記念達成」のプレート。50年という目標を達成し、区切りを付けての廃業だったのか。


08.10


10.05

同地で営業していた呉服店「金忠」が、昭和44年(1969)鉄筋コンクリート三階建ての飲食ビル「横町ビル」を建設。当時の秋田市内はビル建築ラッシュで、飲食ビルに限って例をあげれば、先頃リニューアルオープンした「仲小路ビル」、大町二丁目の今は無き「竹谷ビル」(秋田新名店街)がこの年に竣工している。

「横町ビル」の薄暗き異界への通路を奥へと歩を進めると、川反六丁目のソープランド街へ“通り抜けれ升”。


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