二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

≫ EDIT

牛島橋たもと「後藤商店」(後藤書店) レトロ建築

▼旧「後藤商店」(後藤書店) 店舗改修

牛島橋通り・悟道商店
▲2018.09

2018年9月下旬、川のない橋・牛島橋たもと「秋田牛島郵便局」向かいのレトロ建築「後藤商店」が小綺麗に改修されていた。

今(2018)から40年ほど前に書店を廃業、やがて住む人もいなくなり、貸家か売家となっていた物件。最近入居者が見つかり、どんな店になるのか不明だが、いずれは新規オープンの予定とのこと。

いつ解体されてもおかしくない懐かしい建物に、新たな息が吹き込まれて復活するのがうれしい。

▼大正創業の洋品店「後藤商店」

牛島橋通り・悟道商店
▲2008.11

装飾性を最小限にとどめたシンプルなモダニズム的建築。両側にショーウィンドウを配した左右対称の一階に対して、二階の窓を非対称に配することで、単調なファサードにアクセントを添える。

かつては屋上に背の低い木製の柵を巡らせていた箱形建造物の後方にL字型の住宅が附属する。

牛島橋通り・悟道商店
▲2008.11

リベット状の装飾がある重厚なエントランス柱に対して、二方向の角度に展開する扉と引き戸。引き戸はアルミサッシに改造されているが扉は木製のまま。

もともとは石積み建築を模した灰色の壁面だったものを、後年ペンキで塗装したため、かつてのシックな風合いは失われた。

牛島橋通り・悟道商店
▲2008.11

右から左に向かって読む、戦前の横書きで「ごとう商店」と浮き出した文字も端正。「ご」は漢字の「古」を元にした変体仮名。

当方が記憶している昭和30年代から40年代は「後藤書店」として営業していたが、後年になってその建物を見ると、両側にショーウィンドウを配した店構えはどう見ても書店らしくない。それもそのはず「後藤商店」はもともと、大正時代に開業した洋品店であった。

もうすぐ大正が終わらんとする1926(大正15)年4月に発行された『全国職業別明細図 秋田市版』(帝国交通社編纂) で付近を見ると・・・。

牛島橋通り・悟道商店
▲『全国職業別明細図 秋田市版』より牛島橋界隈

河川改修前の蛇行する太平川が流れる牛島橋のたもと、赤丸でマーキングした店の名は「浅藤洋品」。職業別に店名が並ぶ地図の裏面には「浅藤洋品店」とある。浅藤という姓は東北には稀で、秋田では聞いたことがない。

これは版下職人が「後」の文字を字形の似た「浅」と誤読して記入したもの。原稿の文字がよほど達筆だったのか、この残念な仕上がりに、御主人の浅藤ならぬ後藤さんも、さぞかしガッカリしたことだろう。

昭和初期の『帝国信用録』(帝国興信所 編) には、主人の氏名につづいて「小間物 秋田 牛島町 開業年月 大正10年」とある。店名は記されていない。

「小間物屋」とは、化粧用の紅(べに)・白粉(おしろい)・手鏡・かんざし・櫛・扇子・楊枝(ようじ)など日本古来の主に婦人雑貨を商った店。“こまごま”とした小さな雑貨を扱うため「小間物(こまもの)屋」という。

明治に入って「小間物屋」がアクセサリー・ハンドバッグ・スカーフなど、西洋風の商品を扱う比率が増えるに従い「洋品店」とも呼ばれるようになり、やがて「小間物屋」という呼称は死語に。

後藤商店

大正期の建造とおぼしき「後藤商店」をあらためて眺めると、いかにも洋品店らしい店構え。その昔、店頭に足を止め、ショーウィンドウに飾られた商品を見つめる女性の後ろ姿が目に浮かぶようだ。

牛島橋通り・悟道商店
▲牛島橋跡と後藤商店 2015.10

界隈の街並はすっかり変わってしまったが「秋田牛島郵便局」前から牛島橋跡と「後藤商店」を眺めた光景は往時の面影を良く残し、たそがれ時に足を止めると、一瞬にしてタイムマシンで少年時代に帰ったような錯覚に陥る。

1964(昭和39)年に開催された東京オリンピックの聖火は牛島橋で引き継がれ、ランナー達は白煙を残し、牛島商店街を東京を目指して南下して行った。その時のことはいつか改めて記事にしたい。


▼「後藤商店」周辺今昔・河川改修と住居表示変更

牛島橋通り・悟道商店

上掲の明細図を少し解説。河川改修前の蛇行した太平川に架かる牛島橋の手前が秋田市楢山牛島橋通町。街区の境界線である川に架かる牛島橋を渡ると河辺郡牛島町に入る。「後藤商店」の向かい、現在の「宮川医院」(数年前に閉院)の地に「河辺郡役所」がある。

1924(大正13)年4月、河辺郡牛島町は秋田市に編入されるが、明細図が出版された1926(大正15)年まで、引き継ぎのために「河辺郡役所」が置かれていた。

個人経営の味噌・醤油の醸造所が、この範囲だけで三軒。右端に「生産米検査所」。牛島町近辺は米作農家や米屋が多い米穀の集散地であった。

「後藤洋品店」南隣に「佐々木薬房店」「柴田呉服店」。

1966(昭和41)年の住宅地図では「後藤書店」(後藤商店) の南隣に「美容室リボン」「理容サガ」1軒おいて銭湯「牛の湯」と環境衛生営業施設が並び、南進して太平川橋を渡ってすぐの左角、現在の「猪田(いだ)提灯店」の場所に貸本屋・紙芝居屋の「牛島文庫」が存在した。

秋田牛島郵便局
▲牛島橋跡から牛島郵便局・太平川橋を望む 2018.11

左から「宮川医院」(河辺郡役所跡) 「秋田牛島郵便局」。太平川橋を渡った地点に牛島商店街のネオン。

数年前から、夜になると「宮川医院」前に軽トラのラーメン屋台が出没する。

牛島商店街
▲太平川橋から牛島商店街を望む 2018.11

太平川橋を渡った左手に「猪田提灯店」(牛島文庫 跡)。

竿燈提灯で知られる大正末期創業の「猪田提灯店」は現在地に移転する前、太平川の斜め対岸、楢山共和町の川沿いにあって、土手沿いに干された提灯や、職人のおばあさんが提灯を造る姿をかすかに覚えている。


▲「後藤商店」界隈

牛島橋跡をはさんで蛇行する緑地帯が、太平川の旧河道。赤いピンが「後藤商店」の位置。

終戦後、洪水対策のために新河道が完成したあと、昭和30年代に旧河道は埋め立てられる。新河道の堀替で出た土砂が埋め立てに使われたほか、1957(昭和32)年8月の火災で大半が焼失した土手長町の秋田県庁舎の廃材も埋められたという。

埋め立て完了後、旧河道は児童公園となるが、緑地の大半は水捌けが悪く、歩くとぬかるむ。巻末に関連記事へのリンクあり。

牛島橋 太平川河川改修 太平川橋

河川改修のため南側に新河道が通水、太平川橋が新設されたことにより牛島町が分断された。

街区の境界線である河道が変わったことで、ショート・カットされた太平川の北側、牛島町の北端部はやがて楢山に編入。

1967(昭和42)年の住居表示変更後、秋田市牛島町の「後藤商店」は秋田市楢山共和町に、同じく牛島町の「秋田牛島郵便局」は秋田市楢山本町と変更され、局名は「秋田牛島郵便局」でありながら、牛島ではなく楢山に所在するという矛盾が生じることとなる。

| 秋田市今昔 | 08:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

秋田駅前「加賀谷書店本店」跡に「和民」オープン


JAPANESE DINING「和民」秋田駅前店 2013.02

平成25年(2013)2月6日、秋田駅前「加賀谷書店本店」跡に、居酒屋「和民」オープン。秋田駅前店は秋田県内第一号店となる。


「加賀谷書店本店」2012.10


「加賀谷書店本店」2012.10


「加賀谷書店本店」2012.10

平成19年(2007)秋田フォーラス(旧なかよしビル)6・7階に「ジュンク堂」オープン。
平成23年(2011)フォンテAKITA(旧イトーヨーカ堂)5階フロアに「宮脇書店」オープン。

相次ぐ全国チェーン店の秋田駅前進出に打撃を受けた「加賀谷書店本店」は、平成24年(2012)11月7日閉店、60年の歴史に幕を下ろした。最盛期は市内に7店舗を展開したが現在は東通店・茨島店の2店に縮小。

昭和23年(1948)「加賀谷書店」創業者の加賀谷豊治氏は、古書同好の文学青年たちと共同出費、「木内百貨店」内に古書店を開業。紙不足で新刊書の出版が難しく、国民が活字に飢えていた時代であった。

昭和28年(1953)秋田市久保田町の十七連隊跡地に「加賀谷書店」開業。今にすれば小さな店だが、当時は県内一の売り場面積を誇っていた。

関連記事
二〇世紀ひみつ基地 歩兵第十七連隊・秋田駅前

昭和40年代から秋田関連の重要書籍を次々と出版。

企画・出版物の一部
『新編佐竹氏系図』加賀谷書店 1973
『秋田沿革史大成』加賀谷書店 1973
『秋田書画人伝』加賀谷書店 1975
『勝平得之全版画集』講談社 1975
『秋田県史』加賀谷書店 1977
『平福百穂画集』集英社 1978
『在県秋田の美術と文化』学習研究社 1982

昭和47年(1972)隣接した広小路側の土地を取得、店舗を拡張してリニューアルオープン。


昭和47年(1972)新聞広告より(見開き広告の中央上部)

見開き2面にわたり主要出版社の書籍広告がずらりと並ぶ。


昭和47年(1972)新聞広告より

宝飾の「竹谷本店」と婦人服「平徳本店」の間が増築部分。それ以前この場所に「菅長駅前電化ストア」があった。

「加賀谷書店事務所」とあるのが「加賀谷書店」初期店舗。その北隣が「オノ時計店」。この区画に今は「秋田ビューホテル」が建つ。

「加賀谷書店事務所」南隣には「エルザ」「それいゆ」と、二つの喫茶店がならび、コーヒーを飲みながら買ったばかりの本を読むのが定番コースであった。喫茶「それいゆ」の跡に「リーガルシューズ」が入ったのは70年代後半の頃。

「加賀谷書店」の向かいにあった「文具のイトウ」が実際よりも西側に描かれているが、ずいぶん長いあいだ空き地(駐車場)になっていたその跡地に、平成24年(2012)12月、居酒屋「寧々家 秋田駅前店」オープン。


2013.02

看板建築的店舗の後方に廃墟化して久しい「ホテルハワイ駅前店」。

関連記事
二〇世紀ひみつ基地秋田駅前廃墟・ホテルハワイ駅前店・2012秋


2003.10

地元の大型書店であった広小路の「三浦書店」(二階建て、上階に千秋公園に面した喫茶コーナーを併設)、中央通りの「三光堂書店」(四階建て、店舗は三階まで)はすでになく、ついに「加賀谷書店」までも撤退。秋田駅前から地元書店が消えた。


大きな地図で見る
「和民」秋田駅前店(加賀谷書店本店跡)

_________

関連記事

「書店」二〇世紀ひみつ基地内検索
「本屋」二〇世紀ひみつ基地内検索

| 散歩写真・路上観察 | 08:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

1981「ダイエー秋田店・秋田ニューシティ」オープン

さようなら「秋田ニューシティ」その1


書籍広告 1981

昭和56年(1981)6月4日(木曜日)、秋田市大町二丁目に「秋田ニューシティ」オープン。開店前には約 3,000人が行列をつくり、通算約8万人の買い物客で終日にぎわいをみせた。

地上5階地下1階、店舗延べ床面積約1万6千平方メートル。立体駐車場を付設。ビルオーナー「日本生命」。スーパー・チェーン店「ダイエー」と呉服衣料品の「辻兵」を核テナントに約50の専門店が入居。
◆オープニングイベント

6月4日
オープニング
シティガールズとブラスバンドによる演技と演奏

6月6日
仮面ライダースーパー ショー

いすゞ新車展示発表ショー&関連イベント
6月7日
因幡晃のふれあい Discjockey ABS 公開生中継
6月9日
シェリーの歌とおしゃべりとサイン会
6月10日
碧夏子の歌とおしゃべりとサイン会
6月11日
牧伸二のウクレレ漫談
6月12日
ピッカリ座と遊ぼう“マリねえさんと一緒!”

6月12日
大和1/20模型展示・撮影会

6月13日
太陽戦隊サンバルカン ショー

秋田ニューシティ 創業時テナント 1981
ダイエー
辻兵・専門店街
5F
屋内遊技場 ●グルメ10番街

中華料理 仙龍
レストラン クラム
ステーキハウス フォルクス
味のメルヘン 倉敷 花いちもんめ
世界のコーヒー 樹林
民芸割烹・かに料理 旭川
ピザ&スパゲッティ いたりあ亭
そば処 そば一
パーラー 梵葉
美容室 ヴォーグ

催事場 ニューシティホール

4F
●レジャーと家電のフロア ●ホビーライフの街

おもちゃの城 トイプラザ
画材・額縁 彩画堂
パラマウントミュージック
カメラ 美光堂
三光堂書店
メガネ・時計 エレガンスコニシ
バスケットボール&ゴルフ Dai

3F
●子供・ベビーと住まいのフロア ●和装ファッションの街

辻兵
 特選呉服・和装小物
 辻兵友の会
 寝具・ギフト&タオル
 化粧品コーナー

アートフラワーショップ
        サンレモン

2F
●紳士のフロア

紳士服 ロベルト
靴 コルト
靴 USシューズ

●シティ・ファッションの街

辻兵プラザ
 ミッシーカジュアル
 メンズスポーツカジュアル
 ランジェリー JUN

紳士婦人服 銀座アルゴ
紳士服 CHECK-POINT
個性派のLファッション エルム
ファッショングループ MORI
輸入プレタ フィニー
KAMEYA ピノーレ
アイアム馬里邑 KIKKAWA

イタリアントマト

1F
●婦人ファッションのフロア

婦人服 ロベリア
おしゃれ小物の店 マルシェ

アイスクリームとクレープ
      ディッパーダン

●レディス・ファッションの街

辻兵プラザ
 San-ai
 舶来雑貨
 ROPE
 ヤングカジュアル

宝飾アクセサリー グラン竹谷本店
バック・袋物 INOUE SACS
シューズショップ びあんかわきた
ブティック ハーモニカ
ブティック ヒラトク
婦人服・洋品 マダムヒラトク
婦人服・洋品 4℃
DPE 美光堂

B1
●食料品と暮らしのフロア

ダイエーフォト

ハンバーガーの店 ドムドム

●フード・ショップの街

和・洋・中華・惣菜コーナー 辻兵
リカー&ギフト ねごしあん
焼きたてのパン ボンジュール

ファーストフードチェーン
         ピーコック

カレー・クレープ・フライドチキン
       スナック カロリ

ラーメン・うどん・そば 城下町
漬物・生珍味 中安
和菓子 木村屋
和菓子・団子 若竹
みちのく銘菓処 榮太楼
お菓子のラグノオ
お茶・海苔・コーヒー 辻吟
フランス菓子 梵葉
秋田銘菓総本舗 かおる堂
クリーニングショップ レインボー



新聞広告 1981








三光堂書店ニューシティ店 新聞広告より 1981


インナープラザ

1・2階吹き抜けのイベント広場・インナープラザ正面には、定時になると電子音楽を奏で、ピノキオ人形が回るチャイムを設置。その左手にダイエー直営アイスクリーム&クレープのディッパーダン」。

平成14年(2002)8月、赤字経営が続いていた「ダイエー秋田店」が閉店。ダイエー直営の「ディッパーダン」ハンバーガー「ドムドム」など一部店舗は存続。

平成14年(2002)11月、リニューアルオープン。核テナントとして地下に「マックスバリュ大町店」オープン。他に「高桑書店大町店」「ザ・ダイソー秋田ニューシティ店」などが新規出店。

平成15年(2003)、 ゲームコーナーとレストラン街があった5階に、生涯学習施設「サンパル秋田」(中央公民館・女性学習センター・青少年センター)オープン。

平成17年(2005)5月、売上の低迷が続いていた「マックスバリュ大町店」閉店。

平成17年(2005)10月、秋田市卸町で総合スーパー「スーパーランドヤマト」を経営していたヤマトが、地階に「スーパーランドヤマト大町」を移転オープン。

平成21年(2009)3月、「スーパーランドヤマト大町」閉店。同年4月、隣接のイーホテルショッピングモール(旧・ファッションアベニュー AD)地階に移転、「大町こみち」としてリニューアルオープンするも、平成22年(2010)10月、事業を停止・自己破産申請。

平成21年(2009)5月、安政3年(1856)この地に創業の「辻兵呉服」閉店。


2009.06

平成21年(2009)11月、「ザ・ダイソー秋田ニューシティ店」閉店。


2009.11 看板を下ろす

平成22年(2010)1月、「日本生命保険」が地権者「辻不動産」にビル所有権を売却。
平成22年(2010)3月、「サンパル秋田」を閉鎖、「秋田市文化会館」に移転。


2010.03

平成22年(2010)4月、「秋田ニューシティ」閉館。ギフトとスクール(制服)の「辻兵」は隣接の「イーホテルショッピングモール」2階に移転。


2010.04.13 閉館の日、終業前

1階フロアの数店だけでの営業となり、実質的には開店休業状態で迎えた閉館の日は、特別なセレモニーが行われることもなく、ひっそりとさみしいエンディングであった。29年前、華々しくオープンした当時、だれがこの日を予想しただろう。


2010.08

平成22年(2010)8月、解体工事始まる。

平成23年(2011)5月、解体整地工事完了。跡地利用方法は未定。


2011.05


2010.10

南側屋上の四面看板にはダイエーに始まる歴代の核テナントのロゴマークが地層のように塗り重ねられていた。


2011.05

藩政時代から呉服店が並び、県都の中心商店街であった大町二丁目。かつては「三光堂書店」「石川書店」「スゞヤのパン本店」「秋田名店街」「辻兵」「本金デパート」など、有名商店が軒を連ねた町にポッカリとあいた空洞。栄枯盛衰・・・、いつかその底知れぬ空虚が埋め戻され、再興をはたす日がやって来るのだろうか。


大きな地図で見る
_________

関連記事

二〇世紀ひみつ基地 たそがれゆく街にて・秋田ニューシティの終焉
二〇世紀ひみつ基地 大町二丁目通り変遷
二〇世紀ひみつ基地 秋田初のミスドは鎌田会館一階に

本金 - 二〇世紀ひみつ基地内検索
辻兵 - 二〇世紀ひみつ基地内検索
名店街 - 二〇世紀ひみつ基地内検索

関連リンク

秋田ニューシティ - Wikipedia
秋田大町ニューシテー - Wikipedia
ダイエー - Wikipedia

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 21:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

高松木材ビル解体・手形堀反町



旧手形堀反町(千秋久保田町)の区画整理(秋田駅西北地区土地区画整理事業)が進み、取り残されていた昭和レトロ物件「高松木材ビル」の解体がようやく始まった。

1980年代のテナントは、不動産屋、スポーツショップ、針灸院、美容院、編物教室、レンタルレコード店、喫茶店、書店など。

一階に入っていた「あぶみ書房」は、週に一度は通って書棚を眺めるのが楽しみだった書店。ニューエイジ&ニューサイエンス系、アート系、ナチュラリスト系の書籍が多く、秋田では珍しいマニアックなサブカル系雑誌も並ぶ、当時としてはユニークな書店であった。一時は無農薬野菜の販売も。



_________

関連記事

堀端の町・手形堀反町
消える街並・手形堀反町
手形堀反町の堀を偲ぶ

関連リンク

秋田駅西北地区土地区画整理事業

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 22:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT