二〇世紀ひみつ基地

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ビックコミック創刊号を後藤書店で買った 1968 春の宵

ビックコミック創刊号復刻版

2018(平成30)年初春、創刊50周年を記念して発行された『ビッグコミック』5号&復刻版創刊号2冊パック。

漫画雑誌を買ったのは何年ぶりのことだろう。『ビッグコミック』創刊号が数量限定で復刻されたことを知り、書店とコンビニを巡り、3軒目で見つけたとき、胸が熱くなった。

ビックコミック創刊号復刻版
▲『ビッグコミック』創刊号復刻版

1968(昭和43)年初春、戦後漫画史における記念碑的な青年漫画誌『ビッグコミック』創刊号発売。当初は月刊誌で、製本は週刊誌に見られる中綴じではなく、分厚い平綴じ。

60年代に脚光を浴び、1970(昭和45)年に急逝したイラストレーター・伊坂芳太良による表紙絵に、執筆陣である手塚治虫、石森章太郎(のちの石ノ森章太郎)、白土三平、水木しげる、さいとう・たかを らの自画像がそえられている。なんとも豪華なラインナップだ。

手塚、石ノ森、水木の三氏はすでに鬼籍に入り、白土が引退状態にあるなか、「ゴルゴ13」の さいとう・たかを が、いまだに『ビッグコミック』で連載をつづけていることには驚かされるが、同氏の場合、若いころからプロダクションを立ち上げ、徹底した分業制度を導入、たとえ本人が不在でも、連載に差し支えのない状態を維持しているため、数人のアシスタントを雇って、命を削るように執筆した漫画家とは単純に比較できない。

牛島橋通り・悟道商店
▲牛島橋と旧後藤書店 2015.10

1968(昭和43)年初春の夕刻、川のない橋・牛島橋たもとの「後藤書店」で『ビッグコミック』創刊号を買った。

ビックコミック創刊号復刻版

「後藤書店」からの帰り道、待ちきれず、歩きながら紙袋から取り出して表紙をめくると、2枚の綴じ込み付録があった。そのうちの一枚が、外人のおねーちゃんが、デカいおぱっいを放り出しているピンナップ。

一見して気恥ずかしくなって、とっさにその部分だけを破り、太平川の土手に捨てた。本誌は何度も読み返したが、このピンナップとは、少年時代に桜並木の土手で別れた以来の、捨てた女との再会となった。

ビックコミック創刊号復刻版

定価160円。並ラーメン一杯が60円ほどの時代である。

表紙と連動した裏表紙は「日立家電販売」とのコラボ広告。イラストのなかに楽器を持った男が何人いるか?、ステレオの名前は?、というクイズにハガキで答えると抽選でステレオが当たる。

当時の広告を見るのも復刻版の楽しみのひとつ。しかし、今回の復刻では多くの広告ページが空白で「創刊号の当ページ掲載の広告は、都合により再掲載いたしません」と断り書きがある。

掲載企業の廃業・倒産、連絡先不明などが理由で掲載できないのは致し方のないことだが、そのせいで資料的な価値を下げているのが残念。

ビックコミック創刊号復刻版
▲白土三平「野犬」

ビックコミック創刊号復刻版
▲石森章太郎「佐武と市捕物控・隅田川物語」

ビックコミック創刊号復刻版
▲水木しげる「妖花アラウネア」

 ビックコミック創刊号復刻版

創刊記念の懸賞は「ダットサン サニー 2ドア デラックス」裏表紙にも登場する「日立ステレオ ローゼン」「サントリービール純生1年分」など。

高度経済成長期以降の懸賞は、このような高額商品が当たり前だったが、1981(昭和56)年、景品表示法の改正により「懸賞により提供する景品類の最高額は、懸賞に係る取引の価額の二十倍の金額(当該金額が十万円を超える場合にあっては、十万円)を超えてはならない」とされ、豪華景品は姿を消すこととなる。

創刊50周年を記念して、2018年6月から始まった巡回展「ビッグコミック50周年展」が、現在「秋田県立近代美術館」で開催中。会期は2019年7月6日から9月8日まで。

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「松坂古書店」店主殺人事件と二つの店名の理由

▼さようなら「松坂古書店」

一昨年(2017)11月末日、秋田市で最古の歴史を有する古本屋「松坂古書店」南通り店が静かに店を閉じた。

松坂屋古書店
▲「松坂古書店」南通り店跡 2019.04

松坂古書店・みしま書房
▲平成2(1990)年

平成2(1990)年時点の店舗をあげると、すずらん通り本店・南通り店・手形東通り店・秋田ワシントンホテル(現・イーホテル秋田)2F AD店の4店。80年代には秋田大学の近くに手形山崎店も。

松坂古書店・みしま書房
▲「松坂古書店」すずらん通り本店 2004.03

70年代から足しげく通い、想い出が詰まった すずらん通り本店も、今(2019)から9年ほど前に閉店。

「松坂古書店」と「みしま書房」の看板が掲げられた外観は一見、別々の店のように見えるが、内部はつながっており(初期は別個の店)、とりわけて郷土資料が充実し、価格も良心的。思わぬ掘り出し物に遭遇する確率も高かった。

エロ系も豊富で、80年代のビニ本ブームのときは、ビニールでパッキングされた、きわどいエロ写真集が店舗の中心を大きく占めていた。

図書館でお見かけすることが多かった、古書店主人を絵に描いたように無愛想で学者肌の御主人・三島亮氏が亡くなってから、もう20数年になる。

 

▼古書店「松坂屋」店主殺人事件

松坂屋古書店▲明治38(1905)年 新聞広告

「松坂古書店」のルーツである古書店「松坂屋」は明治後半、秋田市茶町菊ノ丁(現・大町二丁目)に開業。その後、隣町の茶町扇ノ丁(現・大町三丁目)に移転。

昭和33(1958)年12月1日「松坂屋」店主・松坂壮一郎氏が、顔なじみの青年に絞殺される事件が発生。現金と貯金通帳を奪って逃亡した犯人は5日後にスピード逮捕された。

松坂屋古書店

 秋田市のド真ン中で殺人事件
 古本屋絞殺される
 物とりの線で鋭意捜査

一日午前十時ごろ秋田市茶町扇ノ丁、松坂屋古書店経営主の松坂壮一郎さん(六五)が店内のタタキにあおむけになって死んでいるのを出勤した店員が発見、秋田署に届出た。同署ではただちに現場に急行、検視の結果首に麻ヒモのようなもので絞められたあとがあるため他殺と断定、捜査を開始した。

同古書店は秋田市の中央部、市電路線に面したところで店は約十六平方メートルだが、市内でも名のきこえたしにせ。

 ‥‥後略‥‥

昭和33(1958)年12月1日付『秋田魁新報』

一方、のちに「松坂屋」店主となる三島亮氏(本名・三島亮吉 1921-1996)は、母校の秋田工業高校で教師をしていた昭和24(1949)年、GHQによるレッドパージ(赤狩り)により教職を追われ、やむなく古本屋に転身。

古本屋を始めるにあたり、三島氏が弟子入りしたのが「松坂屋」店主・松坂壮一郎氏。当初は「松坂屋」の書棚の一角に自身の蔵書を置かせて貰っていた。それから数年後「松坂屋」の隣町、茶町菊ノ丁に古書店「みしま書房」を独立開業する。

みしま書房
▲昭和34(1959)年

殺人事件後、遺族の意向を受け、師弟関係にあたり、故人と親交の深かった三島氏が松坂氏の跡を継ぎ「松坂屋」の経営者に納まることとなるが、氏は店名を変更することなく、歴史ある古書店の名を後世に残すことを決意。この時点で自身が創業した「みしま書房」と、跡を継いだ「松坂屋」の両店を経営することに。

のちに店名を「松坂屋」から「屋」を外して「松坂古書店」と改め「みしま書房」の名は主に出版社名として使われるようになる。

松坂屋古書店
▲「松坂屋」が入居していた雑居ビル

事件当時「松坂屋」が入っていた茶町扇ノ丁(現・大町三丁目)の建物は、県庁前通り(現・山王大通り)沿い、お茶の「繁田園」と「三和銀行」秋田支店(現・ミタビル)にはさまれた二階建て雑居ビル。他にふとん店と薬局が入居。

ビルの東端(上掲画像左端)、間口4.2メートル・奥行5.5メートルの小さな店舗にもかかわらず、公務員の初任給(基本給)が1万円ほどの事件当時、1日の売上げが2〜3万円に上ることもあったというほど、古本が飛ぶように売れた時代で、そのあたりの状況を知った上での犯行だった。

松坂屋古書店跡
▲「松坂屋」が入居した雑居ビル跡 2018.08

雑居ビルが解体された跡地の西側に「山一証券秋田支店」が新築移転。同社倒産後解体され、現在(2019)同地に「大和リビング」秋田営業所がある。

松坂屋古書店▲昭和33(1958)年 松坂壮一郎氏経営時代

松坂屋古書店
▲昭和32(1957)年 松坂壮一郎氏経営時代

松坂壮一郎氏は古典芸能に明るく、古書においてもそれを得意分野としていた。

▼店舗火災・市立図書館「三島文庫」出版社「みしま書房」

事件から数年後、入居する雑居ビルの解体を前にして、茶町から すずらん通りの突き当たり、洋画専門館「秋田ピカデリー劇場」前に移転。銭湯「松の湯」跡に建てられた木造二階建て雑居ビルに、当初は魚屋、薬局、古本屋が入居。

昭和58(1983)年11月26日「松坂古書店」に隣接する薬局の二階から出火、ビル二階部分を焼失。

一階店舗の書籍に加え、貴重な古文書・郷土資料など、三島氏の蔵書を含む約6千冊が消火活動により水浸しになり、一部を残してやむなく廃棄される。

永い年月をかけて収集した資料を一瞬にして失った三島氏の落胆ぶりは本当に気の毒だった。

火災をさかのぼる、同年10月3日「秋田市立中央図書館 明徳館」オープン。その開館を前にして、三島氏は蔵書から郷土資料を中心とした 4,445点を寄贈、「三島文庫」と命名される。

偶然にしては出来すぎた、絶妙なタイミングで行われた寄贈により、資料の多くが火災をまぬがれたことは不幸中の幸いであった。

「三島文庫」寄贈と火災の前年、昭和57(1982)年「秋田市文化団体連盟章」受章。

文化団体連盟章

‥‥前略‥‥

〔学芸〕三島亮さん(60歳)
郷土史関係を中心にした数々の貴重な本を出版するとともに、川柳選者としても、川柳愛好者の指導、育成に努めました。

『広報あきた』No.874- 1982-02-10 - より

川柳関連の肩書は、現代川柳作家連盟会員、川柳あすなろ会顧問、川柳研究いかり主宰、川柳波紋社主宰など。

昭和42(1967)年5月に出版した『八郎潟近世漁業史料』(半田市太郎/編) を手始めに「みしま書房」名義で始めた出版事業は、昭和50年代をピークに平成4(1992)年まで続いた。

「秋田県立図書館」で「みしま書房」を検索すると該当件数は91件に及ぶが、一部に類似名出版社の書籍が混入している模様。

松坂古書店・みしま書房
▲「松坂古書店」すずらん通り本店 2004.03

すずらん通り
▲「松坂古書店」すずらん通り本店跡 2019.05

すずらん通りの突き当たり、洋画専門館「秋田ピカデリー劇場」跡地の一角に、最近「セブン-イレブン」がオープンした。

松坂古書店
▲在りし日の「松坂古書店」南通り店 2017.07

最後に残った南通り店のオープンは昭和57(1982)年頃。建物はもともと、かつて斜め向かいにあった家電・家具月賦販売「緑屋信販」の別館「緑屋住宅設備」として建てられたもので、数年前まで二階に社交ダンスのスタジオが入っていた。

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牛島橋たもと「後藤商店」(後藤書店) レトロ建築

▼旧「後藤商店」(後藤書店) 店舗改修

牛島橋通り・悟道商店
▲2018.09

2018年9月下旬、川のない橋・牛島橋たもと「秋田牛島郵便局」向かいのレトロ建築「後藤商店」が小綺麗に改修されていた。

今(2018)から40年ほど前に書店を廃業、やがて住む人もいなくなり、貸家か売家となっていた物件。最近入居者が見つかり、どんな店になるのか不明だが、いずれは新規オープンの予定とのこと。

いつ解体されてもおかしくない懐かしい建物に、新たな息が吹き込まれて復活するのがうれしい。

▼大正創業の洋品店「後藤商店」

牛島橋通り・悟道商店
▲2008.11

装飾性を最小限にとどめたシンプルなモダニズム的建築。両側にショーウィンドウを配した左右対称の一階に対して、二階の窓を非対称に配することで、単調なファサードにアクセントを添える。

かつては屋上に背の低い木製の柵を巡らせていた箱形建造物の後方にL字型の住宅が附属する。

牛島橋通り・悟道商店
▲2008.11

リベット状の装飾がある重厚なエントランス柱に対して、二方向の角度に展開する扉と引き戸。引き戸はアルミサッシに改造されているが扉は木製のまま。

もともとは石積み建築を模した灰色の壁面だったものを、後年ペンキで塗装したため、かつてのシックな風合いは失われた。

牛島橋通り・悟道商店
▲2008.11

右から左に向かって読む、戦前の横書きで「ごとう商店」と浮き出した文字も端正。「ご」は漢字の「古」を元にした変体仮名。

当方が記憶している昭和30年代から40年代は「後藤書店」として営業していたが、後年になってその建物を見ると、両側にショーウィンドウを配した店構えはどう見ても書店らしくない。それもそのはず「後藤商店」はもともと、大正時代に開業した洋品店であった。

もうすぐ大正が終わらんとする1926(大正15)年4月に発行された『全国職業別明細図 秋田市版』(帝国交通社編纂) で付近を見ると・・・。

牛島橋通り・悟道商店
▲『全国職業別明細図 秋田市版』より牛島橋界隈

河川改修前の蛇行する太平川が流れる牛島橋のたもと、赤丸でマーキングした店の名は「浅藤洋品」。職業別に店名が並ぶ地図の裏面には「浅藤洋品店」とある。浅藤という姓は東北には稀で、秋田では聞いたことがない。

これは版下職人が「後」の文字を字形の似た「浅」と誤読して記入したもの。原稿の文字がよほど達筆だったのか、この残念な仕上がりに、御主人の浅藤ならぬ後藤さんも、さぞかしガッカリしたことだろう。

昭和初期の『帝国信用録』(帝国興信所 編) には、主人の氏名につづいて「小間物 秋田 牛島町 開業年月 大正10年」とある。店名は記されていない。

「小間物屋」とは、化粧用の紅(べに)・白粉(おしろい)・手鏡・かんざし・櫛・扇子・楊枝(ようじ)など日本古来の主に婦人雑貨を商った店。“こまごま”とした小さな雑貨を扱うため「小間物(こまもの)屋」という。

明治に入って「小間物屋」がアクセサリー・ハンドバッグ・スカーフなど、西洋風の商品を扱う比率が増えるに従い「洋品店」とも呼ばれるようになり、やがて「小間物屋」という呼称は死語に。

後藤商店

大正期の建造とおぼしき「後藤商店」をあらためて眺めると、いかにも洋品店らしい店構え。その昔、店頭に足を止め、ショーウィンドウに飾られた商品を見つめる女性の後ろ姿が目に浮かぶようだ。

牛島橋通り・悟道商店
▲牛島橋跡と後藤商店 2015.10

界隈の街並はすっかり変わってしまったが「秋田牛島郵便局」前から牛島橋跡と「後藤商店」を眺めた光景は往時の面影を良く残し、たそがれ時に足を止めると、一瞬にしてタイムマシンで少年時代に帰ったような錯覚に陥る。

1964(昭和39)年に開催された東京オリンピックの聖火は牛島橋で引き継がれ、ランナー達は白煙を残し、牛島商店街を東京を目指して南下して行った。その時のことはいつか改めて記事にしたい。


▼「後藤商店」周辺今昔・河川改修と住居表示変更

牛島橋通り・悟道商店

上掲の明細図を少し解説。河川改修前の蛇行した太平川に架かる牛島橋の手前が秋田市楢山牛島橋通町。街区の境界線である川に架かる牛島橋を渡ると河辺郡牛島町に入る。「後藤商店」の向かい、現在の「宮川医院」(数年前に閉院)の地に「河辺郡役所」がある。

1924(大正13)年4月、河辺郡牛島町は秋田市に編入されるが、明細図が出版された1926(大正15)年まで、引き継ぎのために「河辺郡役所」が置かれていた。

個人経営の味噌・醤油の醸造所が、この範囲だけで三軒。右端に「生産米検査所」。牛島町近辺は米作農家や米屋が多い米穀の集散地であった。

「後藤洋品店」南隣に「佐々木薬房店」「柴田呉服店」。

1966(昭和41)年の住宅地図では「後藤書店」(後藤商店) の南隣に「美容室リボン」「理容サガ」1軒おいて銭湯「牛の湯」と環境衛生営業施設が並び、南進して太平川橋を渡ってすぐの左角、現在の「猪田(いだ)提灯店」の場所に貸本屋・紙芝居屋の「牛島文庫」が存在した。

秋田牛島郵便局
▲牛島橋跡から牛島郵便局・太平川橋を望む 2018.11

左から「宮川医院」(河辺郡役所跡) 「秋田牛島郵便局」。太平川橋を渡った地点に牛島商店街のネオン。

数年前から、夜になると「宮川医院」前に軽トラのラーメン屋台が出没する。

牛島商店街
▲太平川橋から牛島商店街を望む 2018.11

太平川橋を渡った左手に「猪田提灯店」(牛島文庫 跡)。

竿燈提灯で知られる大正末期創業の「猪田提灯店」は現在地に移転する前、太平川の斜め対岸、楢山共和町の川沿いにあって、土手沿いに干された提灯や、職人のおばあさんが提灯を造る姿をかすかに覚えている。


▲「後藤商店」界隈

牛島橋跡をはさんで蛇行する緑地帯が、太平川の旧河道。赤いピンが「後藤商店」の位置。

終戦後、洪水対策のために新河道が完成したあと、昭和30年代に旧河道は埋め立てられる。新河道の堀替で出た土砂が埋め立てに使われたほか、1957(昭和32)年8月の火災で大半が焼失した土手長町の秋田県庁舎の廃材も埋められたという。

埋め立て完了後、旧河道は児童公園となるが、緑地の大半は水捌けが悪く、歩くとぬかるむ。巻末に関連記事へのリンクあり。

牛島橋 太平川河川改修 太平川橋

河川改修のため南側に新河道が通水、太平川橋が新設されたことにより牛島町が分断された。

街区の境界線である河道が変わったことで、ショート・カットされた太平川の北側、牛島町の北端部はやがて楢山に編入。

1967(昭和42)年の住居表示変更後、秋田市牛島町の「後藤商店」は秋田市楢山共和町に、同じく牛島町の「秋田牛島郵便局」は秋田市楢山本町と変更され、局名は「秋田牛島郵便局」でありながら、牛島ではなく楢山に所在するという矛盾が生じることとなる。

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秋田駅前「加賀谷書店本店」跡に「和民」オープン


JAPANESE DINING「和民」秋田駅前店 2013.02

平成25年(2013)2月6日、秋田駅前「加賀谷書店本店」跡に、居酒屋「和民」オープン。秋田駅前店は秋田県内第一号店となる。


「加賀谷書店本店」2012.10


「加賀谷書店本店」2012.10


「加賀谷書店本店」2012.10

平成19年(2007)秋田フォーラス(旧なかよしビル)6・7階に「ジュンク堂」オープン。
平成23年(2011)フォンテAKITA(旧イトーヨーカ堂)5階フロアに「宮脇書店」オープン。

相次ぐ全国チェーン店の秋田駅前進出に打撃を受けた「加賀谷書店本店」は、平成24年(2012)11月7日閉店、60年の歴史に幕を下ろした。最盛期は市内に7店舗を展開したが現在は東通店・茨島店の2店に縮小。

昭和23年(1948)「加賀谷書店」創業者の加賀谷豊治氏は、古書同好の文学青年たちと共同出費、「木内百貨店」内に古書店を開業。紙不足で新刊書の出版が難しく、国民が活字に飢えていた時代であった。

昭和28年(1953)秋田市久保田町の十七連隊跡地に「加賀谷書店」開業。今にすれば小さな店だが、当時は県内一の売り場面積を誇っていた。

関連記事
二〇世紀ひみつ基地 歩兵第十七連隊・秋田駅前

昭和40年代から秋田関連の重要書籍を次々と出版。

企画・出版物の一部
『新編佐竹氏系図』加賀谷書店 1973
『秋田沿革史大成』加賀谷書店 1973
『秋田書画人伝』加賀谷書店 1975
『勝平得之全版画集』講談社 1975
『秋田県史』加賀谷書店 1977
『平福百穂画集』集英社 1978
『在県秋田の美術と文化』学習研究社 1982

昭和47年(1972)隣接した広小路側の土地を取得、店舗を拡張してリニューアルオープン。


昭和47年(1972)新聞広告より(見開き広告の中央上部)

見開き2面にわたり主要出版社の書籍広告がずらりと並ぶ。


昭和47年(1972)新聞広告より

宝飾の「竹谷本店」と婦人服「平徳本店」の間が増築部分。それ以前この場所に「菅長駅前電化ストア」があった。

「加賀谷書店事務所」とあるのが「加賀谷書店」初期店舗。その北隣が「オノ時計店」。この区画に今は「秋田ビューホテル」が建つ。

「加賀谷書店事務所」南隣には「エルザ」「それいゆ」と、二つの喫茶店がならび、コーヒーを飲みながら買ったばかりの本を読むのが定番コースであった。喫茶「それいゆ」の跡に「リーガルシューズ」が入ったのは70年代後半の頃。

「加賀谷書店」の向かいにあった「文具のイトウ」が実際よりも西側に描かれているが、ずいぶん長いあいだ空き地(駐車場)になっていたその跡地に、平成24年(2012)12月、居酒屋「寧々家 秋田駅前店」オープン。


2013.02

看板建築的店舗の後方に廃墟化して久しい「ホテルハワイ駅前店」。

関連記事
二〇世紀ひみつ基地秋田駅前廃墟・ホテルハワイ駅前店・2012秋


2003.10

地元の大型書店であった広小路の「三浦書店」(二階建て、上階に千秋公園に面した喫茶コーナーを併設)、中央通りの「三光堂書店」(四階建て、店舗は三階まで)はすでになく、ついに「加賀谷書店」までも撤退。秋田駅前から地元書店が消えた。


大きな地図で見る
「和民」秋田駅前店(加賀谷書店本店跡)

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