二〇世紀ひみつ基地

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秋田に聖火がやってきた・1964 東京オリンピック

▼東京オリンピック・聖火リレー記録映像

NHK の「2020 東京オリンピック」特設サイトにて「1964 東京オリンピック」における、秋田県内の聖火リレーを記録した動画が公開されている。

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

オリジナルは「秋田公文書館」所蔵の「県政映画」フイルム。県が制作・配給した「県政映画」は、昭和30年代初頭から県内各地の映画館で、映画の幕間に全国版のニュース映画や予告編とともに上映された。

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

東京オリンピック 聖火リレー 秋田


▼秋田県庁 噴水広場で聖火歓迎式典

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

▲昭和39(1964)年9月22日午後「秋田県庁」において聖火歓迎セレモニーを開催。

マーチングバンドが進む先に、昭和36(1961)年開催の「秋田国体」を記念して建造されたモニュメントが見切れている。

右手後方の白抜きテロップが屋根に重なる建物は、初代「秋田市立体育館」(別名・山王体育館・秋田スポーツセンター) 側面。現在その跡地に「秋田県第二庁舎」が建つ。

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

▲午後3時頃、北高合唱隊による「県民の歌」に迎えられ、産業会館前の二丁目橋で聖火を引き継いだ、北高陸上部に所属する当日の最終ランナーが会場に到着。

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

▲「秋田県議会議事堂」をバックに、ランナーからトーチを渡され、聖火台に点火するセレモニー実行委員長は、今も「人見スポーツ賞」に名が残る、秋田スポーツ界の功労者・人見誠治。

点火の瞬間、ファンファーレが鳴り響き、五輪を表現した5色のバルーンが空に放たれた。

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

▲五輪が掲示された「秋田県庁」東側面の一階部分は、見ての通り、柱に支えられ、外部に開かれた空間、建築用語でいうピロティになっていた。

ピロティ奥の壁面は一面のガラス張りで、一階の県民ホールに自然光を導入していたが、のちにピロティが廃止されて、上階部分と同様な中央に窓を配置した壁面に改装。ピロティ・スペースの分、一階ホールが拡張された。

いつ頃改装されたのかは不明だが、強度に不利があるピロティ構造の耐震性を考慮した上でのことだったと想像する。

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

▲噴水池の中央に仮設された聖火台を囲み「東京オリンピック」のテーマソングにして昭和の国民的名曲「東京五輪音頭」 を踊る秋田市婦人会の会員たち。

東京オリンピック 聖火リレー 秋田

▲五輪のマスゲームがくり広げられる広場の周囲、車両通行止めとなった左上の山王通り、右上の「秋田市立体育館」西側は人で埋まり、右下の「秋田県議会議事堂」屋上にも人垣ができている。当日は県議会の会期中であった。

この年「NHK秋田放送局」が亀ノ丁新町(現・中通総合病院の一角)から、県庁舎斜め向かいに移転、9月6日から放送を開始。

また「秋田市役所」が土手長町上丁(現・千秋矢留町)から、秋田県庁舎向かいに移転、10月に落成式を挙行、11月から業務を開始。

こうして、田園が広がっていた山王地区が、徐々に官庁街の体裁を整えてゆく。

秋田県庁 噴水跡

▲噴水広場周辺の現在。駐車場のあたりが聖火台が置かれた噴水池跡。

秋田県庁 噴水跡 駐車場

▲正面に「秋田県議会議事堂」右手に秋田国体記念モニュメント、その後方に前出の改装された県庁舎東側面。


▼市内の聖火コース・牛島橋で引き継がれた聖火を見送る

昭和39(1964)年9月22日午後1時30分頃、金足農業高校入口で天王町から秋田市に引き継がれた聖火は、土崎〜新国道〜通町〜秋田市役所(土手長町上丁)前〜広小路〜秋田駅前〜南通り〜産業会館前〜山王通りを通過、午後3時頃、秋田県庁に到着。

翌23日(秋分の日)は悪天候を考慮した予備日で休養。

9月24日午前9時30分、秋田県庁を出発、山王通り〜秋田郵便局前(大町四丁目)〜横町〜有楽町〜登町〜牛島〜仁井田〜四ツ小屋を通過、午前10時40分頃、御所野変電所前で河辺町に引き継がれた。

牛島橋
▲牛島郵便局前から牛島橋と旧後藤商店 2018.04

聖火コースに近い学校では授業を休止して聖火リレーを見学。

築山小学校に近い「牛島郵便局」前にずいぶんと早くから陣取り、しばらく経過した午前10時頃、羽州街道をパトカーと白バイに先導され、白煙をまとった集団が牛島橋を通過。

鈴なりの観客からの拍手と歓声、日の丸の小籏をふる音がまざり合うなか、ランナーたちは太平川橋を渡り、牛島商店街を白煙を残して駆け抜けていった。

「牛島郵便局」前から、往時の面影を良く残す牛島橋方向に目をやると、あの秋日の熱いさざめきが、まざまざとよみがえる。

秋田市における「2020 聖火リレー」のセレモニー会場は「エリアなかいち」に決定。リレーコースの詳細は今年末に発表されるとのこと。

あれから55年の歳月が流れた令和2(2020)年6月、同じ場所で聖火を見送ることができるならば、感慨もまたひとしおだろう。

「牛島橋」が川のない橋となった経緯については「川のない橋「牛島橋」界隈を歩く」を、牛島ではなく楢山にあるのに「牛島橋」「牛島郵便局」とはこれ如何に?の解説は「牛島橋たもと「後藤商店」(後藤書店) レトロ建築」の後半を参照のこと。

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川反に“小人のマーチャン”来る・ゴジラの息子

小人のマーチャン
↑ 昭和33(1958)年 新聞広告

秋田市川反(かわばた)四丁目にあった「キャバレー都」に、昭和33(1958)年 “小人のマーチャン”が一座とともに来演。

特撮マニアには、ゴジラの息子・ミニラの“中の人”として知られる小人の芸人である。

深沢 政雄(ふかざわ まさお、1921年 - 2000年)は、日本俳優スーツアクター。芸名は「小人のマーチャン」、「マーチャン」。

来歴・人物

非常に小柄な体格で、これを生かした役柄が多く、「小人のマーチャン」の芸名で、日劇のショーやタップダンス、芝居、キャバレーや舞台でのコミックショーで活躍した。台湾東南アジアなど、海外興行の経験もある。

映画作品では、1967年に東宝の『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』製作の際にオーディションを受け、円谷英二有川貞昌両特技監督に見出され、当時46歳で「ミニラ」役に抜擢された。以降2作品にもミニラ役で出演している。それ以前にも特撮テレビドラマウルトラQ』(TBS円谷特技プロ)の怪獣「ガラモン」役の候補に挙がったことがあるが、採用はされなかった。

出演作品

映画

テレビ

深沢政雄 - Wikiwand

小人のマーチャン
↑ 「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」撮影風景

特撮監督・円谷英二から演技指導を受けるミニラ役のマーチヤン


↑ 怪獣島の決戦 ゴジラの息子(東宝1967)予告編

“小人のマーチャン”が来演した「キャバレー都」があった場所は、川反四丁目の老舗料理屋「かめ淸」の北隣。

キャバレー都
↑ 昭和34(1959)年 新聞広告

後期は「ナイトスポット都」とも称した同店は、キャバレー廃業後、昭和50年代中頃から、焼き鳥をメインとする居酒屋「野鳥みやこ」(現・都野鳥)に転業する。

都野鳥
↑ 「キャバレー都」跡「都野鳥」 2017.03

昭和40年代「キャバレー都」の二階に、ストリップ小屋がオープンするが、そのお話しは次回のお楽しみ。


↑ 「キャバレー都」跡

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2010.09.31 秋田駅前フォーラス前

高倉健

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東宝チャンピオンまつり・1971「秋田東宝」正月番組


昭和45年(1970)12月 新聞広告

かつては映画街であった秋田市有楽町通り「秋田東宝劇場」(のちのプレイタウンビル)の、昭和46年(1971)正月番組は「東宝チャンピオンまつり」四本立て。



春・夏・冬休みに合わせて公開され人気をあつめた「東映まんがまつり」に対抗して生まれたのが「東宝チャンピオンまつり」(1969〜1978)。「ゴジラ」シリーズに代表される特撮映画をメインに、テレビアニメなどが同時上映された。

昭和39年公開のオリジナルを短縮編集したリバイバル作品『モスラ対ゴジラ』。


モスラ対ゴジラ (1964) オリジナル版

怪獣のなかで「モスラ」がいちばん好きだった。初期「モスラ」シリーズで小美人を演じたザ・ピーナツがエキゾチックなメロディーにのせて唄う劇中歌にシビれた。その話はいずれまた。

もう一本の怪獣映画『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』は「ゴジラ」を生んだ特撮の神様・円谷英二亡きあと初の東宝特撮作品。イカの怪獣「ゲゾラ」蟹の怪獣「ガニメ」亀の怪獣「カメーバ」が南海で対決するB級映画。



アニメ作品は『アタックNo.1 涙の世界選手権』(製作・東京ムービー)と『昆虫物語 みなしごハッチ』(製作・タツノコプロ)。

『アタックNo.1』フジテレビ(AKT秋田テレビ)日曜日19時〜19時30分、1969年12月〜1971年11月。
『昆虫物語 みなしごハッチ』フジテレビ(AKT秋田テレビ)火曜日19時00分〜19時30分、1970年4月〜1971年12月。「ハッチ」はフジテレビの「8チャンネル」から命名。



昭和46年(1971)新春第二弾は『日本一のワルノリ男』と『若大将対青大将』。

『日本一のワルノリ男』はクレージーキャッツの植木等が主演して1960年代に人気をあつめた「日本一シリーズ」の晩期作品。すでにクレージーキャッツの人気は低下していたため、同じナベプロの後輩グループ、ザ・ドリフターズの若手・加藤茶を準主役に起用している。

加山雄三主演「若大将シリーズ」(1961〜1971 全17話)の最終話『若大将対青大将』。三十路に入っても大学生役、その後は社会人を演じていた加山も、もう「若大将」とはいえず、新若大将としてザ・ランチャーズ(加山が結成)のギタリスト・大矢茂が起用された。



映画はすでに「娯楽の王様」の座をテレビに奪われ、斜陽の下り坂をたどっていたが、県内にはまだ、東宝系映画を上映する映画館だけでも、これだけの数が残っていた。

大曲(現・大仙市)の「月岡シネマ」は平成18年(2006)10月閉館。このなかで今も残っているのは、小坂の大正レトロ建築「花園館」のみ。

関連リンク
N氏の映画館:花園館(秋田県小坂町)
飴色金魚 / 秋田県 / 小坂町 / 花園館

ちなみに昭和46年時点での秋田市内映画館は以下の通り。

有楽町
秋田東宝(邦画)秋田大映(邦画)秋田松竹(邦画)秋田日活(洋画)秋田ピカデリー(洋画)秋田パンテオン(洋画)みゆき座(成人映画・実演)

大町五丁目
秋田東映(邦画)

秋田駅前
テアトル秋田(邦画二番館・中通二丁目)読売ホール(洋画二番館・中通四丁目)

土崎
土崎映画劇場

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