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二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

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消える銭湯「手形の湯」秋大近く


asahi.com:「老舗銭湯」灯が消える-マイタウン秋田 より

この3月末(2009)の「辻の湯」閉湯につづき、秋田大学近くの「手形の湯」も今月で廃業との記事。

かつて秋大生が間借りした周辺のアパートのうち、風呂が付いた物件は稀で、自宅から通う学生以外、ほとんどがこの銭湯に通っていた。在学中に利用した OB には、青春時代の一コマが刻まれた、思い出深き場所のひとつだったことだろう。

これで秋田市内に残る銭湯は、南通みその町の「星の湯」一軒のみ。


手形の湯 2004.03


手形の湯 2004.03


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| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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モーテルのあるジオラマ



秋田駅東、手形西谷地の「ホテル六甲」。ブルー系の落ち着いた塗装だった屋根を最近、赤く塗り替えた。

モーテル・ラブホテル系の広告が、放送局の自主規制で消える以前、深夜に「ガレージ付き高級ホテル」というふれこみで「ホテル六甲」のテレビコマーシャルが毎日のように流れていたので、その名を覚えている人も多いと思う。

自動車で旅行する人が泊まるガレージ付きホテルを米国で「モーテル」と呼ぶが、日本では「車庫付き連込み宿」のことをいう。

「ホテル六甲」が開業した当時、界隈は田圃と草木の生え放題な閑地に囲まれて人通りの極めて少なく、「駅裏」という寂しげな言葉が似合う、人目を忍ぶにふさわしい静かな場所だった。

しかし、駅東地区が区画整理されて新興住宅街となり、秋田駅の改築により東口が設けられ、拠点センター・アルヴェ、 NHK 秋田放送局などが新築された今は、もはや駅裏とはいえず、高い塀で目隠しされたその建物が、高層からの人目にさらされる存在になろうとは、当初は思いもよらなかったであろう。


●ヤチという地名

「手形西谷地」の「谷地・ヤチ」または「ヤツ」「ヤト」は、東日本で「低湿地」を意味する地名。「ヤチ」は、低湿地を表すアイヌ語という説が有力だったが、逆に「東北から道南に渡った言葉」とする最近の研究もある。

いにしえの駅東地区は湿地と湖沼が広がっていた地帯であるから、この周辺の旧地名には、「谷地眼・ヤチマナコ」「谷地田・ヤチダ」「谷地沖・ヤチオキ」など、湿地を意味する地名が多い。

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| 散歩写真・路上観察 | 21:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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長沼に船を浮かべて蛍狩り


アルヴェから太平山を望む 08.12

秋田駅周辺の旧地名を長沼という。長沼は「長野の沼」という意味。

いにしえの秋田駅前から駅東地区は、長沼(黒沼ともいう)、手潟(手形の地名起源とされる)、赤沼、鍋沼など、広大な湖沼、潟と葦原が広がる地帯。

雁(かり)・鴻(ひしくい)・鳧(けり)・白鳥・鴨など、渡り鳥がおびただしく飛来し、夏には蛍が乱れ飛び、水面を行き交う舟もあったという。

久保田城が置かれた神明山(千秋公園)の東部に、湿地と湖沼が広がる地形は、東方からの侵入を防ぐ盤石な防御地帯となったが、干拓により幕末の頃には水田へと変容。

明治三十五年、南秋田郡広山田村長沼に秋田駅開業。同三十八年には秋田市に編入。


アルヴェから東を望む 08.12
右手のタワーは NHK のアンテナ棟

戦後になって、高度経済成長期の頃から徐々に宅地化が進み、見渡す限りの田圃のなかに、貸家や秋大生向きのアパートが建ちはじめ、そのうちに田圃と宅地の数が逆転、やがて区画整理されて新興住宅街に。



かつては葦原と湖沼が広がっていた駅東地区に水を注いでみた。往時の再現というよりも、これでは海面上昇により水没した町である。

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| 秋田市今昔 | 23:30 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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高松木材ビル解体・手形堀反町



旧手形堀反町(千秋久保田町)の区画整理(秋田駅西北地区土地区画整理事業)が進み、取り残されていた昭和レトロ物件「高松木材ビル」の解体がようやく始まった。

1980年代のテナントは、不動産屋、スポーツショップ、針灸院、美容院、編物教室、レンタルレコード店、喫茶店、書店など。

一階に入っていた「あぶみ書房」は、週に一度は通って書棚を眺めるのが楽しみだった書店。ニューエイジ&ニューサイエンス系、アート系、ナチュラリスト系の書籍が多く、秋田では珍しいマニアックなサブカル系雑誌も並ぶ、当時としてはユニークな書店であった。一時は無農薬野菜の販売も。



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| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 22:00 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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