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二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

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1972 横井さんフィーバーと秋田プラザの「グアム生活展」

大東亜戦争終結から28年目の1972(昭和47)年1月、アメリカ領グアム島で、無条件降伏発令を知らされなかった残留日本兵・横井庄一が島民に発見される。2人いた戦友たちは発見から数年前に事故で亡くっていた。

「グアム島敗戦の状況を知っていただきたいと思い、恥ずかしいけれども帰ってきた」との、羽田空港に到着したときの第一声が「恥ずかしながら帰って参りました」と変化して、この時代の流行語となり、「ヨッコイショ」の掛け声をもじった「ヨッコイしょういち」とともに、世代を問わずよく使われたものだ。

横井庄一
▲昭和47年4月 新聞全面広告

横井さん発見の興奮がさめやらぬ同年2月、東京駅八重洲口のデパート「大丸」東京店にて「横井庄一さんグアム生活展」を開催。新聞各社が主催し、当初に所持品を保管した厚生省(現・厚生労働省)が後援する生活展はその後、全国を巡回する。

秋田では「秋田第一ホテル」(現・キャッスルホテル )の商業棟「秋田プラザ」を会場に、ゴールデンウィーク期間中の4月30日から5月3日までの3日間開催。

多大な集客力を見込める展覧会だけに、開催を希望するデパートが多く、各地で事前に開催権を獲得するための抽選が行わている。秋田でも催事場がある「本金」「協働社」あたりと争って「秋田プラザ」に決まったのかも知れない。

横井庄一

横井庄一

●期間中相当混雑が予想され係員の指示に従いご入場ください。又、入場制限する場合もありますのでご了承願います。

●会場入口
第1会場(2階特設会場)
広小路入口から入り階段を上りお入りください。
第2会場(3階催し会場)
駐車場入口から階段を上りお入りください。

●会場混雑をさけるため第1会場ご覧になりましたら一端店外に出て第2会場入口〈駐車場側〉からお入りください。

●期間中駐車場の混雑が予想されますので車での乗り入れは、ご遠慮願います。

「秋田プラザ」3階の催事場のほか、2階の一部を特設会場とし、できるだけテナントの営業に支障が出ないように専用の入口を設け、各所に係員を配した。

広小路側と裏手の露天駐車場側(現在のキャスルホテル正面玄関、立体駐車場、南館の場所)に長蛇の列がつづき、ようやく会場に入っても係員に立ち止まらないようにとせかされ、展示物をじっくりと見ることもできないほどの人出のなか、写真集などの記念品が飛ぶように売れていた。

下記「NHKアーカイブス」の動画に「グアム生活展」の様子が映っている。場所は「大丸」東京店だろう。

横井庄一さん グアム島から帰国

次は横井さんの出身地・名古屋での「グアム生活展」の様子を。

「恥ずかしながら帰ってまいりました!」グァム島のジャングルの中で終戦後28年間孤独と戦った元日本兵・横井庄一さんが1972年2月2日、奇跡の生還を果たした。当時日本中で話題となったこの衝撃的ニュースの興奮が冷めやらぬなか、松坂屋名古屋店は同年2月29日から6日間の会期で「孤独に生きた28年、横井庄一さんグァム生活展」を開催し爆発的な人気を呼んだ。

会期中本館7階会場には、横井さんが28年間のグァム島のジャングル生活で使用した日用品や手製の洋服など64品目、90点余りが展示・公開された。展示品は旧陸軍の水筒を改造した鍋、ココナツの実で作った容器から、パゴの木の樹皮で加工した衣類、魚とりの竹かごなど、どの品も横井さんの創意と工夫あふれる発明品ともいえるものばかり。

特にパゴの木の皮で織ったジャングル服は一番人気で、「さすがは洋服屋だけのことはある。」と称賛と感嘆の声があちこちで上がった。

会場入口には横井さんが住んでいた洞窟が再現され、「よくこんな狭いところに長い間住めたものだ」と見物客はみな感心しきりだった。

名古屋は横井さんの地元ということもあって来場者の関心は高く、初日は早朝から開店前に約400人の行列ができ、1日の入場者数は2万5千人を超えた。数多い松坂屋名古屋店の名物催事の中でも、歴史に残る記録的な人出となった。

写真は1972年2月29日 名古屋タイムズ紙 より
松坂屋100年史 より抜粋

松坂屋名古屋店「松坂屋ヒストリア小話 その四十九」

名古屋は地元なだけあって会期も6日間と長い。開催にあたっては「松坂屋」「丸栄」「名鉄」「オリエンタル中村」の4百貨店が抽選を行い「松坂屋」が引き当てたという。

同年10月、今度はフィリピンのルバング島で、ジャングルに潜んでいた小野田寛郎元陸軍少尉と小塚金七元一等兵が発見されるが、ゲリラの山狩りをしていたフィリピン警察軍と銃撃戦となり小塚元一等兵が死亡する。

横井庄一

好評開催中!!
人形のオリンピック参加89ヵ国
世界名作人形展
25日まで/3階催し会場
●入場料 大人150円 学生130円 小人100円
協賛 パンアメリカン航空

正義を愛する者!!
月光仮面ショウ ご招待セール
●200円お買上げの方に補助券進呈
●10枚でご招待券と案内で引き替
ご招待日 4月28日.29日く1日3回>
会場3階催し会場/後援ABS 秋田放送
●招待券は定数に達し次第切らせて頂きます。お早めに

50年代後半のヒーロー番組の元祖「月光仮面」のアニメ版「正義を愛する者 月光仮面」(日本テレビ) の放送期間は1972年1月10日~1972年10月2日、放送時間・月曜日19:00~19:30。日テレ系の「ABS秋田放送」でもキー局と同時放送された。

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80年代後半「キャッスルプラザ3F カルチャーフロア」の時代

今回は、前回記事「1986 キャッスルプラザに透明エスカレーター登場」でも触れた、広小路「秋田キャッスルホテル」館内の「キャッスルプラザ」にかつて存在したカルチャーフロアに関するお話しを。

1985(昭和60)年の春「キャッスルプラザ」(旧・秋田プラザ) 3階に、ブックセンター、新星堂、ソニックプラザが新たに入居して、カルチャーフロアとしての様相を整える。

キャッスルプラザ
▲1985(昭和60)年4月 新聞広告

キャッスルプラザ

3F 知性のワンダーランド・・・・・・3Fの仲間たち

キャッスル ブックセンター(書籍)
コミックから専門書まで良書厳選8万冊。コンピューターによる本の情報スピードガイドで、本の検索も簡単。まさに「知の宝庫」。

キャッスル 新星堂(レコード他ミュージックソース)
LPレコード2万枚!! ミュージックテープ8千本!! コンパクトディスク3千枚など、県内随一の規模。ミュージックフリーク集まれ。

キャッスル フォト(カメラと写真)
写真のある素敵な暮らしを演出します。カラー写真は55分仕上げ。

キャッスル ロックイン 新星堂(楽器・スタジオ)
エレキギター、フォークギター、ギターアンプ、シンセサイザー、エフェクターなど、プロのニーズに応える楽器の数々。スタジオ完備。

ソニックプラザ(オーディオとエレクトロニクス)
AV時代にふさわしい、音と映像の新次元を切り拓く先進のショップ。オーディオ、ビデオはもちろん、パソコン、周辺機器も充実。

コーヒーショップ ブラジル(喫茶)
お買物のあい間にちょっとひと息。炒りたてのコーヒーをどうぞ。

コミュニケーションボードで、情報交換を・・・。
いわゆる伝言板です。
売ります。買います。交換します。など、ご自由にご利用ください。お申し込みは1Fインフォメーションへどうぞ。

いまどき無料(ロハ)のコインロッカー。
つまり、早い者勝ちです。
大きな荷物はロッカーへ預けて、らくらくショッピング。投入した100円はロッカー使用後お手元へ。

催し物ご案内
「秋田大学美術科3年次展」●4月12日(金) ~15日(月)●会場:3Fキャッスルホール
「春の器」●4月11日(木)~16日(火)●3F特設会場●主催・保原屋

「キャッスル 新星堂」の「LPレコード2万枚!! ミュージックテープ8千本!! コンパクトディスク3千枚」という品揃えのように、この時代はまだアナログレコードとCDが混在していた時代で、1985(昭和60)年の時点ではLPレコードがその数を圧倒していた。ミュージックテープというのは音楽が録音されたカセットテープのこと。

ようやく値段がこなれてきたソニー製コンポ用CDデッキを購入し、始めてCDを買ったのが「キャッスル新星堂」だった。

クリストファー・ホグウッド指揮 エンシェント室内管弦楽団
バッハ:ヴァイオリン協奏曲集
録音・1981年ロンドン
発売・日本ポリドール、ディスクのみ西ドイツ ポリグラム製 ¥3,500

ところがこのポリグラム製CDが音飛びがする不良品で、交換することになった顛末が記憶に残っている。初期は不良品が多かったらしい。

キャッスルプラザ
▲1986(昭和61)年5月 新聞広告

山瀬まみ 歌とサイン会
ホリプロタレントキャラバンで一躍スター街道に躍り出た 山瀬まみがいよいよ秋田に!
5/29(木) 4:30pm ~ 3F コミュニティ広場

高橋アキ エリック・サティの世界
出演/高橋アキ(ピアノ)お話と演奏
6/5(木) 6:00p.m~
会場/ 3Fキャッスルホール
●入場無料●

小林旭 オンステージ
6月30日(月) 秋田キャッスルホテル
●第1部/午後5時30分開場●第2部/午後8時30分開場
●お一人様(税・サービス料とも)19,000円

父親の転勤で「秋田城南中学校」に在籍したことがある山瀬まみ。その父親が支店長を務めていた「森永レストラン」は、山瀬まみがプロモーションで来秋した1986年、「マルサンショッピングセンター」から「キャッスルプラザ」2階に場所を移し、南欧風レストラン「morinaga カプチーノ」の店名で数年間営業していた。

1986(昭和61)年3月、歌手デビューした山瀬まみのキャッチコピーは「国民のおもちゃ新発売」。この年リリースされたデビューシングル『メロンのためいき』の作家陣は、作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆という豪華メンバーで、ホリプロの期待のほどがうかがわれる。呉田軽穂(くれだ かるほ)は松任谷由実のペンネーム。

「キャッスルホテル」ではまだ40代の小林旭によるディナーショー。

この時代、エリック・サティによる楽曲が、環境音楽として、ちょっとしたブームとなるが、その立役者が高橋アキであった。

シースルーエスカレーター
▲1986(昭和61)年6月 新聞広告

ビデオホール誕生!

3F・キャッスル新星堂店内に、100インチのビデオプロジェクター装備の本格的なビデオホール完成。
6/21(土) 2:00pm〜 MUSIC FLASH & 渡辺美里
6/28(土) 2:00pm〜 DAYS VIDEO CONCERT

 1986(昭和61)年6月「キャッスル 新星堂店」内にビデオホールがオープン。

キャッスルプラザ
▲1987(昭和62)年2月 新聞広告

3F 催しものご案内

THE BEE VIDEO CONCERT
2/28(土)PM 2:00 ~
TM NETWORK「TM VISION」
松岡英明「M's Design 1」

キャピタゴン・ビデオコンサート vol.14
「俺たちが、てっぺんだ。」
2/28(土) PM 3:00~
REACTION KAZUO TAKEDA & BOYS ON ROCKS
UP-BEAT「PRISONER of LOVE」

のりピーが来るぞ〜!
酒井法子●歌とサイン会
とき/3月10日(火)PM4.00~会場/3Fキャッスルホール
キャッスル新星堂にて酒井法子のシングル「男の子になりたい」をお買い上げの方にもれなく握手券とサイン色紙プレゼント。

80年代に入ると、多くのレコード会社が宣伝活動の一環として、各地のレコード店や小ホールにファンを集め、主に週末にプロモーション・ビデオを上映する「ビデオコンサート」をさかんに開催するようになる。

「キャピタゴン」はビクター主催、「THE BEE」はEPICソニー(現・エピックレコードジャパン)主催のビデオコンサート。

酒井法子 歌とサイン会は「キャッスル新星堂」主宰。山瀬まみ、高橋アキなどの物販がともなうイベントも同店が主宰したものだろう。

1985(昭和60)年に誕生したカルチャーフロアは「キャッスルプラザ」が「横浜そごう」の運営に変わった1991(平成3)年9月のリニューアルを前にして幕を下ろしたのは前回記事のとおり。

1985(昭和60)年から1991(平成3)年まで、約6年間つづいた「キャッスルプラザ・カルチャーフロアの時代」は丁度、バブル経済期と重なり合っている。

秋田キャッスルホテル
▲2010.05 キャッスルホテル

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1986 キャッスルプラザに透明エスカレーター登場

▲キャッスルのシースルーエスカレーター

秋田キャッスルホテル
▲2015.11

秋田キャッスルホテル
▲2019.05

秋田キャッスルホテル
▲2019.05

今回は「秋田キヤッスルホテル」広小路側の、サンルーム型シースルーエスカレーターのお話し。

1986(昭和61)年6月、その初期形態であるチューブ型シースルーエスカレーターが登場する。

シースルーエスカレーター
▲1986(昭和61)年 新聞広告

当時の「秋田キヤッスルホテル」(旧・秋田第一ホテル) 商業棟の名称は「キャッスルプラザ」(旧・秋田プラザ) 。「秋田プラザ」時代のことは文末の関連記事に。

シースルーエスカレーター

シースルーエスカレーター

知性が、ぐぐっと接近・・・。東北では新登場のシースルーエスカレーターは「知性のワンダーランド」3階への、とても便利な近道です。

ビデオホール誕生!
3F・キャッスル新星堂店内に、100インチのビデオプロジェクター装備の本格的なビデオホール完成。
6/21(土) 2:00pm〜 MUSIC FLASH & 渡辺美里
6/28(土) 2:00pm〜 DAYS VIDEO CONCERT

「知性のワンダーランド」とは、なんとも大袈裟なコピーだが、当時カルチャー・フロアであった3階へ直通する「東北では新登場のシースルーエスカレーター」の誕生と同時に「キャッスル新星堂店」内に「ビデオホール」オープン。最新のMVが無料で見ることができた。カルチャー・フロアの変遷などは後半で。

「キャッスルプラザ」の初期形態のチューブ型シースルーエスカレーターを製作するにあたって手本としたのは、1983(昭和58)年、東京都練馬区東大泉にオープンしたショッピングセンター「プラッツ大泉」のシースルーエスカレーターだろう。

シースルーエスカレーター
▲プラッツ大泉(西友 リヴィン オズ大泉店)

外壁を這うように配置された、SFチックなチューブ型エスカレーターが印象的だ。

チューブ型シースルーエスカレーターの起源をさかのぼると、1977(昭和52)年、パリに落成した「ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター」に到る。

シースルーエスカレーター
▲ポンピドゥ・センター

工事の足場が組まれまま残されたような外観の「ポンピドゥ・センター」の造形は当初、批判の的となった。

 
 
 
 
 
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▲「横浜そごう」との業務提携後サンルーム型エスカレータに

1991(平成3)年、チューブ型シースルーエスカレーターが現在のサンルーム型に改装される。

この年、経営不振がつづき、リニューアルを重ねていた「キャッスルプラザ」は「横浜そごう」との業務提携を開始。

それまでビル全体の運営を行っていた「秋田ビル」は、商業棟である「キャッスルプラザ」の運営を「横浜そごう」に委ねる。

「横浜そごう」100%出資の現地法人「秋田アレックス」を設立。「都心のセンスあふれるおしゃれなファッションスクエア」をコンセプトに全面改装。高級婦人既製服を中心とした品揃えで、1991(平成3)年9月リニューアルオープン。

それまでのチューブ型シースルーエスカレーターの外観がコンセプトにそぐわなかったためか「キャッスルプラザ」のリニューアルに際してサンルーム型に改装された。

それまで、書店、CDショップ、ソニーショップなどが入るカルチャー・フロアであった3階は、銘菓・日用品・寝装品・食料品・贈答品などを扱う「そごうギフトショップ」が大半を占めるようになり、目当ての店もなくなった自分は、ほとんど入館することがなくなってしまった。

「そごうグループ」の歴史を網羅したブログ「黒崎そごうメモリアル」に「横浜そごう」時代の「キャッスルプラザ」に関する記述があったので引用させて頂く。

株式会社「秋田アレックス」秋田県秋田市 資本金 2,000万円 「横浜そごう」子会社

キャッスルプラザ

キャッスルプラザ

1991年9月開館。6,823平米。秋田市中心部に位置するプレステージホテル「秋田キャッスルホテル」内のショッピングエリア。横浜そごうの子会社であるデベロッパー「秋田アレックス」が企画・運営していた。“サロン・ド・キャッスル”をコンセプトとしたハイグレードな店作りを展開。テナント数42店舗。モウワードブティック、ワールドキャビンなど。

ブログ「黒崎そごうメモリアル」より


▲キャッスルプラザ3階のテナント変遷

キャッスルプラザ(旧・秋田プラザ)3階のテナント変遷から、最初期と80〜90年代初頭を抜萃してみる。

1970(昭和45)年7月「第一ホテル・秋田プラザ」が入居する「秋田ビル」オープン。

開業当時「秋田プラザ」には衣料品の「辻兵」「森長」「佐々忠」菓子補「榮太楼」「かおる堂」駅前の「金萬」「マルシメ鎌田」「金鳥園」など、秋田市内の有名商店を中心に70店ほどが名を連ねたが、数年後にはその多くが撤退。

  • 開業当初、1970(昭和45)年の「秋田プラザ」3階テナント
  •  
  • ゲームセンター「金万遊園」(金萬)
  • お好み大食堂「○〆(マルシメ)鎌田」
  • 総合家庭用品「ボンマート」
  • 「なめかわカメラ」
  • 「タキタ美容室」
  • 「秋田プラザ家具部」
  • 和風レストラン「串一」
  • 催事場

まだカルチャー的なものは催事場だけだが、1階に「三浦書店プラザ店」が入居している。

1981(昭和56)年12月「秋田プラザ」を「キャッスルプラザ」と改名。

昭和60年代初頭「キャッスルプラザ」3階の催事場およびコミュニティ広場でアイドルによる物販、また「FM秋田」の番組「スプラッシュサウンド」の公開録音なども行われている。

  • 1986(昭和61)年5月「山瀬まみ 歌とサイン会」
  • 1987(昭和62)年3月「酒井法子 歌とサイン会」

父親の転勤で「秋田城南中学校」に在籍したことがある山瀬まみ。その父親が支店長を務めていた「森永レストラン」は、山瀬まみ来秋時、「マルサンショッピングセンター」から「キャッスルプラザ」2階に場所を移し、南欧風レストラン「morinaga カプチーノ」の店名で数年間営業していた。

  • 1987(昭和62)年3月「キャッスルプラザ」3階テナント
  •  
  • キャッスル ブックセンター
  • キャッスル 新星堂(レコード・CD・ミュージックテープなど)
  • キャッスル ロックイン 新星堂(楽器・スタジオ)
  • キャッスル フォト(カメラ・DPE・スタジオ)
  • ソニック プラザ(SONY製品 オーディオ・ビジュアル)
  • コーヒーショップ ブラジル
  • キャッスルホール(催事場)
  • ビューティーサロン・タキタ(美容・着付)
  • キャッツ(ファンシー雑貨)

カルチャー・フロアとして最も充実していた時期。のちに「ソニック プラザ」は店名を変えて保戸野学園通りに移転。「新星堂」は秋田市大町二丁目「ファッションアベニューAD」に移転する。

1・2階はブティック、雑貨など、大半が女性向けの店。

  • 1991(平成3)年11月「キャッスルプラザ」3階テナント(横浜そごう時代)
  •  
  • そごうギフトショップ キャッスルプラザ
  • ソシエ・レディスクラブ秋田(エステサロン)
  • シェイプアップスタジオ・ミューズ
  • キャッスルギャラリー
  • その他

「横浜そごう」が「キャッスルプラザ」の運営から手を引いたのち、1〜3階の商業棟は「キャッスルズアーケード」と改名。

2011(平成23)年の大幅なリニューアルで、2階が複数の医療施設で構成される「メディカルモール」となってからも、一部を「キャッスルズアーケード」と称していたが「秋田キャッスルホテル」のホームページを見ると、現在は「キャッスルズアーケード」の名は消え「秋田キヤッスルホテル 館内施設」に分類されている。現在のテナントは下記関連リンクに詳しい。

最後に、今ではほとんど使われることもなくなった、シースルーエスカレーターの画像を。

秋田キャッスルホテル
▲2019.09 三菱製エスカレーター

秋田キャッスルホテル
▲2019.05

秋田キャッスルホテル
▲2019.05

エスカレーターの運行は2階まで、3階へ向かうエスカレーターは停止中。

秋田キャッスルホテル
▲2019.05 千秋公園を望む

秋田キャッスルホテル
▲2006.12

向こう側に「木内」の側面。上掲画像に写る 1991(平成3)年の改装時に設置されたシャンデリアは今、取り外されている。

秋田キャッスルホテル
▲2018.12

秋田キャッスルホテル
▲2019.10

秋田キャッスルホテル
▲2018.09

秋田キャッスルホテル
▲2010.05

秋田キャッスルホテル
▲2015.10

秋田キャッスルホテル
▲2016.04

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秋田駅前定点観察・変形建築「緑屋ビル」近隣

▼秋田駅前定点観察 2004-2017

今回は記事が長くなったのであらかじめ概要を説明すると、まず前半は、秋田駅前「緑屋ピル」現在の正式名称「エスポワール緑屋」の西側、広小路に面した「ゼンオンビル」旧「美光堂」の、2004年から2017年にかけて、13年間の変化を定点観察。そして後半で「緑屋ピル」と近隣の、昭和から平成まで50年間をふり返る。

秋田駅前
▲2004.02

秋田駅前「緑屋ビル」一階右手にコンビニ「サンクス」が入居。その右隣に“カメラが安い”のキャッチコピーが見える「美光堂」は、すでに廃業してシャッターを下ろしたまま。

「美光堂」の左隣「緑屋ビル」の凹んだ壁面に張り付くように、小さな店を構える「キャッスルベーカリー」は、広小路「キヤッスルホテル」の焼きたてパンとエスプレッソコーヒーを販売する人気店。

秋田駅前
▲2004.03

カメラの「美光堂」右隣、居酒屋「屋々 YA-YA」が入る「ゼンオンビル」はもともと、レコード・楽器・楽譜を取り扱う「ゼンオン秋田営業所」があったビル。60年代末から70年代にかけて足しげく通った。

70年代末頃、仲小路「角繁ビル」一階に、支店「ミュージックスポット・ゼンオン」を開設。

秋田駅前
▲2004.04

カメラの「美光堂」が取り壊されて、ビルの谷間にポッカリと空間が出現。要塞めいた壁面を露出する「緑屋ビル」一階の「サンクス」はすでに閉店している。

美光堂
▲1973(昭和48)年7月 新聞広告

中央通りにも支店を置いた「美光堂」の現像所が、秋田市泉金ノ町の経営者宅地内にあって、そこで短期間バイトしたことがある。

広告のカメラは当時の人気機種「アサヒペンタックスSP」。今は手元にないが、自分がいちばん初めに手に入れた忘れがたき一眼レフ機。

秋田駅前
▲2004.10

「美光堂」跡地に新築された「コセキビル」にレストランなどが入る。

秋田駅前
▲2006.10

「ゼンオンビル」のテナントは「屋々 YA-YA」に代わって「東洋新食堂」。

秋田駅前
▲2009.11

「コセキビル」のテナントが一新。一階にドリームリンク経営の「炭火串焼き 助六」。二階のカフェ「Kissaten」は、2009年5月末まで秋田市保戸野通町で営業していた「てぃー・たいむはオブジェのように」が名を改めて復活した店。

「キャッスルベーカリー」が店舗と共に消失。現在(2017.08)後継店「キャッスルベーカリー 城東店」が秋田市広面字宮田の特別養護老人ホーム構内で営業している。

秋田駅前
▲2017.08

そしてこちらが最新の画像。

二台の自販機が並ぶ「キャッスルベーカリー」跡地。

「炭火串焼き 助六」跡に、ドリームリンク系の「駅前ラーメン すみたに」。「ゼンオンビル」のテナントは「東洋新食堂」に代わって「酒菜の隠れ家 月あかり」。

▼増殖する変形建築「緑屋ビル」

秋田駅前・緑屋ビル
▲Google Earthより

Google Earthで俯瞰すると、上に掲載した二つの飲食ビルが、緑色の「緑屋ビル」に囲まれているのがよく分かる。

「緑屋ビル」の前身「やまじんデパート」そのまた前身の「山甚ビル」も、扇形に近い不定形な敷地に建つ変形建築ではあったが「緑屋信販」が買収後、ビル裏側(西隣)に敷地を広げ、長方形・二階建ての別館(上掲画像右手)を増築。広小路側からもビルに出入りができた別館には、家具・インテリアが展示されていた。

さらにその後「やまじんデパート」時代にビヤガーデンが開かれた屋上に階を重ね、五階建てを七階建て?に増築したのが「MIDORIYA 家具インテリア」の箱文字看板が見える上階の突起部分。

このように増殖を重ねた末、まるで要塞のような変形ビルが完成。駅前再開発事業で金座街跡地にアゴラ広場が完工した前後に現在の外観となり、廃止された広小路側出入口につづく長方形二階建ての別館部分の多くが貸店舗となる。

1991年頃の西側別館のテナントは「アゴラ歯科」「サロンドマキシム」「アメリカンビリヤード」「シンデレラ」。

現在「緑屋ビル」の正式名称を「エスポワール緑屋」というが、ビル名にこの表記が見られるようになるのは1990年前後からで、最初はテナントが入る西側別館だけを「エスポワール緑屋」と称したらしい。

緑屋ビル
▲ 2016.06 アゴラ広場から「緑屋ビル」を望む

 

▼アーケードのある駅前商店街 1979

秋田駅前広小路
▲1980年秋田市発行『秋田 わが街と人と』より

秋田駅前から「電巧堂」「マルサン」「長崎屋」など、今は消えた大型店舗の看板がつらなる昭和の広小路を望む。

秋田駅前広小路

雪の降るなか、ねんねこ(赤ん坊をおんぶする時に着る綿入り袢纏)を着て、買い物袋を提げた母親の姿が時代を感じさせる。「ジャスコ秋田店」(なかよしビル)で買いものをして、これからバスで帰路につくのか、ジャスコ前の横断歩道をバスターミナルへと向かっている。

駅前アーケードに目をうつすと、手前から「美光堂」「ゼンオン」そして「クレジットの緑屋」の看板が見える「緑屋ビル」広小路側出入口。

確認できるその他の看板は、金座街西角の「メンズショップ かめや本店」「VAN ハウス」とつづき、その向こうに、赤地に四つ葉のクローバーを配した「電巧堂」(現デンコードー)の大きな屋上看板。

60年代から70年代にかけて、アイビー・ルックで一世を風靡したファッション・ブランド VANの専門店「VANハウス」は、隣接する洋服店「かめや」が経営。70年代初頭「VANハウス」で奮発して購入した濃紺のダッフルコートは、さすがに品質が良く、永い年月を経て親類の子どもへのお下がり品となった。

1984(昭和59)年3月「緑屋ビル」前のアーケードが積雪の影響により、長さ40メートルにわたって倒壊、通行していた卒業式帰りの高校生4人が下敷きになり、重軽傷を負う惨事が発生。事故からさかのぼること10年ほど前「緑屋ビル」の出入に支障をきたすことを理由に、支柱を切断した行為が倒壊の原因と推定された。

秋田駅前
▲2014.08

上掲写真から34年後の秋田駅前広小路。ねんねこ姿のお母さんが渡っていた横断歩道はスクランブル交差点となった。

秋田駅前
▲2012.06 アゴラ広場前・広小路より

画像右手「秋田チケット」などのテナントが入る部分が、かつての「緑屋ビル」広小路側出入口。

70年代後半に「緑屋ビル」が西側に別館を増築する前、広小路に面したこの場所に、女優・浅利香津代の生家「浅利旅館兼食堂」があった。旅館を廃業したあとであったか、晩年は一階部分をSONYの電化製品を主に販売する「ソニーショップ・ミュージックエース駅前店」に貸していた。

▼駅前「緑屋」盛衰・昭和から平成へ

緑屋ビル
▲1972(昭和47)年 新聞広告より

秋田駅前「緑屋」オープン時の新聞広告のイラストに一部彩色。

増設される前の非常にシンプルな外観だが、前身の「やまじんデパート」時代にはなかった屋上看板が新設されている。その看板に見える四つ葉のクローバーをデザインしたロゴマークが「電巧堂」のものに少し似ている。

クレジット販売の「緑屋信販」が南通りから秋田駅前に進出した当時の営業品目をあげると、主力の家具・インテリア・電化製品を中心に、スポーツレジャー用品・ファッション用品・貴金属・カメラ・時計・メガネ・レコード・楽器・住宅設備用品、等々と食料品以外の生活用品を場広く取り揃えていた。

70年代後半、県内8ヶ所に支店を展開、従業員約200人、年商約40億円規模の優良企業に成長をとげるが、あいつぐ県外大手量販店の進出が影響して、次第に事業規模を縮小していく。

1984(昭和59)年、大手量販店に対抗するため、YESブランドの「そうご電器」とフランチャイズ契約を結び、家電部門の業務提携を開始。一階から三階フロアを「緑屋そうご電器」が占め、四階以上を自社の家具コーナーとした。

こうして秋田駅前を舞台に「緑屋そうご電器」と至近距離に先にオープンした「電巧堂」とのあいだに、折り込みチラシを主要武器にした家電戦争が始まり、その流れ弾が個人経営による街の電気屋さんのシェアを奪っていった。

1989(平成1)年「そうご電器」とのフランチャイズ契約更新の交渉が決裂し、同年8月「緑屋そうご電器」を閉店するが、家電売場は継続。「そうご電器」は同年、広小路の「三浦書店」とフランチャイズ契約を結ぶが、そのお話しはいずれまた。

その後、家電と家具の専門店「緑屋」一階に、CD・レコード・ビデオを豊富に揃えた、レンタル・レコードショップ「グリーンパーク」を新設。県内最大規模のレンタル・レコード店だった。

90年代初頭、消防法の改正によりスブリンクラーの設置が義務づけられたことを契機にに、秋田駅前北地区再開発事業を念頭にビルの新築を計画。

地下一階、地上八階建て、地下から三階までをテナント用スペース、四階以上を自社の家具売り場とする計画であったが、バブル崩壊後の不況も影響し、計画は立ち消えとなる。

緑屋ビル
▲1990年頃

カラフルにライティングされた「緑屋」の壁面に、広告文を記した懸垂幕が確認できる。

右手の袖看板は「家具&電器」その下が「レンタルショップ グリーンパーク」。階上レンタルスペースのネオンは「富士通」と「TDK」。

緑屋ビル
▲2004.12

時代は飛んで2004年。未使用スペースが多くを占める「緑屋ビル」。カラフルに駅前を彩っていた照明も消えて久しい。

2003年、市内の広告代理店「アクティブイエロー」が、壁面に「アクティブビジョン」と称した大型屋外ビジョンを設置、音声付きの広告を流し始め、7年間ほど運営したあとに廃止。

緑屋ビル
▲2014.09

アサヒビールの看板に覆われて隠れていた増築部分壁面の「緑屋」ネオンサインが久々に顔を見せた。

秋田駅前に五階建ての「やまじんビル」(やまじんデパート)がオープンして約50年、経営が傾いたそのビルを買収した「緑屋信販」が駅前に進出して45年。

未使用スペースが大半を占めるなか、2017年8月現在、ビル内で「緑屋」が経営するのは、ゲームコーナーのあるリサイクルショップ 「グリーンライフ」と、ビリヤード・雀卓・卓球台が並ぶ「遊間専科アソヴェ」。店内改装のため「グリーンライフ」が2017年9月中旬から一時休業とのこと。

テナントの飲食店は「まぐろ居酒屋さかなや道場」「秋田きりたんぽ屋」「柚柚」など。

2017年5月、ビル内で最もにぎわっていた「アニメイト秋田店」が「フォンテAKITA」(旧・イトーヨーカドー秋田店)地階に移転。

支店については、90年代なかば、四ツ小屋にオープンした郊外型大型家具店「緑屋」南店が2010年頃に店をたたみ、大仙市花館に唯一残っていた支店・家具の「緑屋」大曲店の前を、2年ほど前に通過したときは閉店セールの最中であった。

「山甚ビル」「やまじんデパート」「緑屋信販」のことはまた日を改めて。

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象さんが「木内」でお買い物・昭和27年の春

木内デパート

▲昭和27(1952)年 新聞広告

秋田市広小路の老舗百貨店「木内」(きのうち)が、花見時に出した「さくらまつり」の新聞広告。

品目を見ると「純綿 キャラコ・天竺 特売会」「御徳用 はぎれの市」など、生地類が目につく。

ちょうど婦人の服装の主流が和服から洋服へと移行する時期で、既製服がまだ少なく、品質も良くなかったこの時代、多くの家庭が足踏みミシンを所有していて、とくに婦人・子供服は、主婦によるハンドメードが多かった。

洋裁の内職にも使えるミシンは嫁入り道具としても人気が高く、昭和31(1956)年には全国のミシン普及率が75%に達し、婦人雑誌は毎号、洋服の型紙を掲載、洋裁学校がブームとなる。

当時、秋田でミシンの割賦販売を専門にしていた「緑屋ミシン店」はのちに「緑屋信販」と名を変え、家電・家具なども扱うようになる。そして70年代初頭、経営不振に陥った「やまじんデパート」のビルを買収し秋田駅前に進出、家電・家具に加えて衣料品・スポーツレジャー用品も扱う総合小売店となるが、そのお話しは別の機会に。

広告掲載商品をいくつか抜粋しておく。

新柄ネクタイ1万点即売会

其他のサービス品
ランニングシャツ 100円
純綿敷布 300円
婦人ソックス2足 90円
子供セーター 220円
ビニールハンドバック 300円
本革抱鞄 2,900円
正絹ネクタイ 100円
木内特製石鹸 3カ 50円
純綿割烹着 180円
男物ゆかた地 480円

お菓子の夜間サービス
本日の分
毎夜7時より特別奉仕
◎花林糖100匁 70円
◎松風せんべい 80円
◎甘納豆    80円

松風せんべいとは、表面に白砂糖がまだらにかかった生姜風味の駄菓子のことだろう。

当時の物価の目安をあげると、公務員の初任給7千円、ラーメン一杯が25~30円ほど。

さて、前置きが長くなったが、今回のテーマである「象さんのお買い物」について。

木内デパート

午前中「木内」店頭まで「象さんがお買い物に来ます」とのこと。

折しも千秋公園二ノ丸広場では、観桜会にあわせてサーカス団がテントを張っていて、そのなかの小象が、公演前に中土橋から、まだ交通量の少なかった広小路の車道を通って「木内」店頭まで訪れたという。サーカスの告知と同時に「木内」にも人が集まる一挙両得な宣伝行為であった。

当時はお花見やお祭りにサーカスはつきもので、昭和30年代前後、20団体を超えるサーカス団が存在し、全国津々浦々を巡業していたが、今では小規模な個人経営も含めて約5団体と大幅に減少している。

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