二〇世紀ひみつ基地

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川反(駅前)にストリップ劇場があった時代

▼川反四丁目にストリップ劇場開場
 

ストリップ劇場
↑ 昭和43(1968)年 新聞広告

昭和43(1968)年9月、秋田市川反(かわばた)四丁目、老舗料理屋「かめ清」の北隣「キャバレー都」(ナイトスポット都)二階に、ヌード劇場「秋田ミュージックホール」が開場する。

翌44(1969)年、二階から一階に「秋田ミュージックホール」を移し新装オープン。

ストリップ劇場
↑ 鎌田五十治写真集『川反』’72~’73(1974)より

ストリップ劇場

成人映画と実演のプログラム。出演のストリップ嬢は、ローレン美山、リリー界、ローズ紅。

上掲の広告や看板に「関西ヌード」とあるが、おおまかにいえば、浅草六区を起源とする比較的に健全な関東系ストリップに対して、関西系は猥雑さを特徴としていた。

昭和45(1970)年11月、同劇場において、猥褻なヌードショーを演じたとして、コメディアン、ストリップ嬢、計12人を検挙、3ヶ月の営業停止処分を受ける。

ヌード劇場など営業を停止

‥‥前略‥‥
三カ月の営業停止処分をうけたのは秋田市大町四丁目(通称川反通り)のヌード劇場「秋田ミュージックホール」=同市川尻町●●●●、●●●●経営。さる十一月十日同劇場で観客の前で踊り子、コメディアンを使ってワイセツなヌードショーを演じて十二人が検挙された。営業停止期間は十二月二十三日から来年三月二十二日まで。‥‥後略‥‥
昭和45(1970)年12月25日『秋田魁新報』より

 

▼「秋田ミュージックホール」秋田駅前骨董ストリートに移転

摘発事件から間もなく、劇場を秋田駅前の市民市場裏通りに移転。短期間の営業の後に廃業した。

ストリップ劇場
↑ 新聞折り込みチラシ

ストリップ劇場跡
↑ 秋田駅前「秋田ミュージック劇場」跡 2016.06

右手(西側)角地が「秋田ミュージック劇場」跡。その向こう側右手に、最盛期は5軒ほどの骨董店が軒を連ね、高度経済成長期のはじめに発生した民芸ブームの影響もあって、県内外の客をあつめて繁盛していた。

「秋田ミュージック劇場」が存在した1970年代中期の住宅地図から同地区の骨董店を挙げると、南側から「太閤堂」「恋壺庵」「みちのく」「岩本美術店」「村越三笑堂」。

今は駅東に店を構える骨董店「温故堂」も、初期はこの地で営業したあと、中央通り「三光堂書店」斜向いを経て現在地に移転している。

80年代末の頃から徐々に閉店・移転が相次ぎ、最後まで残った「恋壺庵」が昨年(2016)移転、在りし日の骨董ストリートの面影は消失した。

かつての骨董ストリートを北進すると中央通りにぶつかり、その向こうに「金座街」があったことから、この通りには「南金座街」という通称もある。


↑ 秋田駅前「秋田ミュージック劇場」跡

都野鳥
↑ 川反「キャバレー都・秋田ミュージック劇場」跡「都野鳥」 2017.03

「キャバレー都」については下記リンク先を参照のこと。

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川反に“小人のマーチャン”来る・ゴジラの息子

小人のマーチャン
↑ 昭和33(1958)年 新聞広告

秋田市川反(かわばた)四丁目にあった「キャバレー都」に、昭和33(1958)年 “小人のマーチャン”が一座とともに来演。

特撮マニアには、ゴジラの息子・ミニラの“中の人”として知られる小人の芸人である。

深沢 政雄(ふかざわ まさお、1921年 - 2000年)は、日本俳優スーツアクター。芸名は「小人のマーチャン」、「マーチャン」。

来歴・人物

非常に小柄な体格で、これを生かした役柄が多く、「小人のマーチャン」の芸名で、日劇のショーやタップダンス、芝居、キャバレーや舞台でのコミックショーで活躍した。台湾東南アジアなど、海外興行の経験もある。

映画作品では、1967年に東宝の『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』製作の際にオーディションを受け、円谷英二有川貞昌両特技監督に見出され、当時46歳で「ミニラ」役に抜擢された。以降2作品にもミニラ役で出演している。それ以前にも特撮テレビドラマウルトラQ』(TBS円谷特技プロ)の怪獣「ガラモン」役の候補に挙がったことがあるが、採用はされなかった。

出演作品

映画

テレビ

深沢政雄 - Wikiwand

小人のマーチャン
↑ 「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」撮影風景

特撮監督・円谷英二から演技指導を受けるミニラ役のマーチヤン


↑ 怪獣島の決戦 ゴジラの息子(東宝1967)予告編

“小人のマーチャン”が来演した「キャバレー都」があった場所は、川反四丁目の老舗料理屋「かめ淸」の北隣。

キャバレー都
↑ 昭和34(1959)年 新聞広告

後期は「ナイトスポット都」とも称した同店は、キャバレー廃業後、昭和50年代中頃から、焼き鳥をメインとする居酒屋「野鳥みやこ」(現・都野鳥)に転業する。

都野鳥
↑ 「キャバレー都」跡「都野鳥」 2017.03

昭和40年代「キャバレー都」の二階に、ストリップ小屋がオープンするが、そのお話しは次回のお楽しみ。


↑ 「キャバレー都」跡

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川反「祇園街」残影・消えた小路

秋田市川反
↑ 川反「祇園街」南地区 2000.05

秋田市川反
↑ 2000.05

秋田市川反
↑ 2003.03

秋田市川反
↑ 2002.04

秋田市川反
↑ 2000.05

秋田市川反
↑ 2003.03

秋田市川反
↑ 2002.04

秋田市川反
↑ 2003.03

秋田市川反
↑ 2003.03

川反五丁目で中華料理店「中華園」を経営していた人が、昭和34(1959)年、有限会社「祇園街」を創設、徐々に店舗を拡張し、昭和37(1962)年「祇園街」が完成する。 経営者が京都祇園に近い中華料理店で修業していたことから、祇園の華やかさを願って「祇園街」と命名した。

両側に店舗が連なる南地区が冒頭の写真、撮影時には廃墟化が進行していた。

北地区の川反通りに面した角地に、1960年代中頃まであった民家の跡地に「祇園街」を最後の拡張、店舗数約60軒となる。川反通りから本町通りに抜ける小路は「祇園小路」と呼ばれた。

秋田市川反小路
↑ 祇園小路(祇園街)1980年代後期

秋田市川反
↑ 祇園小路(祇園街)跡 2017.03

1980年代の中頃、北地区の長屋店舗「祇園街」が、経営者が代わったためか、名称を「ニュー川反」と変更。その後、長屋店舗を取り壊した跡地に「ナカミ川反第1ビル」が完成する。

パチンコ文化センター

「祇園小路」の南側、今は駐車場になっている場所に1980年代後半まで存在した、パチンコ「文化センター」。ネオン看板に輝く「丸に星」のロゴマークが北朝鮮の国旗のそれに似ているが、その話は別の機会に。

秋田市川反
↑ 「文化センター」跡と「ナカミ川反第1ビル」 2017.03

アシベ
↑ 昭和44(1969)年

「祇園街」に短期間存在した、ミュージック・レストラン「ACB・アシベ」は、東京都中央区銀座七丁目にあった伝説のジャズ喫茶「銀座ACB・アシベ」と同名な店。昔の川反には、昼から営業する喫茶店や食べ物屋が多かった。

秋田市川反火災
↑ 昭和57年12月8日『秋田魁新報』

昭和57(1982)年12月8日未明「祇園街」南地区で火災発生、西側店舗が全焼した。

秋田市川反小路
2017.03 「祇園街」跡から川反通りを望む

平成15(2003)年7月「祇園街」南地区解体、跡地は駐車場となる。

秋田市川反
「祇園街」南地区跡 2008.05

冒頭の写真と同じく「ナカミ川反第1ビル」より撮影。

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宴の跡・電気メーターのある光景03

祇園街
秋田市大町五丁目 2000.05

解体前の「祇園街」にて
川反五丁目に存在した「祇園街」については近日中に投稿予定

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