二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●音楽●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

≫ EDIT

ドラマ『東京タワー』の主題歌『東京』

リリー・フランキーのベストセラー小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』がドラマ化され、フジテレビ系で放映されるが、その主題歌は、秋田出身のフォークトリオ「マイペース」が、70年代にヒットさせた「東京」。

地方在住者の「東京」への強い憧れを唄った、ノスタルジックかつセンチメンタルな原曲を、今回は沖縄出身のBEGINがカバーする。



昭和町の羽城中学校同期生で「ザ・リップス」を結成した三人は、やがて、60年代末から70年代、秋田フォーク界の中心人物であった山平和彦とめぐりあい、山平のバックバンド「ザ・ラブ」として活躍。1974年、山平プロデュースによる「東京」でデビューするや、オリコンシングルトップ100に45週連続登場というロングセラー、フォークソングでは異例の100万枚を越えるミリオンヒットを記録。

その後は目だったヒットのない、いわゆる「一発屋」に分類されるアーチストであるが、今も現役の森田貢を中心とするメンバーが紡ぎだす、繊細な詩世界と、ストレートな歌声による楽曲には、かくれた名曲も多い。

作詞者である森田の恋人は、秋田を離れ東京で仕事をしていてる。休日になれば電車に乗って、その人のいる東京へ会いに行くという、実話にもとづいた歌である。



20060717152422.gif

しかしそれは、歌詞を読めばわかるように、秋田からの視点で描かれたわけではない。名古屋で東海ラジオの深夜番組のDJなどで人気を得ていた山平和彦をたよって、「マイペース」の三人が岐阜に移住した、1973年以降に生まれた曲であることが、森田のサイト(後述)でも明かされている。

「マイペース」も、そのヒット曲「東京」も、山平の存在が無ければ、世に出ることもなかったけれど、自らはヒットとは無縁であった彼にとって、その大ヒットは複雑な心境だったのではないだろうか。

その全盛期、「神様」とだけ印刷された名刺を持ち歩き、それが似合うほどのカリスマぶりを発揮していた山平和彦は、2004年10月、都内の自宅付近で轢き逃げ事故にあい、五十二年の生涯に幕を下ろし、ほんとうの神様になってしまった。

検索してみたら、2001年の竿燈期間中、森田貢以外はオリジナルメンバーではないが、「マイペース」名義で、サンパティオ大町の中庭にてミニコンサートを開いている事がわかった。これは知らなかったなぁ。

-----------

関連記事

11月前半サーチワード・「東京タワー」急上昇

産館ホールに行こう

関連リンク

ドラマ「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」

マイ・ペース | マイペースな奴ら
森田貢 マイペースな奴ら

アルバム「東京」試聴
1994リリース

山平 和彦
略歴とディスコグラフィ



東京 東京
マイ・ペース (2006/01/21)
ビクターエンタテインメント
この商品の詳細を見る


三線の花 三線の花・東京
BEGIN (2006/10/25)
テイチクエンタテインメント
この商品の詳細を見る

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 18:00 | comments:1 | trackbacks:1 | TOP↑

≫ EDIT

産館ホールへ行こう

20050420233019.jpg
秋田産業会館 昭和三十年代

秋田県庁が山王に移転した空地の一角に、県内の物産品の公開展示、産業経済のセンターを目的とした「秋田産業会館」、通称「産館」が竣工したのは昭和三十五年(1960)。

九百五十人収容の大ホールでは、式典、大会、コンサートのほかに、秋田おばこコンテスト、見本市などの各種イベントが開かれる、県民にとってはなじみ深い施設だった。

常に若い世代とともに、その時々の流行の音楽が流れ、天井にはミラーボールが輝いていた産館ホール。初期にはダンパ(ダンスパーティー)の会場として連日のように満員になったという。男女の出会いの場でもあったダンパで奏でられる音楽は、ジャズからロカビリー、そしてゴーゴーダンスのエレキサウンドへと変遷、その後はフォークソングブーム、ロックバンドブームと続いた。

20050420233120.jpg
完成して間もない産館ホール内部
一階の椅子を移動すると、広いフロアになる

私の世代は60年代末から70年代のフォークソングブームのころ。
秋田のフォークソングムーブメントのカリスマ的存在であった山平和彦が率いる「あきたおんがくくらぶ」主催のコンサートでは、地元の山平をはじめとして、山平のバックバンドで後に「東京」でミリオンヒットを飛ばすマイペース、八竜の鬼才・友川かずき、能代高校同期生デュオ・とんぼちゃん、今は地元限定タレントあべ十全のデュオ・田吾作、天井桟敷の俳優・昭和精吾などがステージに上がり、中央からは先日五十六歳の若さで逝去した高田渡、永遠の少年・あがた森魚などのゲストを迎えて、産館ホールはおおいに盛り上がったものだ。

いつも若いエネルギーが満ちあふれていた産業会館は、平成一年(1989)にオープンしたアトリオンに受け継がれ、旧産業会館は別館として残ったが、老朽化と再開発用地であったことから取壊され、跡地はBMX、スケボー、ローラースケートの練習場となっている。

20050420233230.jpg
仲小路側から産館スケートパーク
その向こうに協働社ビルの跡地に建つ高層マンション
夏草やつわものどもが夢のあと


大きな地図で見る



附録:70年代「秋田フォークソングムーブメント」関連リンク

山平和彦 Discography
山平和彦 official
飯田川町に生まれ、秋田市立高在学中に 「あきたおんがくらぶ」結成。三年生のときデビューシングル「7月21日早朝に」をレコーディングし、卒業と同時に日本初のアンダーグランドレーベルURCからデビュー。
放送禁止を皮肉ったシングル「放送禁止歌」が、文字通り放送禁止に、同曲が収録された初アルバム内の「大島節」、「月経」が猥褻を理由に発売禁止、後に曲を入れ替えて発売。
名古屋に定着しDJ、プロデューサーなど。
昨年、轢き逃げ事故により逝去、享年五十二歳。

森田 貢(マイペース)プロフィール
「東京」試聴
山平のバックバンドをやっていた、マイペース。
「東京へはもう何度も行きましたね~」の「東京」は、フォークソングでは異例のミリオンヒット、ロングセラーとなる。今も現役の森田は才能豊かだった。

友川かずき official
友川かずき インタビュー
音楽生活30周年記念アルバムによせて 文/嵐山光三郎
ロック大学/友川かずき
八竜町出身。
繊細にして過激、秋田なまりのカタリと透明な絶叫、笑いと緊張の交差するライブ。
フォークソングという枠を超え、日本のオリジナルパンクなどと称される。
数々の伝説を残した、70年代秋田出身では最も印象深いアーチスト。
いまだに表現者としてのパワーは衰えず、昨年、三池崇史監督による映画『IZO』に、本人「友川かずき」役で出演し劇中歌を歌う。

とんぼちゃんファンサイト
能代高校同期生デュオ・とんぼちゃん
現在、市川(よんぼ)は秋田市のリバーシティオフィス社長(プロデュース業)。
鶴瓶に楽曲を提供し、秋田でジョイントコンサートを開いたことも。
卒業と同時に上京したので、秋田での活動は短い。

昭和精吾 official
大館鳳鳴卒業後上京、演劇の道へと進み、東映では『網走番外地』にも出演。
寺山修司のアングラ劇団「天井桟敷」に参加し多数の舞台に出演する。
70年ころ秋田で奥羽企画を立ち上げ、フォークシンガーらと活躍。
スタイルはギターを弾きながらの詩の絶唱だった。
奥羽企画の最初の企画が秋田県民会館でのコンサート。
高田渡、加川良、遠藤賢司、三上寛、あがた森魚、友川かずき、山平和彦という豪華メンバーで、2000人の動員を記録している。

あべ十全(田吾作)
「田吾作音頭」でメジャーデビューしたフォーク・デュオ「田吾作」は、シングルおよびアルバムを各一枚リリース。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |