貸本屋と貸本漫画の日々・消える昭和

先日、ひさしぶりに保戸野小学校界隈を散歩していたら、菊池木材の近くにこの間まであった元貸本屋の家があとかたもなく消えて更地になっていた。
とうの昔に貸本屋は廃業、残されたおばあさんが貸本屋時代のものを古本として売っていたのだが、その存在に気がついたときには、もう目ぼしい商品は、めざとい業者やマニアが買いあさったあと。
それでも、かつてはどこの本屋にもあった、雑誌を立て掛けて陳列する書棚もそのままに、往年の貸本屋の雰囲気を残す、今では珍しい昭和レトロ物件であった。

03.10
この店がオープンしたのは貸本屋全盛期の昭和36年頃、当時秋田市内には50軒を超える同業者がいた。放課後ともなれば、保戸野小学校の子どもたちが狭い店内にあふれ、休む暇もない忙しさだったのは、間近にあった駄菓子屋も同じ。

大人向けの小説、婦人雑誌、『明星』『平凡』などの月刊芸能誌、『少年』『少年画報』『ぼくら』『りぼん』『少女』など月刊漫画誌、単行漫画本などが所狭しと並び、一泊二日で10円、当日返却は5円で貸し出された。
貸本屋の全盛時代は、貸本屋向けの単行漫画本を専門に出版する業者と作家が多く存在した。白土三平の名作『カムイ伝』を連載してカルト的人気を集めた月刊漫画誌『ガロ』を出版した青林堂も、もともとは白土三平らの漫画を送り出した貸本出版社。
当時の貸本漫画はマニアのあいだで根強い人気があり、ものによっては古書市場でかなりの高価で取引されているが、最近になってこの時代の作品が次々と復刻され、ファンを喜ばせている。

水木しげる
小学館 復刻名作漫画シリーズより
貸本漫画のなかで印象深く心に刻まれている作品といえば、水木しげるの『墓場鬼太郎』シリーズや、水木氏の実体験をまじえた南洋戦記物など一連の作品。『ゲゲゲの鬼太郎』のオリジナルにあたる『墓場鬼太郎』は、後の鬼太郎にみられる、コミカルなかわいらしさなどみじんもない、暗く猟奇的な漫画だった。

角川文庫 貸本まんが復刻版より
その『墓場鬼太郎』にもさらなるオリジナルがある。それは伊藤正美原作の『ハカバキタロー』という戦前の紙芝居。水木は戦後、これを題材に紙芝居を製作、その後漫画家に転身する。
貸本漫画出身の主な男性作家をあげると、水木しげる、白土三平、さいとうたかを、つげ義春、楳図かずお など、手塚治虫の描く洗練されてモダンな漫画とは相反する、泥臭く個性的な作風の作家が多い。その泥臭さは貸本漫画と縁が深い、紙芝居という見世物的大道芸にも共通する匂い。

永島慎二・楳図かずお・白土三平
小学館 復刻名作漫画シリーズより
子どもの頃、よく通った貸本屋が、太平川橋のたもと、牛島商店街の「牛島文庫」。
貫禄のあるちょっとこわもての女主人の記憶力はすごかった。今時のレンタルショップは個人情報がパソコンに記憶されていて、カード一枚で借りることができるが、昔の貸本屋にはそんなものはない。主人の脳味噌の中に周辺住民の個人情報がインプットされていて、いちいち住所氏名を聞かれることはなく、そんなふうだから、地域外の初見の客には貸さない場合もあった。
折しも高度経済成長のグラフが右肩上がりをつづけていた時代、図書館の充実、急速なテレビジョンの普及による読書時間の短縮、経済的余裕などの要因がかさなり、貸本業界は経済成長にさからうように衰退の道をたどりはじめ、昭和64年、その10年前は50軒を超えた市内の貸本屋は5軒まで激減、それから間もなく、江戸時代から連綿と庶民文化をはぐくんだ、“貸本屋”という商売が存在したことすら知らない子どもたちの時代となる。

素人が懸命に造った“ゆるい”味わいの手書き看板はときに、その道のプロが“きっちり”と製作した看板よりも、見るものを惹きつける力を持つ場合がある。

04.03

06.06
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