二〇世紀ひみつ基地

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さようなら「ホテルはくと」協働社のウサギ


2013.02 クルーザー・バレー ホテルはくと

アパホテル県内初、秋田市に進出 「はくと」買い取り営業

 総合都市開発のアパグループ(東京)が、秋田市千秋矢留町の「クルーザーバレー・ホテルはくと」の土地、建物を買い取り、21日から「アパホテル秋田千秋公園」として営業を始める。県内にアパホテルがオープンするのは初めて。

 ホテルはくとは、鉄骨造り10階建てで客室は134室。分譲マンション販売のフナコシヤ(札幌市)が1999年、経営破綻した協働社から土地、建物を購入し、「ホテルはくと」の名称を残して営業を継続。2007年7月にリニューアルオープンした。

 しかし、その後、JR秋田駅周辺のホテルとの競争で苦戦を強いられ、売り上げが思うように伸びなかった。東日本大震災以降は、稼働率が1割程度にとどまる日もあり、ホテル経営はフナコシヤの不採算事業になっていたという。

 全国で192ホテルを運営するアパグループは、チェーン拡大計画の一環でホテル購入を決定。今後、全室に32型以上の大型液晶テレビを導入するほか、オリジナルブランドのベッドを設置するなどし、順次、ホテルをリニューアルしていく。 (2013/03/09 10:46 更新)
さきがけonTheWeb より

「アパホテル」は「ホテルハワイ」一号店(川反店)から数えて、この地で四代目のホテル経営会社となる。

昭和54年(1979)秋田市に本店を置く量販チェーン「協働社」が「ホテルハワイ」川反店を譲り受け、長期滞在者用客室を備えた「ホテルはくと・パンションはくと」としてリニューアルオープン。


ホテルはくと・パンションはくと(旧・ホテルハワイ川反店)

手前がホテル、奥にパンション、その向こうに「鷹の松」が小さく見える。

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メーカー直接仕入れ・大量仕入れ・薄利多売、そして協働共栄をモットーに、東北各地にチェーンを広げ、晩期はホテル業にも進出した「協働社」は、翌昭和55年(1980)浅利社長の地元で「協働社」創業の地である角館町の中心地に、ホテル兼商業施設「角館プラザビル」を建設。


角館プラザ

ホテルに「協働社」が同居し、最上階に回転展望レストランを設置した「角館プラザ」は、「角館プラザホテル」と名を変えて今も営業しているが、展望レストランは回転停止中。最近の姿は以下関連リンク先に。(追記・平成26年(2014)2月「角館プラザホテル」廃業。) 

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角館プラザホテルの写真一覧 - 旅行のクチコミサイト フォートラベル

「協働社」が経営した「ホテルはくと」の「はくと」とは「白兎」のこと、秋田市広小路「協働社ビル」の食堂街には、自社経営の和食レストラン「はくと」があった。

ウサギといえば「靴と傘なら協働社」のなつかしきシンボルマーク。多産なウサギは古来より「子孫繁栄・豊穣」を象徴する縁起の良い動物とされたが、それに加えて「協働社」のウサギには、創業者社長・浅利喜智治氏の経営精神が秘められていた。
昭和41年(1966)新聞広告より
絵と文・長崎抜天(ながさき ばってん・漫画家・1904-1981)

 「世間一般のデパートは、商品の品種を揃えることを目標としていますが」  ウチは少々違うと、協働社の浅利社長は解説してくれる。一般デパートは何でもあるが、さて好みの品を選ぼうとすると品数が少なくて案外希望するものが買えない。  「狭く深く・・・・・・がウチの目標です。カサ、クツ、ゴムグツ、電気器具などは特に重点的に揃えております」ゴム靴の売上げでは、日本中のデパートの最高だと自信満々。その表情には誠実さがあふれている。  「協働社という名に経営者の気持ちがうかがえますが、このウサギのマークも変わっていますね、耳の長いのと尻ッ尾の短いのは当然だが口が無くて後ろ足の短いのはどういうことで」  「他人の言をよく聞けと長いミミ、饒舌を慎めと口を描かず、捕らえられるような悪事をするなと尾を短く、亀に負けた愚を忘れるなと、長すぎた足を亀の足に代えました」経営者と従業員はこの精神で奉仕しているという。

「協働社」と浅利社長にゆかり深い、約35年間つづいた「ホテルはくと(白兎)」の名は失われ、間もなく「アパホテル秋田千秋公園」として生まれ変わる。「協働社」が元気だった昭和の記憶がさらに遠のくようで、なんだかさみしい。

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接客ロボットの名はミミちゃん・1971協働社ビル


昭和46年(1971)4月 新聞広告

「靴と傘なら協働社」のキャッチフレーズでおなじみ、秋田市広小路の量販チェーン・ストア本店「協働社ビル」の新聞広告。

当時、ゲームコーナーとイベントスペースがあった四階では「大蛇展」を開催中。「大蛇展」は70年代の人気企画、市内のデパートでも度々行われている。


昭和46年(1971)4月 新聞広告

ペットネームを募集している「CMガール」とは、一階と四階の入口に一時期設置されていた接客ロボット。

マットを踏むと電気が流れ、テーブル上の人形が頭を下げ、回転する仕掛けで、子どもたちの人気者だった。


昭和46年(1971)5月 新聞広告


昭和46年(1971)5月 新聞広告
CMガールのペットネーム(名前)が決まりました。
「ミミちゃん」です。

どうぞ仲良くして下さい
協子ちゃん、バニーちゃん、ミミちゃん、ラビットちゃんなど楽しい名前を沢山いただきましたが、次の方々が入選と決まりました。
決定した「ミミちゃん」を初めとして、協働社のシンボルマーク「ウサギ」にちなんだ投票が多かったようだ。

協働社の「ウサギ」に込められた秘密については次回に。



こちらは店員とお揃いの制服を着たミミちゃん。昨今の女子高生みたいにスカートがやけに短い。

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広告で見るバレンタインデー『秋田魁新報』編

広告で見るバレンタイン・プレゼント(2)日本(秋田)編


昭和33年(1958)2月14日『秋田魁新報』

おそらく秋田で最初のバレンタインデー企画広告。

中央下部の囲みにバレンタインデーについての解説がある。
今から約千七百年前アイルランドに「バレンタイン」というカトリック教徒がいました。その頃、ローマ皇帝はしきりにキリスト教を迫害しバレンタインも投獄されたりしましたが彼はそれにもめげず貧しい人々をあわれみ、子どもたちを可愛がり、すべての人を愛しました。しかし西紀元二六九年二月十四日、異教徒により遂に殉教したといわれています。それ以来この心やさしい聖徒バレンタインの日を記念し友情の日、敬愛の日、恋人の日などと呼び愛する人への心からの手紙や美しい贈り物をする習慣になっています。
以下拡大画像のように、内容は婦人向け商品が多い。


昭和33年(1958)2月14日『秋田魁新報』

秋田・放送局前 化粧品「ホープ」8ミリシネが当たる資生堂男子用化粧品デー
大町一丁目「竹谷徳之助」指輪
上通町「吉川洋品店」セーター・下着
能代市富町「誠和産業」紳士・婦人服地
大曲駅前「石橋ストア」
広小路「木内」婦人ショールほか


昭和33年(1958)2月14日『秋田魁新報』

金座街「大森」膝上靴下
川反五丁目・花とおしゃれの店「ヤマト」カネボウ化粧品
すずらん通り「竹屋」婦人セーターほか
横手市「ヤマカワ」
すずらん通り「佐藤洋傘店」洋傘・セーターほか
金座街・カバンと洋品の「金座マルキン」セーター・ワイシャツほか
横町・洋品の「ヒノデヤ」婦人セーターほか

バレンタインデー当日(金曜日)に掲載された広告を見て、実際にアクションを起こした人数は、はたしてどれほどだったのだろう。同様なバレンタインデー企画広告が掲載されるのは、これから数年後のことになる。


昭和37年(1962)1月16日『秋田魁新報』

大手菓子メーカーで、最も早くバレンタインデーとチョコレートを結びつけた広告を大々的に展開したのが森永製菓。


昭和37年(1962)1月16日『秋田魁新報』
あちらの映画・TVでおなじみ《愛の日》バレンタインデー.若いヒトが贈物や手紙を交換しあう日です.チョコレートをそえて贈れば,レイケンアラタカとか・・・・あなたも一度ためしてみては?!
「贈物や手紙を交換しあう」バレンタインデーのプレゼントの「添え物」として提案されたチョコレート。景品が指輪であるように、女性にターゲットを絞った企画であったが、宣伝効果はかんばしくなく一時中断している。


昭和43年(1968)2月13日『秋田魁新報』


昭和43年(1968)2月13日『秋田魁新報』


昭和43年(1968)2月13日『秋田魁新報』

秋田ステーション・広小路・名店街「竹谷本店」ガスライター
金座街・横町「アザミ」ブローチ・ネックレス ハンカチなど
金座街「ワタナベ時計店」各種ライター
広小路「木内」春の新色毛糸
金座街・おしゃれ用品「金座マルキン」ブラウス風セーター
駅前中央通り・おしゃれの店「マスコット」

解説文は昭和33年(1958)とほぼ同じ。当時は男性へのプレゼントの代表格であったライターの広告が2件。


昭和49年(1974)2月13日『秋田魁新報』広小路・協働社ビル


昭和49年(1974)2月13日『秋田魁新報』広小路・協働社ビル
心をヨセている彼への贈りものに
サンヨーカドニカカミソリ
ブラウンシンクロン
高級春物ネクタイ
VAN各種セーター
アーノルドパーマー・ボディシャツ
紳士用化粧品セット


昭和49年(1974)2月13日『秋田魁新報』広小路・木内デパート


昭和49年(1974)2月13日『秋田魁新報』広小路・木内デパート

70年代に入ると、バレンタインデーは「女性が思いを寄せる男性へプレゼントする日」という、本来とは異なる認識が一般化したのが商品のラインアップからうかがわれる。

昭和40年代前後からチョコレート業界・流通業界がこぞってバレンタイン商戦に力を入れ始め、50年代には日本独自のバレンタインデーが定着、脇役だったチョコレートがプレゼントの主役となり、その後、義理チョコ、返礼としてマシュマロやキャンデーを贈るホワイトデーが創案され、この時期がチョコレート業界のかき入れ時となった。


詳しい歴史は下記関連リンク先に。

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バレンタインデー - Wikipedia
日本のバレンタインデー - Wikipedia

バレンタインデーの起源と歴史[絵文録ことのは]

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海外「バレンタインデー。自分の娘にも当然プレゼントあげたよね?」海外の反応 | 10000km.com


| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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岡山軌道「たま電車」は秋田市電200形の末裔


秋田市広小路「協働社ビル」前 1960s

秋田市交通局 200形202号
昭和34年(1959)新車購入
日本車輌製造KK ボギー客車 定員96人
交通局に新型電車

市交通局に全鋼鉄製ドアエンヂン付の新型電車一両がおめみえした。
製作は日本車両製造、低床二軸のボギー車で八百二十万円。
扉は自動的に操作するドアーエンヂンで、ゴム入れ弾性の車輪は動揺も少なく乗心地も上々。車内の照明も交流点灯のけい光灯のモダンなもので、東京都電の新車なみ。
二月二十三日関係者の試乗もなかなかの好評ぶり。二十四日から一般路線にくり入れられて十六両の電車が秋田駅-土崎間の運転にあたる。
昭和34年3月1日発行『広報あきた』128号より
昭和41年(1966)の秋田市電廃止にともない、200形201号・202号の2両を1台150万円で岡山電気軌道KKに譲渡。大阪車両工業KKにて集電装置をポール式からパンタグラフ式に変更したワンマンカーに改造、外装も南国らしい明るい色に塗り替え、その名を1000形1001号・1002号と改め岡山市で再デビュー。


岡山電気軌道 1000形1001号・「岡山電気軌道株式会社」webサイトより

初めての大型ボギー車を導入した岡山電気軌道では記念乗車券を発行。弾性車輪を装備した静かで乗り心地の良い1000形車輌は市民の好評を博した。


岡山電気軌道 1979/2/11

8ミリフイルムに記録された貴重映像。冒頭部分、3005号が出発して間もなく、オレンジ・ホワイトのツートンカラーにワンマン車を示すブルーラインが入った1001号(旧秋田市電)が停留所へ入ってくる。

昭和56年(1981)、クーラー付き新造車体への更新を期に、名称を1000形から7100形(7101号・7102号)と改めるが、足回りに旧秋田市電の台車・制御器・モーターを継承。

平成21年(2009)4月、グループ会社である和歌山電鐵・貴志川線貴志駅「猫の駅長たま」のイラストで7100形7101号をラッピング。「たま電車」の愛称で人気を呼ぶ。

誕生から50余年、秋田市から身売りされて約45年の歳月を経て姿はすっかり変わったが、岡軌7100形(7101号・7102号)両車輌の心臓部には旧秋田市電の器機が受け継がれ、今も市民の足として活躍している。


「たま電車」7100形7101号・「岡山電気軌道株式会社」webサイトより


たま電車(岡山電気軌道)


秋田市広小路「旧・協働社ビル前」2010.01

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関連リンク

岡山電気軌道株式会社 電車営業部(路面電車)

彷鉄 岡山電気軌道 1002
1002号車カラー写真

岡山電気軌道

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