二〇世紀ひみつ基地

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「お菓子のくらたビル」に「竹半スポーツ」移転

お菓子のくらた・竹半スポーツ
2015.01

2014年2月に閉店した「お菓子のくらた」ビルに、サンパティオ大町の「竹半スポーツ」本店が規模を縮小して移転、オープンは1月15日の予定。

竹半スポーツ
サンパティオ大町・竹半スポーツ 2015.01

サンパティオ大町
サンパティオ大町 2008.05

左手に施設内最大面積の「竹半スポーツ」。

1997年3月、「秋田魁新報社」跡地に「サンパティオ大町」オープン。運営する「秋田パティオ協同組合」の初代理事長は、当時「竹半スポーツ」代表取締役であった竹屋直太郎氏。氏はこの地の再開発に心血を注いでいただけに、撤退するとは思ってもみなかった。

お菓子のくらた
婦人会館・日赤跡地 2003.07

1970(昭和45)年4月、湯沢市の老舗菓子店「くらた」が仲小路に秋田店を開設。

1977(昭和52)年10月、改築オープン。
一階・菓子店舗、二階・パーラー、三階・洋菓子工場、四階・パン工場、五階・社員寮。 

新たにパン・デニッシュ・ドーナツの製造販売を初め、二階にパーラーを新設。

北・西方向に大きく開いたガラス張りのパーラーは、焼きたてのパン類、抹茶・玉露に和菓子のセットやランチも提供し、主に女性客でにぎわっていた。

お菓子のくらた

90年代初頭

1998年、秋田赤十字病院が秋田市上北手に移転。以降、売上げが激減、パーラーも一時閉鎖。隣に明徳館ビルがオープンした機会に再開するが長続きせず。

お菓子のくらた
2005.03

店舗前の電話ボックスは最近撤去された。

2012年7月、婦人会館・日赤跡地に「エリアなかいち」がオープンするも、期待した売上げは微増にとどまり、開店から約44年、2014年2月に閉店する。

現在(2015.01)お菓子の「くらた」は、県内で11店舗を経営、その内、秋田市内に4店舗がある。

エリアなかいち
エリアなかいちより 2012.07

お菓子のくらた
エリアなかいちより仲小路を望む 2012.10


竹半スポーツ(お菓子のくらた跡)
 

お菓子のくらた

 

 

 

 

竹半スポーツ

 

 

 

 

サン・パティオ

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明徳館から「エリアなかいち」まで・根小屋町の220余年

▼秋田県「教育の中枢」東根小屋町

東国において「山上に城のある城下町」を意味する「根小屋・ねごや」という地名が付けられた東根小屋町の一画、藩の馬場・馬小屋ならびに佐竹家臣の屋敷数軒を取り払った跡に、寛政2年(1790)藩士のための学校「学館」落成。

校名を「明道館」次いで「明徳館」と改称、儒学を中心に医学館、和学方、武芸所(槍・刀・居合・柔術・弓術・軍学)を併設、明治始めまで存続した。


「明徳館」明治27年刊『小学教科秋田県史話』より


明治元年「秋田城郭市内全図」より
点線で囲まれた区画に記された「師範学校」「裁判所」は明治元年以降に創設された施設。

明治3年(1870)「明徳館」を「藩学校」と改称。
明治4年(1871)廃藩置県にともない「藩学校」を「県学校」と改称。
明治5年(1872)8月、学制発足により「県学校」廃校。
明治5年(1872)10月「秋田県庁」を旧城(現・千秋公園本丸)から旧「明徳館」に移設。
明治6年(1873)「秋田県庁」(旧・明徳館)焼失


▼火に呪われた師範学校時代

明治7年(1874)「秋田県庁」(旧・明徳館)跡に、教員養成を目的とした「伝習学校」および「洋学校」を合併した「太平学校」を新築開校。以降、学校制度の変更に合わせて、校名をめまぐるしく変える。


「太平学校」初代校舎

明治10年(1877)「太平学校」焼失
明治11年(1878)3月「太平学校」再築。


「太平学校」再築校舎

明治11年(1878)4月「太平学校」を「秋田県師範学校」と改称。
明治11年(1878)12月「秋田県師範学校」を「秋田師範学校」と改称。

明治14年(1881)「秋田師範学校」焼失
明治16年(1883)「秋田師範学校」新校舎落成。


「秋田師範学校」新校舎

明治19年(1886)「秋田師範学校」を「秋田県尋常師範学校」と改称。
明治31年(1898)「秋田県尋常師範学校」を再び「秋田県師範学校」と改称。

明治40年(1907)12月「秋田県師範学校」全焼

明治42年(1909)4月、女子部を独立させ「秋田県女子師範学校」を創設、通称「女子師範」。「秋田県師範学校」は男子校に。
明治42年(1909)9月、秋田市手形字深田(現・手形学園町、秋大キャンパスの一部)に「秋田県師範学校」を新築移転。(この手形新校舎も火災に遭い、昭和4年、保戸野原の町、現「秋大附属小・中学校」の地に移転)

東根小屋町の「秋田県師範学校」跡地は「秋田県女子師範学校」の校地となる。


▼「秋田県女子師範学校」校舎の時代


「秋田県女子師範学校」大正初期撮影

明治42年(1909)4月「秋田県女子師範学校」開校。

昭和18年(1943)「秋田県師範学校」および「秋田県女子師範学校」を統合し、官立「秋田師範学校」創立。旧「秋田県女子師範学校」校舎に女子部を設置。

昭和24年(1949)「秋田師範学校」「秋田青年師範学校」「秋田鉱山専門学校」を統合、新制「秋田大学」発足。

まだ新校舎を建設する余裕もない復興期、旧「秋田師範学校」男子部(保戸野原の町、現「秋大附属小・中学校」の地)に学芸学部(本部)を、旧「秋田師範学校」女子部(東根小屋町)に学芸学部教育部を設置。この時代、学生たちは時間割に合わせて各校舎を行き来することになる。

昭和38年(1963)手形キャンパスに「学芸学部本館」「音楽棟」「体育館」竣工。東根小屋町および保戸野からの移転を完了。昭和42年、学芸学部を教育学部に改称。

昭和39年(1964)、空き家となった東根小屋町の旧「秋田大学学芸学部教育部」校舎に、「県立秋田高等学校定時制課程」から独立した「県立秋田東高等学校」(現・県立秋田明徳館高等学校定時制課程)が入り、昭和42年(1967)まで使用。

昭和41年(1966)1月「市立山王中学校」焼失。市内4カ所での分散授業を開始。翌年の新校舎完成までの期間「県立秋田東高等学校」を仮教室として、二年生16学級が授業を受ける。

昭和42年(1967)3月、中通六丁目に「県立秋田東高等学校」新校舎完成、移転。

各学校の詳細は下記リンク先に。

関連リンク
秋田師範学校 - Wikipedia
秋田大学 - Wikipedia
秋田県立秋田明徳館高等学校 - Wikipedia


▼昭和36年「婦人会館・児童会館・福祉会館」オープン

秋田国体が開催された昭和36年(1961)10月、「秋田大学・学芸学部教育部」北側に「秋田県婦人会館」オープン。三階建てのビル内に「県児童会館」「県福祉会館」が同居。「児童会館」は現「秋田県民会館」の場所から移転、その他は新設された施設であった。

昭和55年(1980)4月「県児童会館」山王の現在地に移転オープン。
昭和61年(1986)8月「県社会福祉会館」旭北栄町に竣工。
平成元年(1989)11月、中通二丁目にオープンした「秋田総合生活文化会館アトリオン」6階に「婦人会館」入居。


▼秋田赤十字病院の30年間、そして空洞化

昭和43年(1968)「県立秋田東高等学校」跡地に「秋田赤十字病院」新築移転。中央通り側にはビルが建ちならび始める。


第三代「秋田赤十字病院」左手(西側)に「血液センター」

昭和49年(1974)「県婦人会館」西隣角地の「秋田市保健所」跡に、交通事故被害者の救命を目的とした「秋田県交通災害センター」オープン。仲小路を隔てた「秋田赤十字病院」三階部分と渡り廊下で結ぶ。


「秋田県交通災害センター」中通一丁目

「秋田市保健所」は「県婦人会館」の向かい、道路を隔てた東側に移転。平成11年(1999)八橋の現在地に移る。平成17年「秋田市保健所」跡地に秋田県教育・福祉複合施設「明徳館ビル」(県立秋田明徳館高等学校)竣工。

平成10年(1998)「秋田赤十字病院」秋田市上北手に新築移転。職員ならびに来院者を主なターゲットとしていた近隣の商店・飲食店は大きな打撃を受け、市街地の空洞化が顕著となる。

日赤・婦人会館跡地に「キャッスルホテル」を含めた再開発計画が立てられるが、景気の低迷も影響して実現は先送りとなり、跡地はイベント広場として利用される。

平成13年(2001)8月、20日間にわたって県内で開催されたスポーツ国際大会「ワールドゲームズ秋田大会」に合わせて、砕石を敷いて整備した日赤・婦人会館跡地に「ワールドゲームズプラザ」オープン。世界各地からの選手もまざって、連日のにぎわいをみせた。


ワールドゲームズプラザ・於日赤・婦人会館跡地


秋田大会公式キャラ「ナミー&ハギー」ワールドゲームズプラザにて

関連記事
二〇世紀ひみつ基地 秋田の元祖ゆるキャラ「ナミー&ハギー」

関連リンク
2001年 秋田大会(第6回)| 特定非営利活動法人 日本ワールドゲームズ協会

再開発地にはホテルのある複合商業施設を建設、「キャッスルホテル」跡地に駐車場を造る計画だったが、先の見えない再開発にしびれを切らした「キャッスルホテル」は計画から離脱、平成23年(2011)全館リニューアル・オープンする。


2010.05 中通一丁目 中央通り

平成24年(2012)7月、日赤・婦人会館跡地、中通一丁目再開発地区に、当初の計画より床面積を大幅に縮小して「エリアなかいち」オープン。

平成24年(2012)9月、旧「三光堂書店」をはじめとするビルが並んでいた中央通り側にマンション「セントラルアベニュー中通」(エリアなかいち住宅棟)竣工。


2012.10 中通一丁目 中央通り

関連リンク
Central Avenue 中通【公式】エリアなかいち 秋田市中通1丁目新築分譲マンション


▼附録1「秋田県女子師範学校」校舎変遷・明治から昭和まで


「秋田県女子師範学校」大正初期撮影 校門は現・中央通り側

明治42年(1909)4月「秋田県女子師範学校」開校
昭和18年(1943)官立「秋田師範学校」女子部
昭和24年(1949)新制「秋田大学」学芸学部教育部
昭和39年(1964)定時制高校「県立秋田東高等学校」
昭和41年(1966)焼失した「市立山王中学校」の仮教室を「県立秋田東高等学校」内に置く
昭和42年(1967)「県立秋田東高等学校」移転、校舎解体


▼附録2「明徳館」跡地・変遷レイヤー・明治から平成まで



ベース・明治42年(1909)開校「秋田県女子師範学校」配置図(藩校「明徳館」跡地)

緑・昭和36年(1961)〜平成元年(1989)「県婦人会館」
赤・昭和43年(1968)〜平成10年(1998)「秋田赤十字病院」「血液センター」
青・昭和49年(1974)「秋田市保健所」跡に「秋田県交通災害センター」オープン
黄・昭和44年(1969)頃、新設道路「仲小路」秋田駅前から「産業会館」脇まで貫通。

平成24年(2012)竣工「エリアなかいち」内建造物配置図


大きな地図で見る

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2012.06.29「エリアなかいち」竣工

中通一丁目地区(日赤・婦人会館跡地)市街地再開発事業「エリアなかいち」の工事が2012年6月29日をもって完了。住宅棟は今秋竣工の予定。商業棟は7月5日のオープンを前に準備が進む。


2012.06 広小路側植栽


2012.06 秋田市にぎわい交流館


2012.06 仲小路より


2012.06 左・商業棟(駐車場)右・秋田市にぎわい交流館


2012.06 左・商業棟(駐車場)右・秋田市にぎわい交流館 正面・美術館


2012.06 左・美術館 右・秋田市にぎわい交流館


2012.06


2012.06


2012.06


2012.06


2012.06 左・美術館 右・秋田市にぎわい交流館


2012.06 新県立美術館

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| 散歩写真・路上観察 | 21:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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中通一丁目再開発地区盛衰・1970→2012・エリアなかいち

日赤・婦人会館跡地、中通一丁目再開発地区に2012年7月オープンする「エリアなかいち」の、広小路に面するストリートの盛衰を、過去記事の画像もとりまぜてまとめてみた。


1970「長崎屋」広告より

画像右上は、最上階から千秋公園を展望する「ファミリーレストランすずや」。


1971 県民会館の土手より広小路を望む



広小路が歩行者天国になった日曜日に撮影。貸ボートが遊ぶ穴門堀の向こう、左から、「長崎屋」「モリタカバン」「イワマ靴店」「モードササキ」「オノ時計店(工事中)」「ヒラノビル」、道をはさんで「秋田プラザ・第一ホテル」。

「ヒラノビル」の南側(裏側)「第一ホテル」向かいに、うなぎの「横田屋」が経営する「桃園ビル」が建ち、その北側の「秋田保健所」跡地に、1974年(S49)「秋田県交通災害センター」開院。仲小路を隔てた「秋田赤十字病院」と渡り廊下で結ぶ。


1973.06 県民会館の土手より広小路を望む

左から「日本生命秋田ビル・カワイ楽器」「セントラルデパート」「長崎屋・古沢ビル」「モリタカバン」「イワマ靴店(後にミスド)」。



初代アーケード下の歩道に延々とつづく人の流れ。平日も人通りが多く、休日ともなれば歩くだけで疲れるほどのにぎわいだった。

高度経済成長の波に乗った60年代から70年代にかけて、中央通り・広小路を中心にビル建設ラッシュとなり、新店舗が続々とオープンする。一部店舗については末尾の関連記事を参照のこと。

1965年(S40)協同組合「秋田セントラルデパート」オープン。
1969年(S44)「古沢ビルディング」竣工、秋田初の中央資本によるデパート「長崎屋秋田店」オープン。
1970年(S45)秋田地方裁判所跡地に「秋田第一ホテル・秋田プラザ」(現・キャッスルホテル)オープン。
1981年(S56)売り上げの低迷により「長崎屋秋田店」撤退。
1983年(S58)「長崎屋秋田店」跡に若者向け専門店「スタジオパレット」オープン。
1994年(H6)「秋田セントラルデパート」解体、跡地は駐車場に。

2003年(H15)からはじまった秋田中央道路(地下道)出口の工事にともない「古沢ビル」以西の建物が解体される。


2003.09

お堀の水を抜いて秋田中央道路(地下道)の工事中。「古沢ビル」西隣で「モリタカバン」解体中。

「セントラルデパート」跡地は駐車場。

「古沢ビル」のテナントは「カラオケゆー坊」「リーチ麻雀 遊楽」「ヤマハ音楽教室」など。




2006.11

一階テナント「ICI石井スポーツ秋田広小路店」


2010.10

一階テナント「ひろこうじレンズセンター」。屋上看板塔、ネットで覆われる。


2010.11 千秋公園・中土橋より


2010.11 日本生命ビル解体中


2010.11


2010.11


2010.11 古沢ビル解体中


2010.11 西根小屋町より広小路を望む

右手に古沢ビル


2011.01


2011.04

再開発エリアのなかで残った建物は、中央通り側・南東角地に位置する、比較的最近建てられた「秋田センタービル」のみ。


2012.05 県民会館の土手より「エリアなかいち」を望む

そしてもういちど、秋田の中心商店街として輝いていた70年代の広小路を。


1973.06 県民会館の土手より広小路を望む

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