二〇世紀ひみつ基地

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1979「住友生命秋田ビル」に「パルナス」オープン

▼マルナカ跡地・まぼろしの「秋田中三デパート」計画

1979(昭和54)年3月、秋田市中通二丁目の中央通り沿いに「住友生命秋田ビル」竣工。

●地下1階、地上11階建
●設計/(株)日建設計
●施工/戸田建設(株)

山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲2009.03

「住友生命秋田ビル」(現・山二ビル) が建つ、十字路の角地はもともと、秋田市内にチェーン展開したスーパーマーケット「マルナカ」(旧名・秋田中央市場) の創業地であった。

「マルマカ」本社が大町一丁目(旧・上肴町)に移転した跡地および、東隣の「河北新報秋田支社」跡地を、1971(昭和46)年、青森に本社を置く「中三百貨店」が買収。

地下1階、地上8階、塔屋4階のデパートを計画するも、市場調査の結果、採算を見込めないと進出を断念。1972(昭和47)年に用地を転売屋に売却する。


▼「住友生命秋田ビル」に「パルナス」誕生

山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲新聞広告

地上41メートルにも春風。街の流れが変わります。
“住友生命秋田ビル”中央通りに完成

見えてきた。見えてきた。
3月10日。住友ビルに、「パルナス」誕生。
美しくなるための冒険ではない 自分をひとつのカラに閉じ込めない
自分自身の生き方を大切にする人々の集う、新しいクオリティ・ライフ・ゾーン
PALNAS SUMISEI SQUARE

「住友生命秋田ビル」は当初、全館オフィスビルとして設計されていたが、中央通り商店街の商店主らの要請と「秋田市商店街連合会」のサポートにより、一部を店舗として開放することを決定、着工間際になって設計を大幅に変更することに。

地元商店主らの意図は、商店街として成熟した秋田駅前・広小路に対し、損保会社や金融機関が多く、ショッピングゾーンとしての魅力に欠ける中央通りの集客力を高めること。

こうして、1・2階が女性をターゲットとしたショッピング・スペース、その片側にオフィス棟を載せた逆L字形の下駄履きビルが誕生した。

山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲新聞広告より

有馬晴彦とデキシージャイブ
秋田で初公開のデキシーミュージックで始まるオープニング。街頭演奏の華やいだ雰囲気が、道ゆく人の心も、街もはずませます。赤いオープンカーによるパレードをお楽しみに!! あさってが晴れでありますように。(雨天の場合、パルナスの前で演奏いたします。
★ラッキー・フラワー・プレゼント
当日、各テナント・店頭のフラワーワゴンのお花をお客様に差上げます。お花の中にラッキーカードが入っていて、当たった方には素敵なプレゼントをいたします。

1F
●SPACE SHOP JIN KIKKAWA
●プルミエール 新樹
●ELDIER マツヤ
●化粧品・輸入雑貨 ベルモア
2F
●宝石・時計 オノ宝飾
●きもの 有坂
●毛皮 エンバ
●ワコールファッションショップ チルチル
●ロイヤル・コペンハーゲン・ティー ヒラノ
●Rチェーン ルイ美容
●ブティック マツヤ アマール

山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲「パルナス」跡 2010.11

山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲「パルナス」跡 2012.06

山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲「パルナス」跡 2019.08

山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲新聞広告より オフィス棟・入居テナント

開業当初のテナントで 2019年8月現在も入居しているのは「住友生命秋田支社」「ジャックス」「東北ダイケン」。

鳴り物入りでオープンした「パルナス」であったが、80年代後半からテナントが撤退しはじめ、1987(昭和62)年の時点で1階は空き家、2階に「ルイ美容室」と「毛皮エンバ」が残るのみ。

数年後、完全に空き家となった1・2階の「パルナス」跡に「住友生命秋田支社」が上階から移転。

やがて「パルナス」の誘致を進めた「秋田市中央通り商店街振興組合」は解散。その原因は役員による組合費の横領が発覚したためだとか。

前回記事のとおり、2013(平成25)年「住友生命秋田ビル」が「山二ビル」に改称。同ビルのシンボルツリーであった、前面のケヤキ並木が伐採される。

2019(令和1)年11月、レンタルオフィス事業を展開する外資系企業「日本リージャスホールディングス」が「山二ビル」6階に「リージャス秋田駅前センター」を出店。シェアオフィス・レンタルオフィスを開設。

山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲「山二ビル」(旧・住友生命秋田ビル)  2019.09

山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲「山二ビル」(旧・住友生命秋田ビル) の裏側は「アトリオン駐車場」

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消えた「住友生命秋田ビル」のシンボルツリー

山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲2009.03

二階建て建築の片側にビルを載せたような、下駄履き・逆L字形の外観がユニークな、秋田市中通二丁目、中央通り沿いの「住友生命秋田ビル」。

ビル前面の手入れが行き届いたケヤキ並木は、建設時にランドスケープ(人工物と自然の調和・景観)デザインに基づいて植栽されたもの。

山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲2012.05

 山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲2010.11

企業空間と公共空間が交わる間(あわい)にあって、四季折々に彩りを変えるケヤキ並木はビルに調和し、街並に潤いをもたらす。

1983(昭和58)年、当ビルが「昭和57年度 市民が選ぶ都市景観賞」を受賞。

ちなみに「住友生命秋田ビル」の斜め向かいにかつて存在した「マルシメ鎌田」経営の、秋田杉を豊富に使った「杉のやビル」も、同年度の都市景観賞を受賞している。

山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲2010.12 

山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲2013.09

2013(平成25)年の初秋「住友生命秋田ビル」のケヤキ並木が消えた。

伐採されてから間もなく、テナントサイン(案内板)のビル名が「山二ビル」に変更され、同年10月「山二」本社が秋田駅前から同ビル10階に移転。屋上壁面の箱看板も「住友生命」から「Yamani」に置き換えられた。

1・2階の「住友生命秋田支社」および上階の同社支部は改称前と変わらずに入居。

ビルのオーナーが変わったのを機に、維持管理費がかさむケヤキを伐採したのだろうか。いずれにしろ、約35年間維持されてきたランドスケープ・デザインが台無しになってしまった。

中央通りの街路樹であるイチョウがここだけ途切れていることもあって、ケヤキが消えた街並に、もの寂しさを感じる。

山二ビル(旧・住友生命秋田ビル)
▲2019.09

次回は「住友生命秋田ビル」が逆L字形に設計された理由と、その1・2階にかつてあった、オシャレなショッピングゾーンのことを。

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昭和残影・色と音と光の専門店「デンキヤ」秋田市中央通り

デンキヤ
▲旧「デンキヤ」ビル 2015.06

秋田市中通三丁目、中央通りに面した旧「デンキヤ」ビルが、竣工から約50年経過した2019(令和1)年6月に解体された。

デンキヤ

デンキヤ
▲2019.05

デンキヤ
▲1970(昭和45)年6月 新聞広告

1970(昭和45)年6月17日、家電販売店「デンキヤ」オープン。

電気屋に「デンキヤ」とは、なんともストレートなネーミングだが、印象的で覚えやすい良い店名だと思う。

同店を経営したのは、山王大通りに本社を置く、三菱電機代理店「菱明三菱電機機器販売」。

菱明三菱電機機器販売
▲菱明電機機器販売株式会社 2017.07

デンキヤ
▲1970(昭和45)年8月 新聞広告

「お買いあげ10,000円以上の方を北島三郎ショー ご招待」サブちゃんはまだ30代前半。

17形(17インチ)カラーテレビの現金正価(現金一括払いで購入した場合の希望小売価格)が 157,000円(デンキヤ価格122,000円)15形で現金正価 129,000円(デンキヤ価格98,000円)と、公務員の初任給(基本給)が36,000円ほど時代、おいそれとは手が出せない高額商品。そのため分割払いで購入するのが普通だった。

三菱カラーテレビ高雄▲1970(昭和45)年

同じ1970(昭和45)年の三菱カラーテレビ「高雄」19形の現金正価は197,000円。

1969(昭和44)年末時点の秋田県内の白黒テレビ普及率が89.9%なのに対して、カラーテレビ普及率はまだ14.2%。

70年代、カラーテレビの普及率は年ごとに倍増、量産が進むにつれ価格は下がりつづけた。

デンキヤ
▲1970(昭和45)年10月 新聞広告

秋田で初めてのスピーカー制作コンクール

パイオニアスピーカー PIM-16A(ロクハン)を¥1,700を特別価格¥1,000でおわけします。作り方はあなたの自由です。ユニークで優秀な音のスピーカーシステムに完成させてください。お寄せ頂いたスピーカーは全部メーカー専門工場で測定し、順位を決め後日表彰、豪華賞品を差しあげます。

パイオニアの名器、16cm フルレンジ スピーカーユニット PIM-16A を使った、自作派オーディオマニアをターゲットにした、スピーカーシステム制作コンクール。パイオニアの主催で全国で開催された。

デンキヤ▲1972(昭和47)年6月 新聞広告

2年前の1970(昭和45)年の広告と比べると、三菱17形カラーテレビの現金正価が 157,000円(デンキヤ価格122,000円)だったのが、現金正価126,000円(デンキヤ価格98,000円)と実売価格で10万円を切っている。

さらに、10万円以上のカラーテレビを買うと古いテレビを25,000円で下取りするサービスも。

そのほか、三菱カラーテレビ「高雄」20形が現金正価149,000円(デンキヤ価格124,000円)。三菱14形ポータブルカラーテレビの現金正価89,800円(デンキヤ価格76,000円)。白黒テレビで最も安いのは、ビクター12形白黒テレビ 定価29,000円(デンキヤ価格22,000円)。

デンキヤ
▲1974(昭和49)年1月 新聞広告

菱明OA電算事業部
▲1983(昭和58)年12月 新聞広告

1983(昭和58)年12月、廃業した「デンキヤ」跡に「菱明三菱電機機器販売」OA電算事業部が新事務所「コンピュータ」を開設、一階に各社オフィスコンピューター等を展示するショールームを置く。

三菱MULTI16▲1983(昭和58)年 雑誌広告より

●16ビット●日本語●オンライン
三菱パーソナルパソコン
MULTI16

8インチモデル

MP-1622
モノクロディスプレイ、主記録装置192KB
標準フロッピーディスク2台、標準キーボード
93万円(標準価格)

MP-1625
カラーディスプレイ、主記録装置256KB
標準フロッピーディスク2台、標準キーボード
113万円(標準価格)

「デンキヤ」跡に「コンピュータ」が開設された年、三菱から発売されていたパソコンMULTI16シリーズ。パーソナルパソコンとあるが、個人向けではなく、主に業務用に使われた。

8インチ8色カラーディスプレイ・メモリ256KB・8インチ2Dフロッピーディスク×2で113万円。ハードディスクは内蔵されず、オプションで追加できる外付ハードディスクの容量は20MBで、価格は30万円ほど。

同年のMULTI16シリーズで最も安価なMP-1601Sは、5インチモノクロディスプレイ・メモリ128KB・5.25インチ2Dフロッピーディスク×1で53万円。

8インチは小型タブレットサイズ、5インチといえば、小さめのスマホのサイズだ。

デンキヤ
▲2018.09

「コンピュータ」時代にビルの側面に掲示された「三菱コンピュータ」の文字は、西隣にビルが建ったことで隠れてしまったが、ビルの狭間に注目すると、三菱の赤いロゴマーク・スリーダイヤがチラリと顔をのぞかせている。 

デンキヤ
▲2004.02

「コンピュータ」撤退後、2000年初頭、一階にコンビニ「ローソン」が短期間入居。

上掲画像、旧「デンキヤ」ビルの小路を隔てた東隣に見える呉服店、旧「きもの有坂」ビルも2018(平成30)年に解体されて、今は駐車場になっている。


▲家電販売店「デンキヤ」跡

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1973 大町にGパンの「ドン」オープン

70年代秋田のジーンズ・ブーム(2)

仙台に本社を置き、東北・北海道に店舗を展開するジーンズ・ショップ「アメリカ屋」のウェブサイトによれば、その創業は戦後間もない昭和25(1950)年。

1950年(昭和25年)宮城県石巻立町にて、斎藤商店創業[(株)アメリカ屋の前身]


米軍の古着等を仕入れ、北海道、東北各地を訪ね販売を開始。

1970年(昭和45年) 待望の固定型店舗となる石巻立町店オープン。

‥‥後略‥‥

会社案内 | ジーンズショップ アメリカ屋 より

東北における輸入中古衣料・ジーンズ販売のパイオニア「斎藤商店」が、60年代から70年代にかけて、秋田でバザーを開催した会場は、コンサート・イベント会場、そしてダンスホールとしても利用され、県民に親しまれた「秋田産業会館」一階大ホール。ホールを埋めつくす多彩かつ大量の商品にいつも圧倒されたものだ。

米軍払下品バザー
↑ 70年代「斎藤商店」折り込みチラシ

フライトジャケットMA-1 を初めとする米軍払下げ品、スカジャン、Gパンなど衣料品の他、登山用品、ハイピーシートなど、幅広い品揃え。ハイピーシートとは今でいうブルーシート類のこと。

米軍払下品バザー
↑ 70年代「斎藤商店」折り込みチラシ

米軍払下品バザー
↑ 上掲チラシ 部分拡大

こちらのチラシを見ると、共催店として「斎藤商店」と血縁関係にあった秋田のジーンズショップ「ドン・日米」が名を連ねている。「日米」は「ドン」の姉妹店で営業期間は短かった。


▼ジーンズの「ドン」大町一丁目にオープン

若者のあいだでジーンズ・ブームが本格化した、昭和48(1973)年8月、秋田市大町一丁目「秋田魁新報社」(現・サンパティオ大町)斜め向かいに、ジーンズショップ「ドン」開業。経営者は「斎藤商店」起業家の五男。

ジーンズショップ・ドン
↑ 昭和48(1973)年 折り込みチラシ

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」跡 2016.09

創業当時の建物が今も残るジーンズショップ「ドン」一号店跡。

チラシに「Gパンのデパート」とあるものの、数人の客で満員になるほどの狭い店内は商品であふれ、正面のテント看板に大きく店名が踊っていた。

次々と飛ぶように売れるジーンズの裾上のため、一日中ミシンを使う店員は腱鞘炎になったという。

「ドン」が立ち退いたあと、平成8(1996)年7月、この地で「チーズ&ワイン アベ」が創業、平成21(2009)年、古川堀反町通りに移転。そのあとに入居したレストラン「米カフェ」も向かいに新築移転したため今(2017.11)は使われていない。

ジーンズショップ・ドン

「ドン」のシンボル・イラストを、当時のクラフト紙袋風に再現。

ジーンズショップ・ドン
↑ 昭和58(1983)年 新聞広告

70年代中頃、中央通りの家電店「工藤テレビ」跡に支店を開設。当初は二階にグランド喫茶「王朝」があった。のちに改装して「中央通りNKビル」と改称、二階の喫茶店は「葡萄屋」に。

中央通りNKビル
↑ 中央通りNKビル 2004.01

「中央通りNKビル」晩期の店舗は、二階 Beer & Cafe「SR」三・四階に刺身居酒屋「一心太助」。平成23(2011)年、日赤跡地再開発事業により解体される。

なかいち駐車場入口
↑ 中央通りNKビル跡 エリアなかいち駐車場入口 2017.08

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「日米」→「ドン」南通り店跡 2017.05

同じく70年代、南通りにジーンズショップ「日米」を開設。のちに「ドン」と名を改める。

斜め向かいに「ドン」南通り店が新築移転したあと、ウエスタン風の三階建てを改修して居酒屋「ひょっこり屋」が入居。平成23(2011)年2月、ノロウイルスによる集団食中毒を起こし、数日間の営業停止処分をうけて間もなく廃業する。

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2015.04

一時は「秋田フォーラス」にも出店していたが、最終的に南通り本店に一本化。この地にかつて、家電・家具の月賦販売「緑屋信販」が存在した。

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2011.02

二階で同社がアンティーク・ショップも営んでいたが数年前に廃業。

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2015.04
 

▼ジーンズの老舗「ドン」42年の歴史に幕を下ろす

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2014.11

平成26(2014)年、閉店セールが始まり、間もなく閉店。

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2016.08

平成27(2015)年、しばらく門を閉ざしていた「ドン」の看板が「BLUE HOPE」(上掲画像右手)に架け替えられて営業再開。在庫整理のために再開したのであろうその店も、最後は全品80%off、展示用什器も含めて破格の価格で処分する閉店セールの後、平成28(2016)年6月12日閉店。42年におよぶ歴史に幕を下ろす。

ジーンズショップ・ドン
↑ 解体中のジーンズショップ「ドン」南通り本店 2016.08

白壁でベランダがあるコロニアル様式の「ドン」が解体された跡地には、同地の東側で活動拠点を構えていた日蓮宗系新興宗教団体の会館が移転・新築された。

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