二〇世紀ひみつ基地

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1973 大町にGパンの「ドン」オープン

70年代秋田のジーンズ・ブーム(2)

仙台に本社を置き、東北・北海道に店舗を展開するジーンズ・ショップ「アメリカ屋」のウェブサイトによれば、その創業は戦後間もない昭和25(1950)年。

1950年(昭和25年)宮城県石巻立町にて、斎藤商店創業[(株)アメリカ屋の前身]


米軍の古着等を仕入れ、北海道、東北各地を訪ね販売を開始。

1970年(昭和45年) 待望の固定型店舗となる石巻立町店オープン。

‥‥後略‥‥

会社案内 | ジーンズショップ アメリカ屋 より

東北における輸入中古衣料・ジーンズ販売のパイオニア「斎藤商店」が、60年代から70年代にかけて、秋田でバザーを開催した会場は、コンサート・イベント会場、そしてダンスホールとしても利用され、県民に親しまれた「秋田産業会館」一階大ホール。ホールを埋めつくす多彩かつ大量の商品にいつも圧倒されたものだ。

米軍払下品バザー
↑ 70年代「斎藤商店」折り込みチラシ

フライトジャケットMA-1 を初めとする米軍払下げ品、スカジャン、Gパンなど衣料品の他、登山用品、ハイピーシートなど、幅広い品揃え。ハイピーシートとは今でいうブルーシート類のこと。

米軍払下品バザー
↑ 70年代「斎藤商店」折り込みチラシ

米軍払下品バザー
↑ 上掲チラシ 部分拡大

こちらのチラシを見ると、共催店として「斎藤商店」と血縁関係にあった秋田のジーンズショップ「ドン・日米」が名を連ねている。「日米」は「ドン」の姉妹店で営業期間は短かった。


▼ジーンズの「ドン」大町一丁目にオープン

若者のあいだでジーンズ・ブームが本格化した、昭和48(1973)年8月、秋田市大町一丁目「秋田魁新報社」(現・サンパティオ大町)斜め向かいに、ジーンズショップ「ドン」開業。経営者は「斎藤商店」起業家の五男。

ジーンズショップ・ドン
↑ 昭和48(1973)年 折り込みチラシ

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」跡 2016.09

創業当時の建物が今も残るジーンズショップ「ドン」一号店跡。

チラシに「Gパンのデパート」とあるものの、数人の客で満員になるほどの狭い店内は商品であふれ、正面のテント看板に大きく店名が踊っていた。

次々と飛ぶように売れるジーンズの裾上のため、一日中ミシンを使う店員は腱鞘炎になったという。

「ドン」が立ち退いたあと、平成8(1996)年7月、この地で「チーズ&ワイン アベ」が創業、平成21(2009)年、古川堀反町通りに移転。そのあとに入居したレストラン「米カフェ」も向かいに新築移転したため今(2017.11)は使われていない。

ジーンズショップ・ドン

「ドン」のシンボル・イラストを、当時のクラフト紙袋風に再現。

ジーンズショップ・ドン
↑ 昭和58(1983)年 新聞広告

70年代中頃、中央通りの家電店「工藤テレビ」跡に支店を開設。当初は二階にグランド喫茶「王朝」があった。のちに改装して「中央通りNKビル」と改称、二階の喫茶店は「葡萄屋」に。

中央通りNKビル
↑ 中央通りNKビル 2004.01

「中央通りNKビル」晩期の店舗は、二階 Beer & Cafe「SR」三・四階に刺身居酒屋「一心太助」。平成23(2011)年、日赤跡地再開発事業により解体される。

なかいち駐車場入口
↑ 中央通りNKビル跡 エリアなかいち駐車場入口 2017.08

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「日米」→「ドン」南通り店跡 2017.05

同じく70年代、南通りにジーンズショップ「日米」を開設。のちに「ドン」と名を改める。

斜め向かいに「ドン」南通り店が新築移転したあと、ウエスタン風の三階建てを改修して居酒屋「ひょっこり屋」が入居。平成23(2011)年2月、ノロウイルスによる集団食中毒を起こし、数日間の営業停止処分をうけて間もなく廃業する。

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2015.04

一時は「秋田フォーラス」にも出店していたが、最終的に南通り本店に一本化。この地にかつて、家電・家具の月賦販売「緑屋信販」が存在した。

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2011.02

二階で同社がアンティーク・ショップも営んでいたが数年前に廃業。

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2015.04
 

▼ジーンズの老舗「ドン」42年の歴史に幕を下ろす

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2014.11

平成26(2014)年、閉店セールが始まり、間もなく閉店。

ジーンズショップ・ドン
↑ ジーンズショップ「ドン」南通り本店 2016.08

平成27(2015)年、しばらく門を閉ざしていた「ドン」の看板が「BLUE HOPE」(上掲画像右手)に架け替えられて営業再開。在庫整理のために再開したのであろうその店も、最後は全品80%off、展示用什器も含めて破格の価格で処分する閉店セールの後、平成28(2016)年6月12日閉店。42年におよぶ歴史に幕を下ろす。

ジーンズショップ・ドン
↑ 解体中のジーンズショップ「ドン」南通り本店 2016.08

白壁でベランダがあるコロニアル様式の「ドン」が解体された跡地には、同地の東側で活動拠点を構えていた日蓮宗系新興宗教団体の会館が移転・新築された。

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秋田杉の殿堂「杉のや」1977 開館・○〆鎌田

マルシメ鎌田・杉のや
昭和52(1977)年 新聞広告

秋田駅構内で酒まんじゅうの実演販売、秋田駅前の飲食ビル「鎌田会館」のほか、県内外でミスタードーナツを展開していた鎌田グループが、昭和52(1977)年11月、秋田市中通四丁目に、総合飲食ビル「ロイヤル鎌田・杉のや」をオープン。

キャッチフレーズは「人生の門出から一家の団らんまで・・・心がふれあう笑顔の広場」。

秋田駅ビルおよび秋田空港ターミナルビルに「杉のや支店」を開設すると、「ロイヤル鎌田・杉のや」は「杉のや本店」と呼ばれるようになる。

 各階のご案内

 近づく冬の足音。忘年会や結婚式の噂でもちきりのこの頃。また鎌田グループの新しいスターが誕生しようとしています。その名も、ロイヤル鎌田《杉のや》。外観はもとより、各階ごとにこりにこった仕上げと趣向・・・。人生の門出から一家の団らんまで・・・。“心がふれあう、笑顔の広場”となるよう、味と真心でご奉仕させていただきます。

マルシメ鎌田・杉のや

杉のやロイヤル鎌田《杉のや》1F

マルシメ鎌田・杉のや

マルシメ鎌田・杉のや
昭和52(1977)年 新聞広告

マルシメ鎌田・杉のや

オープン当日は、盛岡のチャグチャグ馬コによる花嫁道中が披露され、秋田杉の容器を使った“杉のや定食”が先着100名に無料提供された。

秋田杉の曲げわっぱを容器とし、さけ・えび・かど(ニシン)山菜などを具材に、かまどの直火で蒸した「わっぱめし」は「杉のや」の名物。

マルシメ鎌田・杉のや
昭和54(1979)年 書籍広告

マルシメ鎌田・杉のや

御影石を敷きつめ、グレーの瓦ぶき屋根をのせた和風のエントランス、正面中央に三色のアルミ板を杉綾模様に組み、その両翼に組木をイメージしたフレームを施し、内装に秋田杉を多用。

建材から食器まで“秋田杉”にこだわり、内外装に趣向を凝らしたユニークな建物は、昭和57年度・市民が選ぶ「都市景観賞」に選定される。

昭和64(1989)年、新事業展開と経営改善のため、「杉のや本店」の建物・土地を、山梨県都留市に本社を置き、秋田県鹿角市に誘致企業「アイデックス」を経営する、金型加工メーカー「相川プレス工業」に約20億円で売却。

「杉のや本店」は「相川プレス工業」とリースバック契約を結び、改装後、テナントとして入居して営業をつづけた。

市内のホテルがブライダル・宴会部門に力を入れてきたことも影響し、大小宴会場の利用が低下していた「杉のや本店」は、テナント契約の更新条件が折り合わず、平成10(1998)年5月末に閉店。ほどなくビルは解体されて駐車場となるが、とても堅牢な建物で取り壊しに苦労したという。

秋田駅ビル内の「杉のや支店」を閉じたあと、最後に残った空港ターミナルビル内「杉のや支店」の経営から数年前に手を引き譲渡。旧鎌田グループの事業はミスタードーナツのみとなり、前掲記事のとおり、創業70年目の平成28(2016)年2月倒産した。

緑色でマーキングした部分が「杉のや本店」跡地、エントランスは東を向いていた。

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明徳館から「エリアなかいち」まで・根小屋町の220余年

▼秋田県「教育の中枢」東根小屋町

東国において「山上に城のある城下町」を意味する「根小屋・ねごや」という地名が付けられた東根小屋町の一画、藩の馬場・馬小屋ならびに佐竹家臣の屋敷数軒を取り払った跡に、寛政2年(1790)藩士のための学校「学館」落成。

校名を「明道館」次いで「明徳館」と改称、儒学を中心に医学館、和学方、武芸所(槍・刀・居合・柔術・弓術・軍学)を併設、明治始めまで存続した。


「明徳館」明治27年刊『小学教科秋田県史話』より


明治元年「秋田城郭市内全図」より
点線で囲まれた区画に記された「師範学校」「裁判所」は明治元年以降に創設された施設。

明治3年(1870)「明徳館」を「藩学校」と改称。
明治4年(1871)廃藩置県にともない「藩学校」を「県学校」と改称。
明治5年(1872)8月、学制発足により「県学校」廃校。
明治5年(1872)10月「秋田県庁」を旧城(現・千秋公園本丸)から旧「明徳館」に移設。
明治6年(1873)「秋田県庁」(旧・明徳館)焼失


▼火に呪われた師範学校時代

明治7年(1874)「秋田県庁」(旧・明徳館)跡に、教員養成を目的とした「伝習学校」および「洋学校」を合併した「太平学校」を新築開校。以降、学校制度の変更に合わせて、校名をめまぐるしく変える。


「太平学校」初代校舎

明治10年(1877)「太平学校」焼失
明治11年(1878)3月「太平学校」再築。


「太平学校」再築校舎

明治11年(1878)4月「太平学校」を「秋田県師範学校」と改称。
明治11年(1878)12月「秋田県師範学校」を「秋田師範学校」と改称。

明治14年(1881)「秋田師範学校」焼失
明治16年(1883)「秋田師範学校」新校舎落成。


「秋田師範学校」新校舎

明治19年(1886)「秋田師範学校」を「秋田県尋常師範学校」と改称。
明治31年(1898)「秋田県尋常師範学校」を再び「秋田県師範学校」と改称。

明治40年(1907)12月「秋田県師範学校」全焼

明治42年(1909)4月、女子部を独立させ「秋田県女子師範学校」を創設、通称「女子師範」。「秋田県師範学校」は男子校に。
明治42年(1909)9月、秋田市手形字深田(現・手形学園町、秋大キャンパスの一部)に「秋田県師範学校」を新築移転。(この手形新校舎も火災に遭い、昭和4年、保戸野原の町、現「秋大附属小・中学校」の地に移転)

東根小屋町の「秋田県師範学校」跡地は「秋田県女子師範学校」の校地となる。


▼「秋田県女子師範学校」校舎の時代


「秋田県女子師範学校」大正初期撮影

明治42年(1909)4月「秋田県女子師範学校」開校。

昭和18年(1943)「秋田県師範学校」および「秋田県女子師範学校」を統合し、官立「秋田師範学校」創立。旧「秋田県女子師範学校」校舎に女子部を設置。

昭和24年(1949)「秋田師範学校」「秋田青年師範学校」「秋田鉱山専門学校」を統合、新制「秋田大学」発足。

まだ新校舎を建設する余裕もない復興期、旧「秋田師範学校」男子部(保戸野原の町、現「秋大附属小・中学校」の地)に学芸学部(本部)を、旧「秋田師範学校」女子部(東根小屋町)に学芸学部教育部を設置。この時代、学生たちは時間割に合わせて各校舎を行き来することになる。

昭和38年(1963)手形キャンパスに「学芸学部本館」「音楽棟」「体育館」竣工。東根小屋町および保戸野からの移転を完了。昭和42年、学芸学部を教育学部に改称。

昭和39年(1964)、空き家となった東根小屋町の旧「秋田大学学芸学部教育部」校舎に、「県立秋田高等学校定時制課程」から独立した「県立秋田東高等学校」(現・県立秋田明徳館高等学校定時制課程)が入り、昭和42年(1967)まで使用。

昭和41年(1966)1月「市立山王中学校」焼失。市内4カ所での分散授業を開始。翌年の新校舎完成までの期間「県立秋田東高等学校」を仮教室として、二年生16学級が授業を受ける。

昭和42年(1967)3月、中通六丁目に「県立秋田東高等学校」新校舎完成、移転。

各学校の詳細は下記リンク先に。

関連リンク
秋田師範学校 - Wikipedia
秋田大学 - Wikipedia
秋田県立秋田明徳館高等学校 - Wikipedia


▼昭和36年「婦人会館・児童会館・福祉会館」オープン

秋田国体が開催された昭和36年(1961)10月、「秋田大学・学芸学部教育部」北側に「秋田県婦人会館」オープン。三階建てのビル内に「県児童会館」「県福祉会館」が同居。「児童会館」は現「秋田県民会館」の場所から移転、その他は新設された施設であった。

昭和55年(1980)4月「県児童会館」山王の現在地に移転オープン。
昭和61年(1986)8月「県社会福祉会館」旭北栄町に竣工。
平成元年(1989)11月、中通二丁目にオープンした「秋田総合生活文化会館アトリオン」6階に「婦人会館」入居。


▼秋田赤十字病院の30年間、そして空洞化

昭和43年(1968)「県立秋田東高等学校」跡地に「秋田赤十字病院」新築移転。中央通り側にはビルが建ちならび始める。


第三代「秋田赤十字病院」左手(西側)に「血液センター」

昭和49年(1974)「県婦人会館」西隣角地の「秋田市保健所」跡に、交通事故被害者の救命を目的とした「秋田県交通災害センター」オープン。仲小路を隔てた「秋田赤十字病院」三階部分と渡り廊下で結ぶ。


「秋田県交通災害センター」中通一丁目

「秋田市保健所」は「県婦人会館」の向かい、道路を隔てた東側に移転。平成11年(1999)八橋の現在地に移る。平成17年「秋田市保健所」跡地に秋田県教育・福祉複合施設「明徳館ビル」(県立秋田明徳館高等学校)竣工。

平成10年(1998)「秋田赤十字病院」秋田市上北手に新築移転。職員ならびに来院者を主なターゲットとしていた近隣の商店・飲食店は大きな打撃を受け、市街地の空洞化が顕著となる。

日赤・婦人会館跡地に「キャッスルホテル」を含めた再開発計画が立てられるが、景気の低迷も影響して実現は先送りとなり、跡地はイベント広場として利用される。

平成13年(2001)8月、20日間にわたって県内で開催されたスポーツ国際大会「ワールドゲームズ秋田大会」に合わせて、砕石を敷いて整備した日赤・婦人会館跡地に「ワールドゲームズプラザ」オープン。世界各地からの選手もまざって、連日のにぎわいをみせた。


ワールドゲームズプラザ・於日赤・婦人会館跡地


秋田大会公式キャラ「ナミー&ハギー」ワールドゲームズプラザにて

関連記事
二〇世紀ひみつ基地 秋田の元祖ゆるキャラ「ナミー&ハギー」

関連リンク
2001年 秋田大会(第6回)| 特定非営利活動法人 日本ワールドゲームズ協会

再開発地にはホテルのある複合商業施設を建設、「キャッスルホテル」跡地に駐車場を造る計画だったが、先の見えない再開発にしびれを切らした「キャッスルホテル」は計画から離脱、平成23年(2011)全館リニューアル・オープンする。


2010.05 中通一丁目 中央通り

平成24年(2012)7月、日赤・婦人会館跡地、中通一丁目再開発地区に、当初の計画より床面積を大幅に縮小して「エリアなかいち」オープン。

平成24年(2012)9月、旧「三光堂書店」をはじめとするビルが並んでいた中央通り側にマンション「セントラルアベニュー中通」(エリアなかいち住宅棟)竣工。


2012.10 中通一丁目 中央通り

関連リンク
Central Avenue 中通【公式】エリアなかいち 秋田市中通1丁目新築分譲マンション


▼附録1「秋田県女子師範学校」校舎変遷・明治から昭和まで


「秋田県女子師範学校」大正初期撮影 校門は現・中央通り側

明治42年(1909)4月「秋田県女子師範学校」開校
昭和18年(1943)官立「秋田師範学校」女子部
昭和24年(1949)新制「秋田大学」学芸学部教育部
昭和39年(1964)定時制高校「県立秋田東高等学校」
昭和41年(1966)焼失した「市立山王中学校」の仮教室を「県立秋田東高等学校」内に置く
昭和42年(1967)「県立秋田東高等学校」移転、校舎解体


▼附録2「明徳館」跡地・変遷レイヤー・明治から平成まで



ベース・明治42年(1909)開校「秋田県女子師範学校」配置図(藩校「明徳館」跡地)

緑・昭和36年(1961)〜平成元年(1989)「県婦人会館」
赤・昭和43年(1968)〜平成10年(1998)「秋田赤十字病院」「血液センター」
青・昭和49年(1974)「秋田市保健所」跡に「秋田県交通災害センター」オープン
黄・昭和44年(1969)頃、新設道路「仲小路」秋田駅前から「産業会館」脇まで貫通。

平成24年(2012)竣工「エリアなかいち」内建造物配置図


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秋田駅前居酒屋激戦区・定点観察


2011.02


2011.02

外食大手チェーンのあいつぐ進出により、近年は居酒屋激戦区となった秋田駅前の、70年代からつづく「郷土料理・太平山」が閉店。隣接して同居する「味十番」(初期店名・味一番)も同時期からのラーメン屋だったが数年前に店を畳んでいた。


2011.02


2011.08

今年の(2011)8月、旧「郷土料理・太平山」の場所に、象潟の鮮魚問屋直営の「フィッシュジャパン」が経営する居酒屋「かまくらの郷」がにオープン。

その左隣の居酒屋ビルがかつての「スポーツボックス竹半」。さらにさかのぼると、戦前からこの近くで営業していた駅弁の「東洋軒」。


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関連リンク

太平山 - 秋田/郷土料理(その他) [食べログ]

活魚問屋直営 フィッシュジャパン/かまくらの郷
かまくらの郷/クーポンのホットペッパー
かまくらの郷 - 秋田/居酒屋 [食べログ]

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