二〇世紀ひみつ基地

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丸窓のある銭湯「上野湯」川尻上野町

銭湯
2003.09

川尻総社通りに面した秋田市川尻上野町に存在した銭湯「上野湯」。廃業後の撮影のため、すでに煙突は撤去されている。

昭和5(1930)年開業の老舗銭湯。モルタル壁面のひび割れ修繕跡が目立つ建物は、昭和20年代後半から30年代にかけての建築と推定。

銭湯

平成15(2003)年10月廃業。最終営業日には近隣から常連が多く集まり、脱衣所で別れの宴会が開かれ、その翌日は無料開放された。

銭湯

銭湯跡
「上野湯」跡 2008.08

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旧秋田貯蓄銀行本店解体・昭和レトロ建築

秋田銀行秋田支店
「秋田銀行秋田支店」秋田市大町五丁目(旧・本町五丁目) 2005.11

昨年(2015)末から始まった「秋田銀行秋田支店」の解体が大詰めを迎えている。

築80年、昭和初期に建てられた、近世復興式(ルネサンス様式)の銀行は、旧本町通りを象徴する近代建築であった。

秋田銀行秋田支店
2007.03

秋田市本町五丁目に、大正10(1921)年11月開業した「秋田貯蓄銀行」が、耐震耐火構造の新本店を建てたのは、昭和9(1934)年12月。

昭和18(1943)年「秋田貯蓄銀行」解散。その後、建物は「秋田銀行本町支店」となるが、終戦後わけあって「秋田銀行秋田支店」と名を変える。そのいきさつは以下関連記事に。

秋田銀行秋田支店
2007.03

秋田銀行秋田支店
小庭園 2007.03

秋田銀行秋田支店
2015.03

秋田銀行秋田支店
2015.03

秋田銀行秋田支店
2012.09

秋田銀行秋田支店
2015.01

建物の老朽化を理由に、平成26(2014)年7月18日をもって「秋田銀行秋田支店」は営業を終了、「秋田銀行大町支店」に統合された。

秋田銀行秋田支店
花崗石を貼付加工した腰廻の残骸 2016.01

羽州街道に沿う、大町通り・本町通りは藩政時代から商業の中心地だったが、明治末以降、銀行・証券会社・保険会社が集中する金融街の様相が強くなる。

1980年代初頭の住宅地図から、大町通り・旧本町通りで営業する関連会社をあげると

▼大町二丁目
「日本銀行秋田支店」「千代田生命」

▼大町三丁目
「青森みちのく銀行秋田支店」「秋田信用金庫本店」「野村證券」「安田火災海上」

▼大町四丁目(旧・本町四丁目)
「秋田郵便局」「山形相互銀行秋田支店」「荘内銀行秋田支店」「大和証券」「日興証券」「大和生命」

▼大町五丁目 (旧・本町五丁目)
「羽後銀行秋田支店」(のちに北都銀行秋田支店)「秋田銀行秋田支店」「朝日生命」「日動火災海上」「日新火災海上」

これ以前、「秋田銀行本店(現・赤れんが館)」「三和銀行秋田支店」(大町三丁目)「日本勧業銀行秋田支店」(大町二丁目)などもあった。

昨年(2015)には「秋田銀行秋田支店」のほかに、協働ビル一階「みちのく銀行秋田支店」が1月に廃止。

平成28(2016)年1月現在、同地に残ったのは「日本銀行秋田支店」「秋田信用金庫本店」「荘内銀行秋田支店」の三行のみ。 


秋田銀行秋田支店跡

 

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理髪館の消えたY字路・楢山桝取町

楢山桝取町床屋跡
2014.11

楢山のレトロ建築(旧・理髪館)が取り壊し中とのコメントがあり現場へ向かう。

大正から昭和初期にかけての建築と思われる、理髪館の特徴的なファサードはすでになく、解体は後方に連結する日本家屋部分におよんでいた。

もうひとつの変化は、ビニールシート方式のゴミ置き場が、画像のようにゴミ箱に変わったこと。そのため、以前は板と網ナイロンフェンスで隠れていた魔除けの石敢當(いしがんとう)が良く見えるようになった。

石敢當
石敢當 2014.11

楢山桝取町床屋
2004.05

廃業後、正面入口が閉鎖された理髪館。Y字路の分岐点から左手に進む道の、建物に沿って、側溝に縁取られて描かれた曲線が味わい深い。

子どもの頃から見慣れた、なつかしい景観がまたひとつ消えた。

理髪館のあるY字路

 

 

 


Y字路に謎の石柱・石敢當

 

 

 

NHK BSプレミアム「金照寺山からの風景」再放送

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CGで蘇る秋田近代建築・壮麗なる文化の殿堂

秋田市内で建築パース製作会社を経営している岡本有司さんが、失われた秋田の近代建築をCGで再現、このほど開設したHP「秋田の近代建築を描く」で作品を公開している。

建築パース製作のツカサスタジオ秋田
秋田の近代建築を描く

現在公開中のCG作品は、千秋公園の入口に位置する下中城の高台に存在した「秋田県記念館」および「秋田県公会堂」。

なかでも「県記念館」と「県公会堂」が並び建つ壮麗なる景観を描いた作品が素晴らしい。是非HPで大きめの画像をご覧頂きたい。



右手奥に明治37年竣工の「県公会堂」、手前に「県公会堂」の補助施設として計画され、大正7年に竣工した「県記念館」。

「県記念館」建設中の大正7年4月29日朝、ペンキ塗り替え作業中の「県公会堂」から突然火の手が上がり、またたく間に灰燼に帰す。当初の計画はあえなく崩壊した。

「県公会堂」焼失により両会館が並び建つことが叶わなかっただけに、CGで再現された夢幻景観は実に感慨深く、中土橋に現代の風物であるババヘラアイスと人物を配置することで、過去と現在をクロスオーバーさせる演出も心憎い。

二棟の近代建築が今に残っていたら、千秋公園入口一帯は、緑と水に囲まれた、全国的にも稀少な近代文化遺産保存ゾーンとして異彩を放ち、観光の目玉となっていたことだろう。




▼下中城の高台の歴史をふり返る

藩政時代、下中城の高台は久保田藩家老・渋江内膳の大きな屋敷であった。明治維新後、その建物に藩政庁(県庁)が短期間開設される。以後、西洋医療施設の官立病院、小学校教員を養成した伝習学校(秋田大学・教育文化学部の前身)などを経て、北側に「県公会堂」、次いで南側に「県記念館」が竣工する。

大正7年、「県公会堂」焼失。その跡地に花園(庭園)を開設。
昭和7年、花園内に日本放送協会(NHK)がラジオ塔を設置。
昭和25年、花園跡地に初代「県児童会館」オープン。同時に「県記念館」南側に児童遊園地を開設。
昭和35年、老朽化を理由に「県記念館」解体。
昭和36年、「県児童会館」が中通地区に移転した跡地に「秋田県民会館」竣工。同時に「県記念館」跡地西側に「秋田県立図書館」(現・生涯学習センター分館「ジョイナス」)がオープン。

以下に過去記事から「県公会堂」および「県記念館」の画像を再掲する。


秋田県公会堂


秋田県公会堂


秋田県記念館


秋田県記念館

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関連リンク

建築パース製作のツカサスタジオ秋田
秋田の近代建築を描く

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