二〇世紀ひみつ基地

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1972・ABSラジオカー「エコー」誕生・秋田放送

秋田放送ラジオカー
昭和47(1972)年10月 新聞広告

“民放ラジオの黄金期”といわれる1970年初頭、創業20年を迎えたABS秋田放送が、新たに導入する3台のラジオカーに乗る、女性キャスター(レポーター)兼ドライバーと、ラジオカーの愛称を募集。

応募資格に「19歳から29歳まで」「正確な標準語を話す必要はありません」とある。

添えられた女性のイメージ・イラストは60年代末から、70年代前半まで流行した末広がりパンツのパンタロン・スタイル。

11月にはキャスター(レポーター)が決まり、ラジオカーの愛称が発表された。

秋田放送ラジオカー
昭和47(1972)年11月 新聞広告

FMカーのペットネームが決まりました。

当選「エコー」

「エコー」今日から出動

☆あなたの街を今日からABSの「エコー」が走ります。
皆様から寄せられた、たくさんのペットネームのなかから選ばれ、「エコー」と名づけられたFMカー三台が、国道から県道へそして、あなたの街を走り交通情報から多彩な生活情報まで取材します。

ABSラジオは本日から皆様により親しまれ、より密着した放送をするために、即時性をフルに発揮する地域社会のレーダーとして変身します。

☆この三台のFMカーエコーの中には最新式の無線送信機、三回路ミクシング・アンプ、カセット・テープレコーダー、ワイヤレスマイク、拡声機等を搭載しており、この操作はスイッチ一つですべての機器の動作、停止をおこなう事ができ、レディキャスターのワンマン・コントロールで放送する事ができます。

☆6人のチャーミングなレディキャスターが、今日から、カーラジオを聞くドライバーをはじめ聴取者のコミュニティメイトです。

☆今日からみなさんと対話するスペシャルワイド番組が始まります。
 
11月よりこのエコーの活躍によって活性化される番組は次の通りです。

“週刊レジャー情報”
“ハロー940”
 いずれも土曜日の午後のジャンボサタディの中のスペシャルワイドです。
 そして今年のクライマックス12月の午前中には月金の帯ワイドプロとして“それ行け!エコー940”がスタンバイしています。

種苗交換会期間中特別番組
“940こちら交換会”
11月8日~14日迄毎日

文中にある「FMカー」というのは、FM波を使った中継用無線機搭載車という意味らしく、全面広告の下段に、FM無線機のメーカーである「松下電器」が「ナショナル放送装置」の広告を載せている。

秋田放送ラジオカー
昭和47(1972)年11月『秋田魁新報』

無線カー“エコー”誕生
ABSラジオ

走る小型放送局県民との対話、なお密に

 チャーミングなレディー六人がファッショナブルなビューティフルパンツで(カラーはすてきなイエロー)さっそうと登場!
 ABSラジオでは、このほど無線カー三台を購入し、、県民にお目見えすることになった。
 すでに、この無線カーのペットネームが、新聞や放送で広く募集され、一千通以上の応募はがきの中から「エコー」という愛称が選ばれた。この「エコー」車の側面にはABSラジオの周波数九四〇が、くっきりと描かれており内部の設備もスイッチ一つですべての機能の操作がワンマンコントロール出来るように設計され、マイク二本のほかにテープレコーダーなどの調整が出来る調整器や、どこからでもオンエア出来る無線送信機、高性能の拡声器などが積みこまれ、いうなれば“走る小型放送局”である。

ナウなニュース伝達

 ラジオの特性はよく「即時性」であるということがいわれ、テレビの娯楽性に対面し、ラジオは情報媒体としての速報性、移動性の機能を強化することが要請されてきた。
 この「エコー」によってABSラジオはスタジオから飛びだし「さわるラジオ」や「コミュニティと対話するラジオ」へ脱皮することになる。たとえば、定時のニュースが交通事故を伝える場合、ほとんどが過去形で語られて来たのに対し、「いま。国道○号線○○信号交差点で接触事故がおき、信号○回待ち」という現在進行形で、時にはパトカーと連絡し迂回路も教えるというカーラジオを聞いているドライバーへの生きたナウな道路情報として活用されるものに変化する。

レディーキャスターも

 このように、国道から裏路地までエコーを運転しながら、インフォメーションを入れ、それをそのままオンエアするドライビングキャスターに六人のレディーが選ばれたわけである。このカッコイイユニホームのお嬢さんたちは、街を行くドライバーのアイドルとして、またコミュニティたるべく猛訓練中。
 彼女たちは、金曜から種苗交換会期間中、会場内を取材した後、土曜の午後の開放感を楽しむ人たちを対象とした、四時間の超ワイドプロ「ジャンボサタディ」の中の週刊レジャー情報(午後1時から)やハロー九四〇(2時40分から)で活躍することが決定した。無線カー三台の機能をフル発揮し、催し物案内、映画紹介、ゴルフ、釣り、ボウリング情報などますます多様化するレジャーをとらえ、また道路情報や、ナウなトピックスを送り出すことになるが、このパーソナリティ(総合司会)にはABSの公開番組アナとして多年親しまれてきた神永光が張り切っている。

ワイド番組も準備

 さらに十二月にはいよいよ本格的な月~金の帯ワイド番組(午前9時40分から)「それ行け!エコー九四〇!」がスタンバイしている。これは街角のレポートや「しょうばいじまん」のコーナーから、行政機関への注文や回答など、聴取者からの電話の活用まで含めて、ローカル独自の素材を中心に構成され「県民と対話するラジオ」が誕生する。このような番組が企画され創造的に仕事が進められている中でいろいろ新しい問題も提起されている。たとえば「身上相談」などは、中央キー局のネットもので、ある程度の聴取率をあげてきているが、今後このローカルワイドの中で、秋田で生活している人たちの悩みや訴えに、じっくり取り組むことになっている。

昭和47(1972)年11月『秋田魁新報』

秋田放送ラジオカー
昭和47(1972)年11月 新聞広告の一部

ラジオカーを駆使して放送された番組のひとつ「モーニングエコー940!」のパーソナリティーは、当時の人気女子アナで、ネコちゃんの愛称で親しまれた中村峰子。

秋田放送ラジオカー
昭和50(1975)年 書籍広告

八橋運動公園をバックに。この時点でユニフォームがサロペット・スカートに代わっている。
 

秋田放送ラジオカー

初期ラジオカーの特徴である、放送中に点灯するパトランプと拡声機が取り付けられた車体。疾走感を表現した流線型に、大きく周波数を配置したペインティング。

ラジラオ周波数 940kHz は、昭和53(1978)年11月の周波数一斉変更により、936kHzに変更された。

新聞記事にも広告にも、ベースとなった乗用車の名は無いが、そのイラストから察するに、マツダ初代カペラのGシリーズ(1971年10月追加)に違いない。

Capella
▲クリックで拡大

上の画像はマツダミュージアム(広島市)収蔵のカペラ・ロータリー・セダンGR。広告のイラストと同じだ。

ロータリーといえば、昭和44(1969)年8月から9月、秋田市臨海工業地帯をメイン会場に開催された「秋田博」のモーターショーに展示されていた、マツダ・ロータリーエンジンの原理を説明する断面模型のなめらかな動きが強く印象に残ってる。

昭和46(1971)年「マツダ・カペラ ロータリー クーペ」カー・オブ・ザ・イヤー(モーターファン誌主催)受賞。
昭和47(1972)年「MAZDA RX-2」(日本名カペラ ロータリー)、インポート・カー・オブ・ザ・イヤー(米ロードテスト誌主催)受賞。

初代カペラのうち、ロータリーエンジンを積んだカペラの輸出車名が「Mazda RX-2」。欧米での人気は高く、今も現役のRX-2も少なくはない。


▲1972 Mazda RX-2 セダン

秋田放送ラジオカー
2013.07

現在のABSラジオカーの名は「ラジPAL」(一台のみ)。周波数 936kHz にちなんだカーナンバーを取得している。

画像の車輌は数年前から使われていてるマツダ プレマシー。先代のラジオカーはマツダ カペラワゴンだったはず。初代から連綿とマツダが使われているのかもしれない。

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ラジオカーの時代・1970年代

モータリゼーションの進展いちじるしい1970年初頭、在京ラジオ局が次々とラジオカー(乗用車を改造したラジオ中継車)を導入する。レポーター兼ドライバーに女性を起用し、一台につき二人一組で活動した。

交通情報など生活に密着した情報や、街の声を現場からリアルタイムに伝えるラジオカーは話題を集め、その流れは徐々に地方局に広がってゆく。 

ABS秋田放送では、昭和47(1972)年、ラジオカー三台を導入するが、そのお話しは次回の更新で。

KBC(九州朝日放送)のラジオカーひまわり号出発式の映像。ラジオカーとしてはかなりの後発だ。

ひまわりの花をイメージした、黄色のユニフォームに身を包んだ女性たちは、レポーター兼ドライバー。

このTBSラジオカーの写真は、西武山口線にイベントで蒸気機関車が走った、昭和47(1972)年に撮影されたものだろう。昭和53(1978)年11月、TBSラジオの周波数は950kHzから954kHzに変わる。

平成25(2013)年3月、株式会社トミーテックが、在京ラジオ局の70年代ラジオカーをミニカー化した「トミカリミテッドヴィンテージ・昭和のラジオデイズ」を発売。

トミカラジオカー

昭和カルチャーの象徴「TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送のラジオカー」がミニカーに!
「トミカリミテッドヴィンテージ 昭和のラジオデイズ」全3種 3月23日発売予定
各局代表のパーソナリティもパッケージに登場!

 タカラトミーグループの株式会社トミーテック(所在地:栃木県下都賀郡 代表取締役社長:岩附美智夫)は、在京ラジオ放送局であるTBSラジオ、文化放送、ニッポン放送(周波数順)とのコラボ企画として、1970年代に導入され各局で活躍した通称「ラジオカー」を、ダイキャスト製コレクションミニチュアカーシリーズ「トミカリミテッドヴィンテージ」で商品化、「昭和のラジオデイズ」シリーズ(3種、各税込1,995円)として2013年3月23日に発売の予定です。

 一昨年で60周年を迎えた民放ラジオですが、その最初の黄金期は、深夜放送が若者文化の最先端となり、都市とカルチャーが密接な関係にあった1970年代です。ほぼ時を同じくして、変わり行く街や人々のリアルタイムの姿を伝えるため、裏道でも入って行ける乗用車ベースのラジオカーが走り始めました。ラジオカーはモータリゼーションと都市文化という1970年代の象徴として、とても重要な存在でした。現在、より深くピンポイントな情報を迅速に伝えられるメディアとしてラジオは再び脚光を浴びており、単なるノスタルジーの域を超えた、非常にタイムリーな製品化といえます。

‥‥後略‥‥

2013年2月25日 株式会社トミーテック プレスリリースより

「昭和のラジオデイズ」シリーズは、平成28(2016)年1月現在、11種類がラインアップされている。

そのなかからひとつ選ぶとしたら、ラジオ関東のラジオカー。

ラジオカー

2014年9月発売「LV-Ra11 いすゞ117クーペ(初期型) ラジオ関東(現・ラジオ日本)ラジオカー」。

初期ラジオカーの特徴である、放送中に点灯するパトランプと拡声機。

イタリアの工業デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロが手がけた、流麗なボディ。その曲線を強調する、白地に空色のラインと、金赤のロゴでカラーリングされた、フレッシュなデザインがクールだ。

昭和のラジオデイズ | 製品紹介 | トミーテックスケールミニカーWEB

117History - Design

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新しき朝を報(しら)せよラジオ塔

■昭和の近代化遺産「ラジオ塔」の時代

●千秋公園に謎の塔



千秋公園入口の秋田県記念館に隣接する花園を写した昭和初期の写真。惜しくも焼失した秋田県公会堂の跡地を整備した花園で、右手にみえる建物が記念館の側面。

一見なんの変哲のない光景ではあるが、ベンチの向側、柵で囲まれた花壇らしき場所の中央に、屋根のある塔のようなもの建っているのが気になる。まるで地下室の換気塔のような謎の構造物は一体・・・・・・。



その謎を解く鍵をみつけたのは、平成十四年に出版された『目で見る秋田・男鹿・南秋の100年』という、昔の写真を集めた書籍。


『目で見る秋田・男鹿・南秋の100年』(株式会社郷土出版社)より

解説に「千秋公園でのラジオ体操(秋田市・昭和9年)写真は朝のラジオ体操をする愛国女学館(現和洋女子高校)の女学生」とあり、千秋公園を背景に、隣接した愛国女学館の生徒たちが輪になってラジオ体操をする、その真ん中に例の謎の構造物が建っている。

先に掲げた画像の反対側から撮影したこの写真を見て、以前にどこかで耳にした「ラジオ塔」という言葉が頭に浮かんだ。

まだラジオが普及していない時代、戦前唯一の放送局であった日本放送協会(NHK)が、野外に設置した聴取装置をラジオ塔という。正式名称は「公衆用聴取施設」。

昭和五年、大阪中央放送局(NHK)が天王寺公園に設置したのが第一号で、野球の実況中継のときなどは、ラジオ塔の周囲に人垣ができ、一球一打に歓声があがったという。

昭和七年、全国のラジオ聴取者数が百万人を突破、その記念事業の一環として各地の有名公園、広場、神社境内、役場前などにラジオ塔の建設を開始、アジア・南洋など海外の植民地にも設置され、終戦までにその数四百基を超えた。


●秋田に於けるラジオ塔

ラジオ塔に関する資料は少なく断片的、ましてや秋田の物件に言及した文献となればなおさらのこと。当時の新聞で調べようにも、設置日が判らなければ手のつけようがない。

NHK が設置したものならば、秋田のラジオ塔のこともすぐ判るだろうと、渋谷の放送センターにメールで設置日を問い合わせると、数日後、秋田放送局から返信がきた。しかし、送られてきた資料は秋田放送局の開局に関するもので、ラジオ塔に関することは一言もふれられていない。

おそらく担当者はラジオ塔を、楢山にあったNHKの「電波塔」と勘違いしたのだろう。もはや死語中の死語である「ラジオ塔」という言葉を知るのは、よほどの年配者か自分のような物好きぐらいのものだから、そんな間違いも致し方がない。

かさねて調査を依頼すれば、回答が得られた可能性もあるが、こんなことで手を煩わせるのも気の毒に思い、自力で調べることにした。

あたった資料は、秋田放送局が開局し、ラジオ聴取者数百万人突破記念として全国にラジオ塔の設置がはじまった昭和七年から、ラジオ塔のもとでラジオ体操をする写真が撮影された昭和九年までの秋田魁新報と、調査開始後にその存在を知った、日本放送協会発行の『ラヂオ年鑑』、この年鑑は戦前のラジオ史を調べるうえでの基本資料であった。

前置きが長くなってしまったが、まず、ラジオ塔建設に至るまでの経緯を、秋田魁新報の記事からピックアップする。
ラジオ塔建設促進運動が盛りあがった昭和七年五月、秋田市商工会議所のメンバーが、当時秋田放送局の上部組織であった仙台放送局を訪問しラジオ塔の誘致を陳情。

同七年十月末、建設地が明徳小学校に近く授業に差し障りがあるのではないか、また、計画中の教育会館の建設にも支障をきたすと、県学務課から建設中のラジオ塔に対して抗議。

同七年十一月十四日、「新風景ラヂオ塔」のタイトルで写真掲載。キャプションに「県記念館花壇に新設された秋田市新風景ラヂオ塔は来る二十日頃から散歩の人々にお早うからお休みなさいまでの御愛嬌をふりまくことになった」とある。

同七年十一月二十日、ラジオ塔建設を記念して、隣接する記念館内において UK 子供大会開催、市内の小学校児童の唱歌、児童劇などが中継放送される。
以上の記事から、千秋公園のラジオ塔は昭和七年の十一月初旬頃に竣工、二十日頃から放送を開始したことが判明。ちなみに JOUK 秋田放送局の開局は同七年二月二十六日。


音で見る野球
秋中と郡山中学の野球試合を聴かんものと早朝から賑わった記念館構内のラヂオ塔付近
昭和八年 秋田魁新報より
ラジオ塔のある花園の木陰に集い、秋田中学(現・秋田高校)が出場した全国中等野球大会(現・高校野球大会)に耳を傾ける市民。

昭和八年十二月末の時点で県内のラジオ聴取世帯数八千七百七、普及率5.5%。これは聴取料金を支払った聴取世帯の数だから、実数はもっと多かった。


秋田放送局のコールサイン JOUK が刻まれていたラジオ塔プレート想像図

昭和七年に設置された仙台局管内のラジオ塔は、秋田市千秋公園のほか、福島市・中央公園、盛岡市・物産館前、山形市・雁島公園の五基。様式は各施設同一で、基礎コンクリート造、角灯籠型、高さ九・三尺(281.8 cm)。

昭和十五年度の県内の増設分は、土崎港町・土崎公園(神明社境内)、能代港町・能代公園、大館郵便局前の三基。昭和十八年になると仙台管内の総数は二十五基、県内の増設分は、花輪町公会堂、船川郵便局前、矢島町役場前。


●ラジオ塔のさまざま


兵庫県明石市に現存するラジオ塔 (c) OpenCage

明石市に残るラジオ塔は秋田の物件に近い角灯籠型だが、スピーカーがあった部分は空洞で、それを覆っていたと思われるシェードもない。

国内に十数基のラジオ塔が現存し、なかには復元し放送を流しているものもある。群馬県前橋市中央児童遊園の物件は、近代化遺産として国の登録有形文化財に指定されている。現存物件の画像などは下記関連リンクに。  


左 奈良猿沢池畔・木造燈籠型ラジオ塔
右 札幌中島公園・軍艦マスト型ラジオ塔
『ラヂオ年鑑』より

『ラヂオ年鑑』から形式の例を挙げると、角燈籠型、春日燈籠型、木造燈籠型、神燈型、木造ボンボリ型、石燈籠型、ミゼット型、軍艦マスト型など、素材および形状も様々で、塔というよりも、まるで四角い小屋のような素っ気ない外見の木造箱型ラジオ塔も。

ラジオ塔には、側面のスイッチを押して電源を入れる「スイッチ付」、一定時間を経過すると自動的に電源が切れる「自動スイッチ付」、放送開始時間から終了時間まで流れつづける「スイッチ無し」の三種があったようで、千秋公園の物件は「スイッチ無し」だったと思われる。


●役割を終えて

終戦後、ラジオの普及とともに役割を終えた各地のラジオ塔は次々に消えてゆく。昭和25年、記念館の花園に初代の県立児童会館竣工、このときラジオ塔も撤去されたのだろう。




09.07

現在は秋田県民会館とその駐車場となったこの地に、朝にラジオ体操の輪がつくられ、スポーツ中継に歓声がわきあがり、音楽に心和ませ、終戦の年には陛下の玉音放送に耳を傾けたであろう、朝な夕なに人々が集う、ラジオ塔と呼ばれた昭和の放送モニュメントが存在した。


大きな地図で見る
「ラジオ塔」跡

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昭和初期のラジオ塔、復活を 地元熱望「放送に合わせ体操したい」:京都新聞
Picasa Web Albums - 京都のラジオ塔探索ツーリング
さすがに京都、良く保存されて、バリエーションも豊富

群馬県前橋市/中央児童遊園ラジオ塔
国の登録有形文化財

新潟市白山公園・蓮池に建つラジオ塔

松江製麺所・町の小物-松江放送局前の「開局記念ラジオ塔」

神戸新聞|戦前、戦中の「ラジオ塔」 明石に1基現存

なんとなく散歩日記: 住吉公園のラジオ塔
芸術的なモニュメント

建築探偵写真帳 ラジオ塔(大阪城公園)
スマートでモダンな石灯籠型

昔の台湾と今の台湾
台湾総督府博物館(現国立台湾博物館)裏に現存する石灯籠型ラジオ塔



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土曜の午後は「ヤング広場」へ

はじめに前編「広小路に「ヤング広場」オープン・1972」をご覧ください。

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昭和47年(1972)7月、広小路「秋田プラザ」二階にオープンした「ヤング広場」で、ABS秋田放送が公開録音していたラジオ番組「POP IN」は、その年の12月で終了、翌年の1月からは、会場名を冠した新番組「LET'S GO ヤング広場」が始まる。


1972.12.30 新聞広告(部分)

秋田で活動していた、フォークを中心にしたミュージシャンたちをゲストに迎えての公開番組で、第一回の録音が12月30日におこなわれている。司会は佐藤春雄アナ、丹内百子アナの二人。

土曜の午後「ヤング広場」で公開録音が行われている同じ時間、すぐ近くの協働社ビル内「サテライトスタジオ」では、ABSラジオの公開生放送があって人気を集めていたが、「ヤング広場」のオープン以来、多くの若者が「秋田プラザ」に流れていった。


1973.01 新聞広告(部分

フラワームーブメント系のサイケデリックなイラストが時代を感じさせる。公開録音のゲストは「土崎山車曳き仲間」。「パントパ」というのは、幼児向けのリズム体操のようだが記憶にない。


1973.02 新聞広告(部分)

「LET'S GO ヤング広場」のあとに、前年の一月に新日本プロレス旗揚げしたアントニオ猪木が登場。この時期はまだ、あのビンタパフォーマンスはやっていない。


1973.03 新聞広告(部分)

この週は三階のイベント会場にて、二日間にわたる特別公開録音。この年、エレックレコードから「田吾作音頭」でデビューする、あべ十全のコミック路線フォークデュオ「田吾作」も出演している。あべ十全の最新レコーディングである「超神ネイガー 歌っこ全集」の冒頭に収録された「ネイガー音頭」の原点も70年代にある。

昭和48年(1973)9月、公開録音番組「LET'S GO ヤング広場」終了。この年の10月から「ヤング広場」にて、「ヤマハポピュラーソングコンテスト」(通称・ポプコン)秋田地区予選が行われている。

昭和49年(1974)、番組名を「ヤングのど自慢」と改め、公開録音は継続されるが、「ヤング広場」は「いこいの森」と名称を変更し、早い時期に、オーディオショップとスナックは撤退したと記憶している。


1974.01 新聞広告(部分)

華々しくスタートした「ヤング広場」であったが、徐々にトーンダウンして、約一年という短期間で終焉を迎える。それだけに、その存在を記憶にとどめるものは非常に少ない。

秋田フォーク界のカリスマ・山平和彦は名古屋に拠点を移し、「マイペース」もそのあとを追って秋田を離れていった。フォークソングのメジャー化が進行するとともに、シンガーソングライターの曲が、ニューミュージックと呼ばれるようになった、70年代中頃のことである。

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