二〇世紀ひみつ基地

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1973 川反に「天ぷらそば自販機」登場

麺類自販機

今年(2016)の早春、秋田市土崎港「うどん・そば自販機」設置店「船舶食料商・佐原商店」の廃業から、「道の駅あきた港 セリオンリスタ」への自販機移設・復活までのいきさつを、超ローカルネタにも関わらず、テレビ・新聞からネットニュースまで、多くのメディアが伝えていた。

今回の過剰な報道に到るきっかけとなったのが、昨年(2015)3月、NHK総合で放送された『ドキュメント72時間 秋田・真冬の自販機の前で』。ときおり吹雪の舞う厳冬期「佐原商店」の麺類自販機を利用する人々に密着取材した番組の放送後、県内外から物好きな客が集まり、一時は行列をつくる異常事態に、常連は気軽に利用しづらくなるという、マスメディアの取材後にありがちな光景も展開された。それまでは地元でも知る人ぞ知る、静かなレトロ自販機スポットであったのに。

レトロ自販機

メディアに踊らされ、はるばると訪れた人たちは、ドキュメンタリーに描写された"自販機と人を結ぶ物語"を、追体験するために足を運んだのだろう。しかし、いくら味に定評があるといっても、結局はたかが「うどん・そば」。同様な麺類自販機は現在(2016)全国で80台ほど稼働しているのに、わざわざ遠方から来て行列に並ぶ客の気が知れない。

ただし、永いあいだ通っていた馴染み客にとって、テーブルと椅子がある野外で、24時間いつでも100円玉2枚で、温かい「うどん・そば」「ハンバーグ」が味わえたその場所は、時々の記憶に満ちた、かけがえのない場所。学校帰りに腹を空かせて立ち寄った、かつての学生たちにとっては、郷愁をおぼえるなつかしい風景であった。

麺類自販機がなにかと話題となっているこの機会に、それが秋田に登場した1970年代初頭を回顧するとともに、現役の自販機のことなども記してみたい。


▼麺類自販機のパイオニア「川鉄」

昭和47(1972)年11月、鉄鋼メーカー「川崎製鉄」(現・JFEスチール) が世界初の「めん類自動調理販売機」を発売。当初は販売する計画はなく、自社工場の夜間作業員に温かい食事を提供する目的で開発された。

めん類の自動販売機

麺類自販機

コインを入れれば短時間で温かいきつねうどんやてんぷらそばが飛び出してくる新しい自動販売機を大手鉄鋼メーカーの川崎製鉄(本社・神戸市)が開発、販売に乗り出した。

このめん類自動調理販売機=写真=は人手で調理するのと同様に、なまのめんを湯通しした後、味付け調理まで自動的に行うもので、出来上がるまで二十七秒というスピードクック。

川崎製鉄では同社の工場で夜間作業員の厚生のため、この販売機の開発を進めていたが、好評なので一般向けに販売を始めることになった。価格は一台百五万円。

昭和47(1972)年10月11日『秋田魁新報』より

 

昭和48(1973)年、秋田にも麺類自販機が登場。

麺類自販機

めん類自動調理販売機

27秒で出来あがり

人手いらず、操作は簡単

庄内クボタ

めん類自動調理販売機をご存知ですか・・・・・・。

庄内クボタではみなさまに生めんの自然の味を、一流店に負けないおいしさで提供したい一心で、このページにご紹介も兼ねて初登場したものです。

めん類自動調理販売機とは・・・お値段は約百二十万円。‥‥中略‥‥一回で八十食を収納でき、わずか二十七秒で出来あがります。きつねうどん、そば、天ぷらうどん、ラーメンなどが一食百二十円で販売できます。容器はポリプロピレン製を使用しています。

この自動販売機は衛生的な貯蔵と調理、二十四時間フル営業ができ、まったく人手がいらないことや簡単に設置が出来るのが特徴です。あなたもサイドビジネスで販売機を購入してみませんか。きっとご満足いただける売上げができると思います。

庄内クボタでは販売店・・・消費者のみなさまのことを考え、自動販売機の普及に務めているものです。

ところで、話題を集めてさっそうと登場したこの販売機がどのような場所に設置されているか、また売上げがどの程度か簡単にご紹介します。

駅周辺、国道沿線、釣り堀、ドライブイン、夜勤職場、ガソリンスタンドなどいたる所に設置されています。ほんの一例ですが山形県天童温泉の釣り堀センターでは一日四百食も販売され驚異的な売上げとなっています。また、秋田県では秋田市はもちろん、大館市、能代市、仁賀保町の会社や専門のそば店が閉店後の店頭に設置しています。とにかく操作は簡単、人出は不要、二十四時間すべて販売機が働いてくれます。

‥‥後略‥‥

写真・大館市常盤木町にお目見えしためん類自動調理販売機

麺類自販機

昭和48(1973)年12月7日 新聞広告

山形県酒田市で主にクボタ農機を販売する「庄内クボタ」と、「鎌田の酒まんじゅう」でおなじみ、秋田市の「○〆(マルシメ)鎌田」が代理店となって県内に販路を拡大。ほどなくして街のあちこちで、山吹色の塗装もまぶしい、その筐体が目に付くようになる。

麺類自販機
▲昭和49(1974)年2月 新聞広告

「マルシメ鎌田」は当時、旭北栄町、當福寺裏手の本社で、日産二万食規模の製麺工場を操業。自社製の麺類を使った飲食店・飲食コーナーを、秋田駅前「鎌田会館」「秋田ステーションデパート」「秋田プラザ」(現・秋田キャッスルホテル) などに展開していた。

マルシメ鎌田
▲昭和45(1970)年8月 新聞広告

麺類自販機の販売が、自社製麺の納入先の開拓に直結するのだから、「マルシメ鎌田」にとってはそれは、うってつけな製品であった。

麺類自販機
写真=右・由利生活協同組合象潟店で
写真=左・象潟町の秋田ビックストン工業の社員食堂で
▲昭和49(1974)年1月16日・新聞広告

秋田市大町三丁目(旧・田中町)西法寺向かい(現在は駐車場)に秋田事業所を開設した「庄内クボタ」は、 事業所前に自販機を設置、道行く人にその利便性と味をアピールした。

麺類自販機

写真=右・好評中の秋田事業所前の自動販売機
写真=左・ 各職場に続々登場の自動販売機
▲昭和49(1974)年2月12日 新聞広告

発売を前にした昭和47(1972)年の新聞記事では「一台105万円」。昭和49(1974)年1月までは「約120万円」と表記されていた自販機の価格が、昭和49(1974)年「2月15日まで140万7千円ですが、16日からは145万5千円になります」と、短期間に大幅に値上げされている。

ちなみに昭和49(1974)年の公務員の初任給(基本給)は72,800円。

 

▼秋田市第1号機は川反五丁目に設置

麺類自販機

◇大繁盛「無人の店」
天ぷらソバ自動販売機◇

酒、タバコ、キッブ、と自動販売機ばやりだが、大町5丁目の川反通りに天ぷらソバの自動販売機が登場した。市内第1号だという。

120円を入れると下からポリ容器に入ったできたての天ぷらソバがでてくるもので、機械内部に濃縮タレ、90度の熱湯、50食のめん、天ぷらがセットされており、現金を入れるとそれぞれ自動的に作動して「一丁あがり」。

お値段は120万円。買ったラーメン屋のオヤジさんによると「うまくできてるもんです。人出はいらぬし、24時間営業できる。これまでここで最高24時間に138食出た」名付けて「無人の店」だって。

昭和49(1974)年1月21日『秋田魁新報』より

日除けテントに「無人の店」の文字、右手の暖簾に草書体で「喜」の文字(「七十七」をピラミッド状に重ねたような)が確認できる。その食堂の名は「喜楽」。納豆ラーメンが名物の「喜楽」は現在、楢山川口境、「東部ガス」向かいに移転している。

歓楽街・川反のこと、酔客が〆の一杯に、24時間営業のコンビニなどまだない深夜、水商売の人らも仕事帰りに利用したものだろう。

かけそば一杯170円から200円ほどの時代なので、自販機天ぷらそば一杯120円に、そんなに割安感は無い。現在の相場は200円から300円。

秋田市川反五丁目
▲川反五丁目「喜楽」跡 2016.09

五丁目角のパティオビル1階、焼肉「まいど」の南隣に「喜楽」が入居していた。

喜楽 (羽後牛島/ラーメン)

 

▼現役の川鉄自販機・富士電自販機

「川鉄」の麺類自販機は、昭和47(1972)年の発売から約8年間で製造を終了。書籍『日本懐かし自販機大全』によれば、現在の稼働数は約10台。

かつては日本全国の駅や空港、PA、ドライブインなどに設置されていたが、現在はほとんど姿を消し、絶滅危惧種となっている。

現在、日本全国で稼働中の川鉄めん類自販機は、民間工場の厚生設備用のものを含めてわずか10台ほど。

製造期間:昭和47年11月~昭和55年
販売台数:約9,000台

魚谷祐介 著『日本懐かし自販機大全』辰巳出版 第7刷より

山形県天童市「ドライブイン アメヤ」に「庄内クボタ」が納入したと思われる「川鉄」製の天ぷらそば自販機がある。これが東日本で唯一の「川鉄」麺類自販機というが、設置から40余年を経た昨年(2015)修理不可能な故障のため稼働停止、今はモニュメントとして店内に保存されている。

京都府舞鶴市の「ドライブインダルマ」(1971年創業)では、3台の「川鉄」麺類自販機が稼働中。種類はラーメン、天ぷらうどん、きつねうどん。なかでもラーメンが一番人気とか。



▲聖地ドライブインダルマ 川鉄ラーメン自販機大解剖!

店内には、星崎電機製のハンバーガー自販機、日清カップヌードル自販機、レトロ・アーケードゲーム、ジュークボックスなど、昭和の産業遺産をとりそろえて、レトロ自販機マニアの聖地の一つとなっている。

「道の駅あきた港 セリオンリスタ」に移転した「うどん・そば自販機」の製造元である大手電器メーカー「富士電機」が、「全自動調整式2セレクション・生めん類自動販売機」を発売したのは昭和50(1975)年秋。一台で「うどん・そば」「うどん・ラーメン」と、二種類のメニューを販売できる利点をセールスポイントに、発売開始から約20年間にわたり製造されたロングセラー製品で現存数も比較的に多い。

現在、日本全国で稼働中の富士電機めん類自販機は約70台。

製造期間:昭和50年~平成7年
販売台数:約3,000台

魚谷祐介 著『日本懐かし自販機大全』辰巳出版 第7刷より


日本懐かし自販機大全

麺類自販機
▲在りし日の土崎港「佐原商店」前・麺類自販機(富士電機製) 2011.07

潮風と雨雪にさらされてボロポロになった「佐原商店」の自販機。上掲画像の機械は当店3台目とのことで、撮影から間もなく、現在「セリオンリスタ」にある4台目を中古で調達。

それでは1台目がいつ頃導入されたかを、ニュース記事から抜粋してみると・・・

71年ごろに設置(さきがけonTheWeb)
71年に自販機を設置(産経ニュース)
73年ごろに設置(Yahoo!ニュース・産経新聞)
73年ごろ設置(河北新報オンライン)

と、内容にばらつきがある。1971(昭和46)年にはまだ麺類自販機は存在せず、冒頭に書いたように、秋田に「川鉄」の麺類自販機が登場したのが1973(昭和48)年であることを考えれば、第1号機は「川鉄」製だった可能性が高い。

既製品を売る一般の自販機とことなり、麺類自販機の場合、設置店が麺・つゆ・具材を各自で調達するため味の格差が生じる。「佐原商店」では、土崎港相染町「金坂製麺所」製のコシがあってのど越しが良い麺と鰹だしのつゆに定評があり、屋外設置のため24時間いつでも利用でき、200円という安さも人気の一因だった。その味は「セリオンリスタ」に受けつがれたが、屋内のため稼働時間は9時から18時(冬期は17時)までに短縮。部品代およびメンテナンス費用がかさむことを理由に、今年(2016)の9月から250円に値上げされた。

その「セリオンリスタ」に隣接する展望タワー「セリオン」の売店で、自販機と同じ麺・スープを使った新製品「お持ち帰り用うどん」を、この(2016)11月から販売するとのこと。

秋田県仙北市の「雲沢観光ドライブイン」の、富士電機製「うどん・ラーメン」自販機は、東北では唯一の生ラーメン自販機。


▲雲沢ドライブインで自販機ラーメンを味わう 秋田県仙北市

 

ラーメン自販機

ゆーさん(@papapapassion)が投稿した写真 -2016 7月 3 3:49午前 PDT

▲雲沢観光ドライブイン うどん・ラーメン自販機

「佐原商店」から「セリオンリスタ」に移設された自販機は、新規稼働を前にして、青森県に輸送しメンテナンスを行っていた。アフターサービス期間が終了して久しい老朽化したレトロ自販機を修理できる業者は少なく、維持費はかさむばかり。稼働率の高い人気店ほど部品の摩耗が激しいため故障も多く、昔のように儲かるものではなくなった。さらには経営者の高齢化を理由に、廃業に到る設置店も少なくはない。近年のブームで、中古自販機を廃業店などから買い集め、レストアして新規開業する例もみられるものの、総じてその数は減少の一途をたどっている。

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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秋田杉の殿堂「杉のや」1977 開館・○〆鎌田

マルシメ鎌田・杉のや
昭和52(1977)年 新聞広告

秋田駅構内で酒まんじゅうの実演販売、秋田駅前の飲食ビル「鎌田会館」のほか、県内外でミスタードーナツを展開していた鎌田グループが、昭和52(1977)年11月、秋田市中通四丁目に、総合飲食ビル「ロイヤル鎌田・杉のや」をオープン。

キャッチフレーズは「人生の門出から一家の団らんまで・・・心がふれあう笑顔の広場」。

秋田駅ビルおよび秋田空港ターミナルビルに「杉のや支店」を開設すると、「ロイヤル鎌田・杉のや」は「杉のや本店」と呼ばれるようになる。

 各階のご案内

 近づく冬の足音。忘年会や結婚式の噂でもちきりのこの頃。また鎌田グループの新しいスターが誕生しようとしています。その名も、ロイヤル鎌田《杉のや》。外観はもとより、各階ごとにこりにこった仕上げと趣向・・・。人生の門出から一家の団らんまで・・・。“心がふれあう、笑顔の広場”となるよう、味と真心でご奉仕させていただきます。

マルシメ鎌田・杉のや

杉のやロイヤル鎌田《杉のや》1F

マルシメ鎌田・杉のや

マルシメ鎌田・杉のや
昭和52(1977)年 新聞広告

マルシメ鎌田・杉のや

オープン当日は、盛岡のチャグチャグ馬コによる花嫁道中が披露され、秋田杉の容器を使った“杉のや定食”が先着100名に無料提供された。

秋田杉の曲げわっぱを容器とし、さけ・えび・かど(ニシン)山菜などを具材に、かまどの直火で蒸した「わっぱめし」は「杉のや」の名物。

マルシメ鎌田・杉のや
昭和54(1979)年 書籍広告

マルシメ鎌田・杉のや

御影石を敷きつめ、グレーの瓦ぶき屋根をのせた和風のエントランス、正面中央に三色のアルミ板を杉綾模様に組み、その両翼に組木をイメージしたフレームを施し、内装に秋田杉を多用。

建材から食器まで“秋田杉”にこだわり、内外装に趣向を凝らしたユニークな建物は、昭和57年度・市民が選ぶ「都市景観賞」に選定される。

昭和64(1989)年、新事業展開と経営改善のため、「杉のや本店」の建物・土地を、山梨県都留市に本社を置き、秋田県鹿角市に誘致企業「アイデックス」を経営する、金型加工メーカー「相川プレス工業」に約20億円で売却。

「杉のや本店」は「相川プレス工業」とリースバック契約を結び、改装後、テナントとして入居して営業をつづけた。

市内のホテルがブライダル・宴会部門に力を入れてきたことも影響し、大小宴会場の利用が低下していた「杉のや本店」は、テナント契約の更新条件が折り合わず、平成10(1998)年5月末に閉店。ほどなくビルは解体されて駐車場となるが、とても堅牢な建物で取り壊しに苦労したという。

秋田駅ビル内の「杉のや支店」を閉じたあと、最後に残った空港ターミナルビル内「杉のや支店」の経営から数年前に手を引き譲渡。旧鎌田グループの事業はミスタードーナツのみとなり、前掲記事のとおり、創業70年目の平成28(2016)年2月倒産した。

緑色でマーキングした部分が「杉のや本店」跡地、エントランスは東を向いていた。

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旧「マルシメ鎌田」倒産・鎌田会館のミスド

秋田駅ビル・ミスド
ミスタードーナツ 秋田トピコ ショップ 2016.01.15

秋田駅ビル・ミスド

平成28(2016)年1月17日、秋田駅ピル「トピコ」一階のミスドが、経営不振を理由に閉店した一ヶ月後、秋田県内でミスドを独占展開する「KAMADAスマイルコーポレーション」が破産していたことが明らかになった。

県内ミスド経営、KAMADA破産 負債総額5億7千万円

 秋田市南通宮田のKAMADAスマイルコーポレーション(鎌田壽社長、資本金1千万円)が、秋田地裁から破産開始決定を受けていたことが26日分かった。県内でミスタードーナツを独占経営していたが、コンビニエンスストアとの競合により、近年の収益は赤字基調で推移していた。東京商工リサーチ秋田支店によると、開始決定は18日で負債総額は約5億7千万円。

 同社は1946年に先代が冷菓製造販売を目的に個人創業。61年12月にはJR秋田駅前に自社ビル「鎌田会館」をオープンさせ、大食堂や宴会場、結婚式場を運営した。72年にダスキン(大阪府吹田市)とフランチャイズ契約を結び、2年後に株式会社化。鎌田会館にミスタードーナツの県内1号店を開いた。ピーク時の99年9月期は売上高16億1800万円を計上した。

 一方でレストランや宴会場を運営していた別会社の「杉のや本店」(秋田市中通)は経営が振るわず98年に閉店。2002年には鎌田会館も閉めた。営業不振から同市内で2店舗展開していた「ドトールコーヒーショップ」も09年までに経営から手を引き、同社の事業はミスタードーナツのみとなった。

詳しい記事は秋田魁新報朝刊で
このページの記事は簡略版です。詳しい記事は「秋田魁新報朝刊」か「さきがけ電子版」でご覧ください。
(2016/02/27 12:33 更新)
さきがけonTheWeb|秋田魁新報社

記事を補足すると、「KAMADAスマイルコーポレーション」が経営していた、秋田県内12店舗、青森県1店舗のミスドは、運営元であるダスキンの子会社に譲渡済みとのこと。


▼酒まんじゅうの○〆(マルシメ)鎌田

「KAMADAスマイルコーポレーション」の前身は「(株)鎌田会館」その前の社名は「(株)マルシメ鎌田」そして初代の「鎌田冷菓店」。

戦後の混乱期、「鎌田冷菓店」創業者・鎌田貞政氏(大正5(1916)年~平成7(1995)年)は、夫人と共にリヤカーによるアイスキャンデーの移動販売を開始、徐々にその事業規模を広げ、やがて、浅利(協働社)大内(金萬)らとともに、高度経済成長期の秋田市において、一代で急成長をとげた優良企業のひとつとなる。

昭和31(1956)年の営業品目を列記。

冷菓・菓子・清涼飲料 製造卸
冷菓機械・冷菓原料 販売
株式会社○〆鎌田
本店 秋田市中央大通り(※中央通りのこと)
支店 秋田駅前金座街 

○〆アイスクリーム
鎌田のパン
鎌田のジュース
鎌田のラムネ
ミリオンサイダー

鎌田の甘納豆
蕗羊羹
諸越
おのろけ豆

豆砂糖かけ一切
バターピーナッツ
落花生
かわり玉
金平糖

駅前支店
喫茶
酒まんじゅう

森永ドライミックス秋田県特約店
東和ソフトクリーム機械販売
森永・日世・東和 コーンカップ特約店

店頭で蒸されてホカホカと香り立つ「○〆鎌田の酒(さか)まんじゅう」は「金萬」とならんで秋田駅前の名物であった。

アイスクリーム工場はその後、自社ブランド製品のほかに、森永乳業のアイスクリーム・ブランド「アルプス」を製造する「アルプスアイスクリーム秋田県委託工場」となる。

昭和30年代~40年代にかけて、噴水ジュース自販機、そば・うどん自販機を販売。

昭和40年代、日産三万食規模の製麺工場を山王大通りに面した旭北栄町で操業開始。

飲食店事業では、駅前・金座街に酒まんじゅう売店・食堂・宴会場を兼ねた飲食ビル。昭和30年代、秋田駅前「秋田ショッピングセンター」(現「ホテルα-1秋田」の地)に、のちにミスド一号店が入る「鎌田会館」開業。昭和50年代初頭、中央通りに六階建て総合飲食ビル「ロイヤル鎌田・杉のや」開業。

「秋田ステーションデパート」内で麺コーナー、コーヒースタンド、酒まんじゅう・おにぎり売店を経営。「秋田プラザ」(現・キャッスルホテル)内に、お好み食堂、麺コーナー・ソフトクリームコーナーを経営。

秋田駅ビル・トピコおよび秋田空港で和食「杉のや」を経営。等々。

「KAMADAスマイルコーポレーション」と社名変更後は、ミスドの経営に専念する。

鎌田の酒まんじゅう、アイスクリーム、ミスド一号店などの詳細は、下記関連記事を参照のこと。

 

| 昭和ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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○〆鎌田のアイスクリーム

終戦も間もない頃、マルシメ鎌田(現・(株)鎌田会館)の創業者社長は、一本1円50銭のアイスキャンデーをリヤカーにのせ、鈴を鳴らしながら街を売り歩いた。

やがて、行商で稼いだ資金を元手に、秋田市柳町、次いで金座街に冷菓専門店をかまえ、製造・卸売ならびに冷菓製造機器・原料の販売を開始、それから数年後、○〆マークのアイスクリームは県内最大の冷菓ブランドに成長した。


昭和26年 新聞広告

「アイス饅頭・アイス天ぷら」については「接吻ヨリ甘イ・あいすまんじゅう」に。

昭和30年代に入ると、大館と大曲に支店を設け、県内全線の駅構内に出店、「アルプス」のブランド名を使いはじめる。


昭和34年 新聞広告

「アルプス」は森永乳業のブランドで、当時のマルシメ鎌田は「アルプスアイスクリーム秋田県委託工場」だった。


昭和33年 新聞広告

アイスクリーム魔法瓶を無料貸与、まだ少なかった電気冷蔵庫の方は500台用意し、シーズン5000円で貸し出す。

宇宙時代の新製品、ロケットをかたどった「トップスター」の包み紙に「マルシメ鎌田」と「アルプス」の文字がみえるが、これと同じ商品を森永乳業が発売している。


森永アイスクリーム・トップスター

冷菓を運ぶのに必要な冷凍車はまだ高価な外国車、燃費も悪く遠方まで運ぶにはコストが掛かりすぎたため、メーカーは各地に委託工場を置いて製造させたのだろう。

その後、アイスクリーム、酒饅頭のほかに、菓子、清涼飲料にまで営業品目を広げ、昭和38年からは麺類の製造販売を開始、自社経営の食堂でもこの麺を使っていた。


昭和36年 書籍広告

中央大手メーカー進出のきざしが表れた昭和42年、冷菓事業から撤退、麺類製造も昭和50年代に手を引き、飲食サービスに経営の重点を置くようになる。

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秋田初のミスドは鎌田会館一階に

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懐かしき昭和のアイスクリームたち

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