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二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

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秋田東映劇場から伝説のディスコへ、そして・・・

●秋田東映会館の誕生


新聞広告(部分)1968

昭和30年代初頭から東映直営の映画館があった秋田市大町五丁目に、昭和43年(1968)東映が経営する「秋田東映会館」竣工。鉄筋コンクリート 3階建て、1階に駐車場と喫茶店、2階がボウリング場、そして3階が収容人員450人の東映直営館「秋田東映劇場」。



当時は東映ヤクザ映画の全盛時代、こけら落としには梅宮辰夫ら東映スターが来場、『任侠列伝』と『盛り場ブルース』が上映される。



昭和52年(1977)、東映系では「秋田東映」および「東映パラス」が入居するシネコン「有楽町プレイタウンビル」のオープンにともない「秋田東映劇場」閉館。


●伝説の大箱ディスコ時代

昭和53年(1978)8月、「秋田東映会館」を改装した飲食店ビル「大町 NK ビル」開業。映画館のあった3階部分に、「ディスコはうす・プレイボーイ」が入居、前身が映画館だけあって天井が高く、300人を超えるキャパがある広いフロアを誇る、秋田初の大箱ディスコの誕生であった。

世界的なディスコ・ブームを巻き起こした、ジョン・トラボルタ主演の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が公開されたばかりとあって、ディスコ「プレイボーイ」は若い世代を中心に人気を呼び、附属のロッカールームで派手なファッションに着替えた会社帰りのOL・サラリーマン・学生らが連日のフィーバー、一日5~600人が入場する盛況がつづく。

数年後、「プレイボーイ」から「エアーライン」と店名変更。左隣に「第2NKビル」オープン、初代のNKビルは「第1NKビル」となり、後に右隣に「第3NKビル」もオーブン。


第1NKビル(旧秋田東映会館)2009.07

90年代は「スタディオン」の名で営業をつづけるが、長いあいだ若者の社交場としてあったディスコ(クラブ)もやがて閉店、その跡に数年前からキャバクラ「ニュークラブ・カプリコーン」が入居していた。


2008.09

第1NKビル入口の上に設置されていたディスプレイ、上の画像に撤去した跡が黒ずんで残る。カプリコーンは川反四丁目に移転。


●伝説のディスコ・一夜限りの復活そして・・・

今年(2009)の2月、第1NKビルのカプリコーン跡を会場に"伝説の夜が1日復活"と銘打ったディスコ復活イベント「the DISCO」が開催された。発起人はローカル・タレントのシャバ駄馬男。アラフォー世代となったかつてのオーディエンスも集合し、一夜限りの復活にフロアが埋めつくされた。




この復活イベントの流れをうけて、8月末「ニュークラブ・カプリコーン」跡に、イベントスペース「@CLUB AK」がオープン。



そしてこの(2009年)11月1日「@CLUB AK」にて、前回好評だった"伝説のディスコ復活"の第二弾「the DISCO Part2」が開催される。

ヤクザ映画や東映アニメが上映された映画館から、伝説の大箱ディスコ(クラブ)へ、そしてキャバクラからクラブへと、それぞれの時代のモードとサウンドとともに多くの若者が交差し、それぞれの想いが刻まれたホールの歴史はまだ終わらない、築40年を超えたこのビルが解体されるまで。



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関連リンク

the Disco トップページ
「the DISCO」の画像・動画

hair make ragg 200902
数日にわたって「the DISCO」の画像大量

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山王に屋内スケートリンクがあった

向浜に県立スケート場がオープンしたのは、昭和四十六年(1971)十一月のこと。しかし、それよりも早く、60年代後半には山王大通りに民営の屋内スケート場「秋田アイススケートリンク」が営業していた。


昭和四十六年(1971)正月広告

それまで、厳冬期の千秋公園のお堀や、河川でスケートをしていたのだから、屋内の安定した環境で、天候に左右されずに滑りを楽しめる施設は人気を集め、おおいに賑わったようだ。

初期はバスの便がなかったためか、秋田駅前からリンクまで無料送迎バスを三十分おきに運行している。そのころのキャッチフレーズは、「東北一を誇る近代的マンモス屋内リンク」。

20060114140309.gif
1971年版住宅地図を参考

場所は、現在の生涯学習センターと児童会館のあたり。

建物の回りにある点線部分は、シーズンオフに営業されたゴーカートのコースと思われる。スケートリンクは夏には室内プールになった。

現在、秋田県立図書館の建つ場所には、ドライブインとトヨタの営業所、その東の三軒は旅館。あたりは水田が広がり、児童会館前から南に延びる道路が完成するのは数年後のこと。

広くて充実した設備の県立スケート場がオープンして間もなく、「秋田アイススケートリンク」は閉場となった。

20060114140252.jpg
国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省(C)
撮影・昭和五十年(1975)

すでにスケートリンクの影もない。
県立体育館の西にある三色屋根の建物は、昭和四十六(1971)年十二月、ボウリングブームの波にのってオープンした「東北グランドボウリング」。そのキャッチフレーズは「東北一の規模を誇るボウリング場」。

「秋田アイススケートリンク」にしろ、「東北一を誇る」うんぬんというフレーズは、当時の広告の常套句だったようで、それが真実であるかは疑わしい面もあるが、このボウリング場は確かに広かった。

ボウリング場の北が秋田商業高校のグラウンド、校舎とつづく。商業高校は、昭和五十三年(1978)割山の新校舎に移転する。

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