二〇世紀ひみつ基地

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バニーヒップスとアイドル歌謡の宵 ’09

トワイライトリレーコンサート最終日
サンパティオ大町・中庭
2009.09.12

サンパティオ大町の中庭を会場に、6月から9月の土曜の夕方に開催されるトワイライトリレーコンサートも今宵が最終日。

長袖を着ていても肌寒さを感じる雨模様の天候が影響し、テントが張られた中庭に集まった観客は例年よりもだいぶ少ないが、コンサート中は雨も落ちることもなく、いよいよ終盤にさしかかり、この数年トリをつとめる「バニーヒップス with ワンダーランド」の登場。



通常は R&B、ディスコ・クラシックをレパートリーとするユニットだが、年に一度のリレーコンサートだけは客層にあわせて“昭和アイドル歌謡”を特別編成で歌うのが最近の恒例となっている。

「紅白歌合戦」がテーマというスパンコールがまぶしいコスチュームで、ハーモニーが冴える楽曲を聞かせ、軽妙なMCが笑いを誘う、充実のエンターテイナーぶりが観客を魅了する。








♪あなた~を待つの~ テニスコ~ト~

天地真理の「恋する夏の日」を楽しそうに歌うバニーさん。






バニーヒップス with ワンダーランド/センチメンタル・ジャーニー
2007.09 トワイライトリレーコンサートより



ディスコ・クラシックの名曲を歌う COOL! なバニーさん

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秋田東映劇場から伝説のディスコへ、そして・・・

●秋田東映会館の誕生


新聞広告(部分)1968

昭和30年代初頭から東映直営の映画館があった秋田市大町五丁目に、昭和43年(1968)東映が経営する「秋田東映会館」竣工。鉄筋コンクリート 3階建て、1階に駐車場と喫茶店、2階がボウリング場、そして3階が収容人員450人の東映直営館「秋田東映劇場」。



当時は東映ヤクザ映画の全盛時代、こけら落としには梅宮辰夫ら東映スターが来場、『任侠列伝』と『盛り場ブルース』が上映される。



昭和52年(1977)、東映系では「秋田東映」および「東映パラス」が入居するシネコン「有楽町プレイタウンビル」のオープンにともない「秋田東映劇場」閉館。


●伝説の大箱ディスコ時代

昭和53年(1978)8月、「秋田東映会館」を改装した飲食店ビル「大町 NK ビル」開業。映画館のあった3階部分に、「ディスコはうす・プレイボーイ」が入居、前身が映画館だけあって天井が高く、300人を超えるキャパがある広いフロアを誇る、秋田初の大箱ディスコの誕生であった。

世界的なディスコ・ブームを巻き起こした、ジョン・トラボルタ主演の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が公開されたばかりとあって、ディスコ「プレイボーイ」は若い世代を中心に人気を呼び、附属のロッカールームで派手なファッションに着替えた会社帰りのOL・サラリーマン・学生らが連日のフィーバー、一日5~600人が入場する盛況がつづく。

数年後、「プレイボーイ」から「エアーライン」と店名変更。左隣に「第2NKビル」オープン、初代のNKビルは「第1NKビル」となり、後に右隣に「第3NKビル」もオーブン。


第1NKビル(旧秋田東映会館)2009.07

90年代は「スタディオン」の名で営業をつづけるが、長いあいだ若者の社交場としてあったディスコ(クラブ)もやがて閉店、その跡に数年前からキャバクラ「ニュークラブ・カプリコーン」が入居していた。


2008.09

第1NKビル入口の上に設置されていたディスプレイ、上の画像に撤去した跡が黒ずんで残る。カプリコーンは川反四丁目に移転。


●伝説のディスコ・一夜限りの復活そして・・・

今年(2009)の2月、第1NKビルのカプリコーン跡を会場に"伝説の夜が1日復活"と銘打ったディスコ復活イベント「the DISCO」が開催された。発起人はローカル・タレントのシャバ駄馬男。アラフォー世代となったかつてのオーディエンスも集合し、一夜限りの復活にフロアが埋めつくされた。




この復活イベントの流れをうけて、8月末「ニュークラブ・カプリコーン」跡に、イベントスペース「@CLUB AK」がオープン。



そしてこの(2009年)11月1日「@CLUB AK」にて、前回好評だった"伝説のディスコ復活"の第二弾「the DISCO Part2」が開催される。

ヤクザ映画や東映アニメが上映された映画館から、伝説の大箱ディスコ(クラブ)へ、そしてキャバクラからクラブへと、それぞれの時代のモードとサウンドとともに多くの若者が交差し、それぞれの想いが刻まれたホールの歴史はまだ終わらない、築40年を超えたこのビルが解体されるまで。



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「the DISCO」の画像・動画

hair make ragg 200902
数日にわたって「the DISCO」の画像大量

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二〇世紀ひみつ基地 ディスコ夜光虫の時代

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1977 大町にロッキンハウス誕生・旧夜光虫

昭和47年(1972)協働社大町ビル(現・協働大町ビル)一階に誕生したディスコ「夜光虫」は、昭和52年(1977)5月「ロッキンハウス」と名を変えて、リニューアル・オープン。


新聞広告 昭和47年(1972)

オープニングの8日間は内田裕也、次いで、ギタリスト竹田和夫率いるクリエーション(クリエイション)、 安岡力也など、日本のロック黎明期に活躍したミュージシャンが出演。

クリエイションの名は知らなくとも、この曲は聴いたことがあると思う。


クリエイション「スピニング・トゥ・ホールド」

プロレスラーのザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク)の得意技、スピニング・トゥ・ホールドをイメージしてつくられた、ザ・ファンクスの入場テーマ曲にしてクリエイションの代表曲。

70年代後半から80年代にかけて、日テレのプロレス中継に釘付けになっていた世代には、なつかしき名曲である。

ディスコ夜光虫の時代

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ディスコ夜光虫の時代


新聞広告 昭和47年(1972)

昭和47年(1972)11月2日、協働社大町ビル一階にディスコ「夜光虫」オープン。これが秋田における本格的ディスコの誕生であった。ディスコではなくデスコとあるのが時代を感じさせる。



キャッチコピーが「夜の《六本木》をあなたに・・・」。「夜光虫」がオープンする前年、六本木に「メビウス」がオープン。生バンドとレコードの併用が普通だった従来のディスコに対して、「メビウス」は日本で初めてレコードとディスクジョッキーだけで営業。この六本木「メビウス」の成功を踏まえて同様な営業形態のディスコが次々に誕生していく。秋田の「夜光虫」もその影響のもとに誕生した。


新聞広告 昭和49年(1974)


新聞広告 昭和49年(1974)

秋田でのライブハウスの草分け的存在となる喫茶店兼酒類販売店「田中屋」。喫茶店チェーンを展開していたエルザの店舗は、秋田駅前店がコーヒーレストラン、仲小路店がコーヒーショップ、大町店がコーヒーレストラン、そして大曲店がコーヒースナックと記されているが、内容は全店変わらなかったと思う。「夜光虫」のコピーが「ROXY DISCO-INN」、まさにロキシー・ミュージック全盛の時代だった。



若者が集うプレイスポットだった当時の雰囲気が今も残る協働社大町ビル(現・協働大町ビル)。左手にエルザ、田中屋などが並び、突き当たりに「夜光虫」がスペースを占め、大町の夜に妖光を放っていた。

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六本木メビウス(MAHARAJA WEB SITE)

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