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二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

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秋田生まれで神田の育ち・龍角散

「ゴホン!と言えば龍角散」のキャッチコピーでおなじみの、咳止め和漢薬「龍角散」。この薬、久保田藩の御典医・藤井玄淵により、文政年間に藩薬として創製されたと伝えられている。


江戸末期、長崎に渡り蘭学を修めた、三代目・藤井正亭治が、藩主・佐竹義堯(よしたか)侯の喘息の持病を治すために、蘭医学の知識を加味して処方を改良。当時の処方成分が、化石動物の骨「竜骨」、インドネシア原産の植物・龍脳樹の樹脂が結晶化したもので御香の原料にもなる「龍脳」、鹿の角を原料とする「鹿角霜」であったことから「龍角散」と命名された。

明治二十七年、正亭治の長男・得三郎がさらなる改良を加え、微粉末状を特徴とする現在の処方を完成させた。

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明治三十四年・秋田魁新報

秋田と大曲に藤井得三郎商店直営の支店が置かれている。大曲(現・大仙市)の支店は現在も漢方薬を主に扱う「藤井薬局」として営業を続けているが、その外観は、藤井家の「下がり藤」家紋と龍角散の名前が大きく描かれて、まるで「龍角散」のパッケージのようだ。(2013 追記・現在は改装され、小さな家紋が表示されている)

「藤井薬局」は江戸末期、藤井正亭治の代に創業した由緒ある店、そのため新聞広告でも秋田支店より大曲支店の方が先に記述されているのだ。「龍角散」創始者・玄淵の墓は大仙市の安養寺にある。

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大正四年・書籍広告

茶町菊ノ丁、現在の大町二丁目、ニューシティービル裏の小路に、戦前まであった東京藤井支店。

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明治四十年・福島民報

掛け軸の上に徳川家の「三ツ葉葵」を龍が取り巻く商標は、藩政時代「龍角散」を将軍家に献上した史実にちなんでのことか。この登録商標、海外では現在も使われている。

「ぜんそく根治薬」「必ず根治全快」「百発百中、立ち所に」など、今の薬事法下では禁止されている誇大表現が、露店に店を構えるテキ屋の口上のようで面白い。「龍角散」で「ぜんそく」の症状が和らぐことがあっても、それが根治するわけがない。

もっとも、テキ屋の起源であるところの「香具師(ヤシ)」は元々、「ガマの油売」のように薬を売る露天商で、テキ屋が祖先と仰ぎ祀る「神農黄帝」は、野山に自生する百草を舐めて医薬を作ったという神。その神と同一の「炎帝神農」を製薬会社が医薬の祖として祀っているのだから、戦前の薬品会社の広告がテキ屋の口上によく似ているのも、至極ごもっともなことではある。

秋田で生まれて東京は神田で育った「龍角散」も、今では日本で消費される四倍の量が海外で流通しているという。

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関連リンク

龍角散:日本ののどを守って200年。
台湾龍角散・日本語サイト

| 秋田市今昔 | 23:30 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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テキ屋のジョニー君

今年の竿燈期間中、秋田駅前ポポロードで、怪しげでどこかなつかしい実演販売を見た。

通路の中央にできた円陣の人込みに足を止めると、三十代なかばほどの男が、小さな人形を声で操っている。人形は手のひらにすっぽり隠れるほどの大きさで、胴体は紙、脚がゴムとスポンらしきもので作られていて、男が「ジョニー君、ジャンプ!」と命令すると、直立した人形はまるで生きているかのようにピョンピョンと飛び上がり、差しだされた紙の上に乗った。そのほか「正座」「腹筋」「おやすみ」「宙返り」「回転」など、ジョニー君はどんな命令も簡単にこなす。

その姿はさながら、中世の陰陽師が、紙に命を吹き込み操ったという式神が現代に蘇ったかのよう。

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見ていた子供が声を掛けても同様に命令に従う。おまけにジョニー君はバイリンガルなので英語でも日本語でも聞き分けるのだ。

どんな仕掛があるのかとしばらく見物していたが、操る糸も不審な動作も全くみられない。ジョニー君の頭の上を紙で遮ったまま命令してもジャンプを続ける。

ひとしきり実演したあと「これにはタネと仕掛がありますが、ちょっと練習すれば誰でも簡単にできます。説明しますと……」といいながら、ジョニー君の背中を指さし、「この部分にこのシールを貼ってください。あとは説明書を読めば誰でもできます」と、その厚手のシールにこそ重大な秘密があるかのような素振りをみせ、一体1000円のジョニー君を売りはじめる。

それ以来、頭の隅っこに引っかかっていたジョニー君の正体が気になってネットで検索してみると、たくさんの情報が掛かってきた。

そのタネを要約すると、見物人の中にサクラがいて手品用の見えない糸でジョニー君を操っているが、見ているほうは実演に注目しているので、指先をかすかに動かしているサクラには意識がいかない。販売用のジョニー君には、釣り糸のような見える糸が入っていて、タネとして説明された背中に貼るシールは、糸を固定するものらしい。

男は「もっと近くに寄って見てください」と再三声を掛けていたが、客が後ろに下がってしまうとサクラの動きが後ろから覗かれてしまうためだ。客を円陣に集めるのも、サクラの後ろに人を集めないための工夫なのだろう。

通常の販売価格は1セット500円。人出の多い時期は1000円。
見ているうちに何体か売れていたが、家に帰ってがっかりした人も多かったのではないだろうか。しかしそれに文句を言うのは野暮というもの。原価数十円のものが1000円では暴利だが、大道芸としてみれば、口上とテクニックで人を惹きつける見事なパフォーマンスといえる。

サクラと口上を駆使する手口はテキ屋のやり方と同じ。ジョニー君の実演販売は、かつて祭りの露店や、学校の校門近くの路上に現れて、インチキネタ(商品)を売っていたテキ屋のおじさんの現代版なのだ。

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テキ屋のジョニー君再び・動画特集

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ジョニーくん
小さな動画あり(外人売人)

魔法使いジョニー

| 散歩写真・路上観察 | 23:00 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

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男心と「透視メガネ」

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掲載年不明

昭和五十年代ころまでの雑誌にはよく見られたあやしげな通販広告。「週間実話」などのオトナの雑誌をはじめ、少年雑誌にも似たような広告が載っていた。これは価格から推測すると最後期のものか。

「透視する事が出来る」と断言せずに「透視する事が出来るようです」と逃げ道を作ってあるが、「見えたぞ!!  見えた!! 」と煽り、「類似粗悪品に注意」「日米英独特許申請画期的新発明」と「本物」であることをほのめかす手口は、テキヤの口上のごとく男のスケベ心を刺激して止まない。

透視メガネの原型は、「レントゲンガラス」「X線透視めがね」「X線透視鏡」などと様々に呼ばれ、かつては祭りの露店や、学校の校門近くにも現れたテキヤのネタ(商品)だった。「骨が透けて見えるよ」などと言われて、万華鏡のような筒箱の前後に曇りガラスが取り付けられたスコープで、手のひらを光りにかざして覗くと、指の骨がレントゲンフイルムのように黒くはっきり映る。

その仕掛けは、ガラス部分に羽毛が仕込まれていて、それを覗くと対象物の輪郭が薄くぼけて中心部だけが細く黒く見えるというもの。原料の鳥の羽は、どれでもよいわけではなく、キジの羽毛が最適で、当時のテキヤが扱っていたもののほとんどがこれを使っていたという。

昭和三十年ころ日本で始めてメガネ型の「エックス線メガネ」を開発し、通信販売を始めた人物のもとには、「ウチの親分のネタをパクリやがって、バラスぞ」「火を付けてやる」と、テキヤからの脅迫状が届いたというから恐ろしい。

覗けば透視できるという製品は、明治期の雑誌広告にすでに登場している。

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「エッキス(X)光線器」明治三十二年広告

文章、イラストともに基本は昭和の広告とあまり変わらず、種類も普及品と高級品がある。高級試験用甲が三円となっているが、米一俵(60kg)四円の時代としてはかなりの高価。鳥の羽を使ったと思われる、この「不思議の珍品」、学校、病院等多数の注文には特別割引とあるのだが、はたして購入した団体があったんだろうか。

通信販売の「透視メガネ」には、「透視効果が強力なため骨まで透けてしまいました」というような断り書きが添えられいたという。原価のわりには随分高価なジョークグッズだったわけだ。

骨透視鏡
http://www.urap.org/forum/ashi/science/xray/xray.htm
原理と作り方

米国製「透視メガネ」
http://www.olywa.net/blame/how/how4.htm
日本と同じく羽毛を使ったメガネ、その原型は1940年代のものという。

| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 23:00 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

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歯車ぐるぐる幾何学模様

昭和四十年代、祭りの露店には、色とりどりのカラフルなプラスチック製の定規が並べられ、その前には人だかりができ、テキヤのおじさんが手際よく描く花模様に見とれていた。それは、歯車の穴にペンを指してぐるぐる回すと、奇麗な幾何学模様が描けるオモチャ。

正式名称は「スピログラフ」といい、考案者はイギリスのエンジニア、フイッシャー氏。1965年ころ商品化し店頭に並ぶと、ろくに宣伝もしていないのに口コミで爆発的ブームとなる。

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米国KENNER'S社 1967
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豪華セット!!

日本で「スピログラフ」を売りだしたのは、釣具メーカーのダイワ精工。海外戦略のために飛び回っていた当時の副社長がブームに目をつけ、考案者と会い輸入販売の契約をまとめる。最初は輸入品を売っていたが、国産化し販売するために「株式会社セイコウ」を創設、西山清章商店が販売窓口となりデパートや玩具店へ流通させたが、ブームの終焉とともに「株式会社セイコウ」も解散している。

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昭和四十二年当時の価格は1.750円、公務員の初任給が25.200円の時代だからかなりの高級玩具であった。しかし、都内百貨店での実演販売は好評で、予想以上の売り上げだったという。

祭りの露店に出ていたバチモン(まがい物)の小型定規は50円くらいだったと思うが、ボールペンを差し込む穴が貫通していない不良品も多かった。

商品名は「スピロデザイン」(株式会社タカラ)、「デザインスケール」など。

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実演販売中のインドの露天商

| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 18:30 | comments:4 | trackbacks:2 | TOP↑

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