1. 千秋公園でスケート競技大会・昭和初期映像発掘

    ▼秋田の競技スケート発祥地・千秋公園スケートリンク 明治42(1909)年2月、長野県上諏訪町の南信日日新聞社が主催して開催された「諏訪湖一周氷滑大会」が、日本におけるスケート競技大会の起源とされる。 この大会で使われた用具は、地元の鍛冶職人が製造した、歯の無い下駄の底に鉄製ブレードを付けた和洋折衷ハイブリッドな下駄スケート。 足袋に下駄スケートをはき、木綿で平らに編んだ真田紐(さなだひも)で、足と下駄を...

  2. スケートリンクでゴーカート

    山王大通りにあった「秋田スケートリンク」では、スケートシーズンが終わればゴーカートコースがオープンした。新聞広告 昭和四十六年(1971)● 東北ではまれに見る交通安全の一助にもと考え、近代的なゴーカートを開設いたましてから三周年、ご承知の通りゴーカートは老若男女を問わず楽しみと親しみを与えコースを存分に運転し、更には交通ルールを身につけることができると、大変好評を得ております。ぜひ一度おためしいただき...

  3. 達三少年のスケート遊び

    石川達三が秋田市楢山裏町時代を回想した随筆には、冬の暮らしに関する記述が多い。物心のつき始める三歳から七歳まで秋田市で暮らし、その後は雪の積もらない東京に出ているため、幼いころの雪国での生活はとくに印象深く心に刻まれたのではないだろうか。達三少年たちは、雪道に「氷の道」(スケートリンク)をつくって遊んでいる。 雪道を踏みかためて、私たちは毎日すべっていた。小学校の五年ぐらいになるとスケートをはき、...

  4. 山王に屋内スケートリンクがあった

    向浜に県立スケート場がオープンしたのは、昭和四十六年(1971)十一月のこと。しかし、それよりも早く、60年代後半には山王大通りに民営の屋内スケート場「秋田アイススケートリンク」が営業していた。昭和四十六年(1971)正月広告それまで、厳冬期の千秋公園のお堀や、河川でスケートをしていたのだから、屋内の安定した環境で、天候に左右されずに滑りを楽しめる施設は人気を集め、おおいに賑わったようだ。初期はバスの便がな...

  5. 雪道には馬橇が走り

    昭和三十年一月一日発行の『広報あきた』に、児童生徒に対する冬休みの注意事項が載っている。「冬休みをむかえて」(1)学習励行のため毎日きめられた時間前には友だちをさそわない。 (2)道路上の遊びはさけ、自動車、馬そりなどの後には絶対つかないようにする。 (3)スキー遊びは安全な場所でやる。手形山には市営の山小屋が設けられ毎日十時より十七時まで管理人がつとめている。記念館前の坂は雪遊びの場所として車馬の交通止が...