二〇世紀ひみつ基地

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幕洗川二区・国芳の大鰐鮫・土崎湊曳山祭り

平成二十九年(2017)七月二十日・二十一日
土崎湊曳山祭り(通称・浴衣祭り、かすべ祭り)
土崎神明社例祭

土崎港曳山まつり

今年の曳山を飾る「人形・つくりもの」のなかで、ひときわ眼を惹いたのが、幕洗川二区の大鰐鮫(おおわにざめ)。

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

見事な造形を見せる大鰐鮫と柘植(つげ)の木、黒木綿にラフに描かれた白波、そのコントラストが夏の強い日差しに映える。

この大鰐鮫のビジュアル面での元ネタは、一勇斎国芳(歌川国芳)が曲亭馬琴の読本『椿説弓張月』(ちんせつゆみはりづき)の一節に着想を得て描いた錦絵『讃岐院眷属をして為朝をすくふ図』。

Kuniyoshi01
『讃岐院眷属をして為朝をすくふ図』嘉永5(1852)年
大版三枚続(35.8×74.5cm)

『椿説弓張月』から、大鰐鮫が登場する部分のあらすじを・・・・・・

源為朝(みなもとのためとも)が平家討伐のため京へ向かう途中、海上で暴風雨に遭い、為朝の嫡子・舜天丸(すてまる)と、忠臣・八町礫紀平治(はっちょうつぶてのきへいじ)をむ乗せた船は遠くに流されてしまう。

為朝の船が転覆の危機をむかえ、その妻・白縫姫(しらぬいひめ)は、荒れ狂う海を鎮めようと、故事にならい入水するも暴雨風はおさまらず、同船の部下たちは全滅。天命を覚悟し自決を図ろうとしたそのとき、天より讃岐院(崇徳上皇)の眷属と称する烏天狗(からすてんぐ)が現われ、船を立て直し為朝を救う。

『椿説弓張月』第三十二回

忠魂鰐に憑て幼主を救ふ
(ちうこんわににのりうつりてようしゆをすくふ)
神仙気を吹て殃折を甦す
(しんせいきをふいてようせつをいかす)

 そのころ、舜天丸の船も危機を迎えていた。紀平治は舜天丸を守り、高間太郎と磯萩は十余人の郎党を励まして必死で船を立て直そうとするが、船は巌に当たり、砕け散った。荒れ狂う波の上に打ち上げられた主従たちの中で、高間太郎と磯萩は、魂になり主の守護をしようと心中して果てる。
 泳ぎの名人であった紀平治は、舜天丸を抱いたまま、命の限り泳ぎつづける。しかし島も巌も見つからないまま、溺れ死にそうになったとき、大きな沙魚(わにざめ)が現われ、主従を食おうとした。そのとき高間夫婦の魂が大魚の口の中に入り、紀平治と舜天丸を担ぎ上げ、翌朝とある島に送り届けた。‥‥後略‥‥

『椿説弓張月』続編 より

Kuniyoshi02

讃岐院(崇徳上皇)の眷属(けんぞく)烏天狗に救われる為朝。船の廻りに集まる烏天狗の姿が、異界の存在であることを暗示するかのように白抜きに薄墨で描かれている。

Kuniyoshi03

大鰐鮫に助けられ、その背に乗る、舜天丸を抱く紀平治。

土崎港曳山まつり
▲八町礫紀平治と舜天丸

土崎港曳山まつり
▲源為朝と烏天狗

『椿説弓張月』の挿絵は葛飾北斎が描いているが、魚に近い国芳の大鰐鮫に対して、北斎の大鰐鮫は鰐に寄せた姿で表現されて迫力があり、特撮映画に登場する怪獣を思わせる。

Hokusai
▲葛飾北斎画
舜天丸(すてまる)を抱(いだき)て
紀平次(きへいじ)沙魚(わにさめ)に救はる


▲2017年7月20日【土崎港曳山祭り】 幕洗川二区

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封鎖銀行の「無用門」はトマソン物件

殖産相互銀行秋田支店
2012.06

秋田市南通亀の町に存在した保存樹「遺愛の松」跡の向いに建つ、旧「殖産相互銀行秋田支店」。

「殖産相互銀行」は、本店を山形市に置く地方銀行で、平成19(2007)年、「山形しあわせ銀行」と合併、「きらやか銀行」として新発足している。

昭和63(1988)年、秋田支店を廃止、「第一勧業銀行(現・みずほ銀行)秋田支店」に事業を譲渡。以降、正面玄関をコンクリートで固く封鎖。

殖産相互銀行秋田支店
2012.06 旧・殖産相互銀行秋田支店

閉ざされてから四半世紀が経過した銀行建築の、無用の長物と化しながらも風格を感じさせる煉瓦積アーチ門は、「路上観察学会」が「無用門」と分類した、典型的トマソン物件である。

無用門
塞がれてしまってもいまだ門としての威厳を保っている門。また、塀や壁などが無く、本来なら門を必要としないはずの開放された場所に設置されている門も「無用門」に分類される。
トマソン - Wikipedia」より

超芸術トマソンとは、赤瀬川原平らの発見による芸術上の概念。不動産に付属し、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物。存在がまるで芸術のようでありながら、その役にたたなさ・非実用に於いて芸術よりももっと芸術らしい物を「超芸術」と呼び、その中でも不動産に属するものをトマソンと呼ぶ。 超芸術を超芸術だと思って作る者(作家)は無く、ただ鑑賞する者だけが存在する。

‥‥中略‥‥

トマソンの語源は、プロ野球・読売ジャイアンツ元選手のゲーリー・トマソンに由来する。

トマソンは、元大リーガーとして移籍後1年目はそこそこの活躍を見せたものの、2年目は全くの不発でありながら四番打者の位置に据えられ続けた。その、空振りを見せるために四番に据えられ続けているかの様な姿が、ちょうど「不動産に付着して(あたかも芸術のように)美しく保存された無用の長物」という概念を指し示すのにぴったりだったため、名称として採用された。
トマソン - Wikipedia」より 


大きな地図で見る
旧・殖産相互銀行秋田支店

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二〇世紀ひみつ基地 城下の面影「遺愛の松」名木残影

関連リンク

殖産銀行 - Wikipedia

トマソン - Wikipedia
路上観察学会 - Wikipedia

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何か居る通学路・不気味な彫像

通学路木彫
2013.05

築山小学校に近い通学路の片隅に居る「交通安全」のタスキをかけた木彫像。

通学路木彫

子どもを見守る「緑のおばさん」の代わりにと、近くの方が置いたのだろうが、佇まいが不気味で、夜道でばったりと出くわしたらゾッとするに違いない。

異国の女神めいたこの彫像、以前どこかで見たような気がするのだが・・・。

通学路木彫

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版画家・池田修三の軌跡・1950s~1990s

象潟町出身の版画家・池田修三(1922~2004)が、秋田県のPR誌「のんびり Vol3」で特集され、郷里の象潟公会堂で作品展が開催されるなど、今、その作品がスポットライトを浴びている。

検索キーワード「池田修三」で当ブログを訪れる閲覧者も増えたこの機会に、前回掲載した初期作品も加えて、昭和から平成に到る修三版画の軌跡をまとめてみた。

無料配布のPR誌「のんびり」は以下関連リンク先でも閲覧可能。

関連リンク
のんびり のんびりまっすぐ秋田のくらし
象潟郷土資料館

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二〇世紀ひみつ基地 追悼・池田修三氏


▼秋田「聖霊学園」教職時代

まず最初に秋田市のミッションスクール「聖霊学園」で教師をしていた、昭和29年前後の習作から。太平山の山並みや、聖霊の女学生をモデルにした作品もある。


太平山

04池田修三

01池田修三

02池田修三

03池田修三

05池田修三

中央で陰陽に反転した「うなだれる群像」。これもまた修三の一面。

06池田修三
肉筆スケッチ

07池田修三
挿絵・聖霊学園学報『秋聖新聞』昭和29年3月1日発行号より


▼版画家時代・モノクロ主体からカラフル&ポップに

以降は「聖霊学園」を退職、上京して版画家に転向してからの作品。初期のモノクロ作品に最も魅力を感じる。

作風は徐々にカラフルに、ポップで童画風なものに変容してしてゆくのだが、作品の根底を流れる、どこか哀愁をおびた通奏低音は、最後まで変わらなかった。

22池田修三 No41 1956
No.41 1956

諦観を表すかのように、うつろな眼をした女の体に残る痛々しい傷跡は、作家の「自傷=自己否定」の痕跡か。

 08池田修三 No404 1960
No.404 1960

10池田修三 No501 1962
No.501 1962

観る者を射る反抗的な眼が好き。

11池田修三 No588 1964
No588 1964

「母親の腕に抱かれる赤子」にも、「子宮の中で眠る胎児を慈しむ妊婦」にも見える両義的作品。

12池田修三 うさぎ 1964
うさぎ 1964

13池田修三 秋果 1964
秋果 1964

14池田修三 あつまれ 1966
あつまれ 1966

この時期に制作された数点に、影法師のような「黒い子どもたち」が登場する。

はじめてそれを観たとき、この世のものではない、人の目には見えない存在を表現していると感じた。幼くして天に召された子ら、または産声をあげることもなく消えた命、もしくは天使的存在。

「旗を持つ子どもたち」は修三版画にしばしば登場するテーマ。はためく「旗」は「不可視な風を視覚化する装置」でもあるから、背景のない空間で髪をなびかせて遊ぶ子どもらは、実体を持たない「風の子」である。

15池田修三 輪おどり 1966
輪おどり 1966

16池田修三 雪 1973
雪 1973

17池田修三 三色すみれ 1982
三色すみれ 1982

秋田相互銀行(秋田あけぼの銀行と改名後、羽後銀行と合併、北都銀行となる)のカレンダーや通帳に修三の版画が使われていた80年代の作品。

銀行のグッズに採用されたことで、秋田県民にとって修三版画の少女たちは、どこかで見覚えのある、なつかしい存在となっている。作者の名は知らずとも。

18池田修三 旗の行列 1987
旗の行列 1987

19池田修三 最上川初夏 1992
最上川初夏 1992

20池田修三 こばと 1994
こばと 1994

21池田修三
年代不詳

23池田修三

平成5年(1993)の案内状。裏には菜の花と鳥海山。これが秋田における最後の個展だったかもしれない。

池田修三(1922~2004)版画家

大正11年(1922)、由利郡象潟町生まれ。東京高等師範学校(現・筑波大)卒業後、秋田県立由利高校で6年、聖霊学園(秋田市)で3年間教職を務めた後、昭和30年(1955)退職し上京、木版画に専念。少女や子どもたちの居る情景を得意とした。

1957 日本版画協会展出品・受賞
1959 現代版画コンクール展・受賞
1968 ビストイア(イタリア)版画ビエンナーレ展
1977 日本版画協会、退会

主な海外の版画展 
アメリカ・オルゴン大学展
ニューヨーク・セントジェームス教会展
シカゴ・メンストリートギャラリー展
百点の日本現代版画アメリカ巡回展
イタリア・花のビエンナーレ展

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