米国からやってきた凄い玉・スーパーボール
地面に叩きつけた小さなボールが、大きくバウンドして三階建てのビルを軽く超えたとか、とにかく噂の方が先行していて、その現物を手にしたのは、それからしばらくしてからのことだったと思う。
カリフォルニアの科学者 ノーマン・スティングレーが発明したゴム製ボールを、玩具メーカー Wham-O社が改良を加え、スーパーボールの名で発売したのが1965年(昭和40年)。

少年少女たちのあいだで熱狂的に受け入れられたスーパーボールはやがて大人をもとりこにし、その年のクリスマスまでに約700万個が販売される大ヒット商品に。のちにその玩具の名から、アメリカンフットボールの対抗戦である“スーパーボウル”のネーミングも生まれる。

Wham-O社・創業者リチャード・ナー氏
Wham-O社はスーパーボールのほかに、フラフープとフリスビーディスクを製造したことで有名な、米国を代表する玩具メーカー 。
発売当初の TVCM
スーパーボールの素材は、タイヤなどに使用されるポリブタジエンラバーという合成ゴム。反発弾性にすぐれた特性を活かし、ゴルフボールの核としても使われている。
米国の大ヒットから間もなく、Wham-O社のスーパーボールは、日本にも輸入され、本国と同様に人気玩具に。
ラーメン一杯が80円(東京都内)の時代、正規輸入品の価格は一個100円から180円ほどと、子どもにとっては比較的高価な玩具だったスーパーボール。その特性がわざわいし、ようやく手に入れたのもつかのま、すぐに紛失して泣きをみることも。
その頃にはすでに、国産の安価な類似品が流通していたが、本家と比較すると反発力の劣るものが少なくはなかった。

新聞広告 昭和41年
キャラメルに封入されたカードを集めて応募するグリコの景品。
地味な単色がカラフルになり、バリエーションが増えてから、ガチャガチャ(カプセル・トイ)の商品としても使われ、やがてテキ屋(露天商)の定番商品に。
昭和40年代初頭のつかのま、世代を熱狂させた往年のハイテク玩具も、今ではありふれて安価な駄玩具。当時の子どもらが、お祭りの露店にあふれるスーパーボールを目撃したならば、目を丸くして驚くことだろう。

スーパーボールすくい
昭和30年代からゴム風船などを製造する、エスエージーバルーンズ株式会社(旧・伸栄ゴム)は、早くからスーパーボールを手がけたメーカー。現在もスーパーボールのほかに、バルーンペット(お散歩バルーン)など、テキ屋向けのネタを多く取り扱っている。
スーパーボールで思いだされるのが、数年前にネット上で話題になった、ソニーのハイビジョン液晶テレビ BRAVIA の TVCM(国内未放送)。
サンフランシスコの一地区を閉鎖し、空気銃から一気に打ち出された、色とりどりのスーパーボールがストリートを乱舞する光景をとらえた幻想的な映像は一見の価値あり。
Sony Bravia
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Wham-O, Inc.
The Original Wham-O (R) Super Ball (R) - - The "Most Amazing Ball Ever Created By Science."
The World's Largest Bouncy Ball Archive.
スーパーボール・コレクション
S.A.G. BALLOONS
エスエージーバルーンズ株式会社(旧・伸栄ゴム)
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イベント用スーパーボール販売
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