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二〇世紀ひみつ基地

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だるま祭りの宵



秋田の町に春を告げる、川反一丁目、福一満星辻神社のだるま祭り。
宵祭りの十二日は、六月中旬の気温という暖気に、昨日までの肌寒さが嘘のよう。
恒例の雨もぱらつき、宵宮の夜は更けてゆく。

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闇のなか、白熱灯のあかり輝く夜店は、二〇世紀的郷愁装置。

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続・春を告げる「だるまさん祭り」


手のひらサイズのミニだるま

鬼門除けの守り神、火伏せ、風邪除けの神という「星辻だるま」は、明治までは神社の講中で造っていたが、今は県外産。五万円もする大きなものから百円のミニダルマまであるなかで、この百円のものが、いちばん素朴で愛らしく、人気があって初日には売りきれてしまう。頭の上に「星」、お腹には「川反一丁目」を表す「川」と「一」の装飾文字。大きなだるまには「福一満」の文字があるが、これは比較的最近のもので、伝統的なデザインは「川一」である。かつては川反の芸者さんのマスコット的存在でもあった。

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もともと秋田市内、特に外町周辺の祭りだったのが、市外からも参拝者が集まるようになったのは、昭和四十年代のこと。「火伏せ」と「鬼門除け」、近年では「商売繁盛」「学業成就」を祈る参拝客は、一年間の役目を終えた、だるまを持って神社に納め、新しいだるまを買い求める。毎年一万五千個ほどのダルマが売られるが納められるダルマの方が多い。というのも他所で買い求めただるまも納めていく人もいるから。そのため古いだるまは境内を埋め尽くすほどの量になる。

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役目を終えた古いだるまを納める

納められた大量のだるまは、六月にお祓いののち数個を旭川に流し、他は焼却されるが、四十年代の後半には、すべてのだるまを秋田大橋まで運び、雄物川から日本海に流していた。日時は六月の最終日曜日、人のツミケガレをヒトガタに託して川に流す、六月晦日の「大祓・オオハラエ」も兼ねた行事であったのだと思う。

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かつての「だるま流し」

この「だるま流し」は、公害問題もあって数年間で終わってしまうが、大量の赤いだるまが川を下る姿は壮観であった。

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露店が出るのは宵宮の十二日だけ

| 祭り・民俗・歳時記 | 23:00 | comments:1 | trackbacks:1 | TOP↑

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春を告げる「だるまさん祭り」

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福一満星辻神社 だるま祭り
四月十二日 宵宮
  十三日 本宮
両日とも朝七時から夜九時まで
秋田市川反一丁目

星辻神社は境内に天保一四年(1843)と刻まれた手洗石ある古い神社だが、藩政期は聖護院(清光院)という修験の堂宇で、本尊は虚空蔵菩薩であった。そのため、お年寄りはこの神社を「セイゴイさん」とか「セイコウさん」と呼ぶ。明治維新の神仏分離の際に、虚空蔵信仰と縁の深い北斗七星、明星信仰の神社に衣替えし、星辻神社と名をかえ今に至る。

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昭和四十年代の「だるま祭り」
今はコンビニ袋に入れられるが、このころは裸で持ち帰った

境内で「だるま」が販売されるようになったのは、明治になってからで、明治十九年の俵屋火事のあと、外町の火伏せの神さまとして急速に信仰を集めたといわれる。「火伏せだるま」の異名があるように、祭典の日には必ず雨が降り火難を防ぐと伝えられ、雨が降らないと大火があるともいわれる。

上肴町に明治二十八年に生まれた、文化人・鷲尾よし子は明治期の「だるまさんの祭り」の様子を書き残している。

 秋田市で春一番のお祭りは、一丁目川反の星辻神杜の「聖護院のだるまさん」のお祭りである。おまつりそのものより、重苦しい冬から解放された喜びを証拠立てるように嬉しがる。四月十二日の夜、
「サア、行こ行こ。せいごいさんのおまつりさ!」
と若いものたちがそわそわめくと、子供達が
「おらも行くう!」と、うなる。祖母が、
「赤いいしょう着て!」と晴れ着を出してくれる。一、二丁目先のお宮まで行くのにも晴着に着かえるのは、神仏を崇めて敬意を捧げるためであった。私は母の妹の叔母につれて行って貰った。
 春初めてのお祭りには、人がぞろぞろと出ていた。古いお宮にまずおまいりしてだるまさんを買う。屋台店が並んでいるが、まだアセチリンがない時代で、ローソクでうすぐらかった粗末な売台には、このお祭りにつきもののウチワ餅が、並べられていた。お餅を将棋の駒型に切ったのへ、黒砂糖をネットりつけて串にさされている。それにカルメやき、軽やきも賑かに見えていた。
 私は叔母とだるまさんを大事にして帰ったが、通町角で、ウチワモチをつけられても泣かずに帰った。が、みんなに笑われてしまって、泣きそうになったら、祖母が拭いてくれながら、泣かなかったことをほめてくれた事を思い出す。
雑誌「秋田」(鷲尾よし子主筆) 昭和五十年二月号より

ここに出てくる「ウチワ餅」という名物は、黒蜜をたっぷり塗った押し餅で、悪ガキどもが、娘たちの晴着にこれをペタペタとつけるイタズラが流行、あまりのひどさに警官が見張りに立つ始末であったという。


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続・春を告げる「だるまさん祭り」


沈丁花の香りはダルマ祭りの記憶とともに





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