二〇世紀ひみつ基地

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秋田駅前定点観察・変形建築「緑屋ビル」近隣

▼秋田駅前定点観察 2004-2017

今回は記事が長くなったのであらかじめ概要を説明すると、まず前半は、秋田駅前「緑屋ピル」現在の正式名称「エスポワール緑屋」の西側、広小路に面した「ゼンオンビル」旧「美光堂」の、2004年から2017年にかけて、13年間の変化を定点観察。そして後半で「緑屋ピル」と近隣の、昭和から平成まで50年間をふり返る。

秋田駅前
▲2004.02

秋田駅前「緑屋ビル」一階右手にコンビニ「サンクス」が入居。その右隣に“カメラが安い”のキャッチコピーが見える「美光堂」は、すでに廃業してシャッターを下ろしたまま。

「美光堂」の左隣「緑屋ビル」の凹んだ壁面に張り付くように、小さな店を構える「キャッスルベーカリー」は、広小路「キヤッスルホテル」の焼きたてパンとエスプレッソコーヒーを販売する人気店。

秋田駅前
▲2004.03

カメラの「美光堂」右隣、居酒屋「屋々 YA-YA」が入る「ゼンオンビル」はもともと、レコード・楽器・楽譜を取り扱う「ゼンオン秋田営業所」があったビル。60年代末から70年代にかけて足しげく通った。

70年代末頃、仲小路「角繁ビル」一階に、支店「ミュージックスポット・ゼンオン」を開設。

秋田駅前
▲2004.04

カメラの「美光堂」が取り壊されて、ビルの谷間にポッカリと空間が出現。要塞めいた壁面を露出する「緑屋ビル」一階の「サンクス」はすでに閉店している。

美光堂
▲1973(昭和48)年7月 新聞広告

中央通りにも支店を置いた「美光堂」の現像所が、秋田市泉金ノ町の経営者宅地内にあって、そこで短期間バイトしたことがある。

広告のカメラは当時の人気機種「アサヒペンタックスSP」。今は手元にないが、自分がいちばん初めに手に入れた忘れがたき一眼レフ機。

秋田駅前
▲2004.10

「美光堂」跡地に新築された「コセキビル」にレストランなどが入る。

秋田駅前
▲2006.10

「ゼンオンビル」のテナントは「屋々 YA-YA」に代わって「東洋新食堂」。

秋田駅前
▲2009.11

「コセキビル」のテナントが一新。一階にドリームリンク経営の「炭火串焼き 助六」。二階のカフェ「Kissaten」は、2009年5月末まで秋田市保戸野通町で営業していた「てぃー・たいむはオブジェのように」が名を改めて復活した店。

「キャッスルベーカリー」が店舗と共に消失。現在(2017.08)後継店「キャッスルベーカリー 城東店」が秋田市広面字宮田の特別養護老人ホーム構内で営業している。

秋田駅前
▲2017.08

そしてこちらが最新の画像。

二台の自販機が並ぶ「キャッスルベーカリー」跡地。

「炭火串焼き 助六」跡に、ドリームリンク系の「駅前ラーメン すみたに」。「ゼンオンビル」のテナントは「東洋新食堂」に代わって「酒菜の隠れ家 月あかり」。

▼増殖する変形建築「緑屋ビル」

秋田駅前・緑屋ビル
▲Google Earthより

Google Earthで俯瞰すると、上に掲載した二つの飲食ビルが、緑色の「緑屋ビル」に囲まれているのがよく分かる。

「緑屋ビル」の前身「やまじんデパート」そのまた前身の「山甚ビル」も、扇形に近い不定形な敷地に建つ変形建築ではあったが「緑屋信販」が買収後、ビル裏側(西隣)に敷地を広げ、長方形・二階建ての別館(上掲画像右手)を増築。広小路側からもビルに出入りができた別館には、家具・インテリアが展示されていた。

さらにその後「やまじんデパート」時代にビヤガーデンが開かれた屋上に階を重ね、五階建てを七階建て?に増築したのが「MIDORIYA 家具インテリア」の箱文字看板が見える上階の突起部分。

このように増殖を重ねた末、まるで要塞のような変形ビルが完成。駅前再開発事業で金座街跡地にアゴラ広場が完工した前後に現在の外観となり、廃止された広小路側出入口につづく長方形二階建ての別館部分の多くが貸店舗となる。

1991年頃の西側別館のテナントは「アゴラ歯科」「サロンドマキシム」「アメリカンビリヤード」「シンデレラ」。

現在「緑屋ビル」の正式名称を「エスポワール緑屋」というが、ビル名にこの表記が見られるようになるのは1990年前後からで、最初はテナントが入る西側別館だけを「エスポワール緑屋」と称したらしい。


▲Google Earthより via GIPHY

緑屋ビル
▲ 2016.06 アゴラ広場から「緑屋ビル」を望む

 

▼アーケードのある駅前商店街 1979

秋田駅前広小路
▲1980年秋田市発行『秋田 わが街と人と』より

秋田駅前から「電巧堂」「マルサン」「長崎屋」など、今は消えた大型店舗の看板がつらなる昭和の広小路を望む。

秋田駅前広小路

雪の降るなか、ねんねこ(赤ん坊をおんぶする時に着る綿入り袢纏)を着て、買い物袋を提げた母親の姿が時代を感じさせる。「ジャスコ秋田店」(なかよしビル)で買いものをして、これからバスで帰路につくのか、ジャスコ前の横断歩道をバスターミナルへと向かっている。

駅前アーケードに目をうつすと、手前から「美光堂」「ゼンオン」そして「クレジットの緑屋」の看板が見える「緑屋ビル」広小路側出入口。

確認できるその他の看板は、金座街西角の「メンズショップ かめや本店」「VAN ハウス」とつづき、その向こうに、赤地に四つ葉のクローバーを配した「電巧堂」(現デンコードー)の大きな屋上看板。

60年代から70年代にかけて、アイビー・ルックで一世を風靡したファッション・ブランド VANの専門店「VANハウス」は、隣接する洋服店「かめや」が経営。70年代初頭「VANハウス」で奮発して購入した濃紺のダッフルコートは、さすがに品質が良く、永い年月を経て親類の子どもへのお下がり品となった。

1984(昭和59)年3月「緑屋ビル」前のアーケードが積雪の影響により、長さ40メートルにわたって倒壊、通行していた卒業式帰りの高校生4人が下敷きになり、重軽傷を負う惨事が発生。事故からさかのぼること10年ほど前「緑屋ビル」の出入に支障をきたすことを理由に、支柱を切断した行為が倒壊の原因と推定された。

秋田駅前
▲2014.08

上掲写真から34年後の秋田駅前広小路。ねんねこ姿のお母さんが渡っていた横断歩道はスクランブル交差点となった。

秋田駅前
▲2012.06 アゴラ広場前・広小路より

画像右手「秋田チケット」などのテナントが入る部分が、かつての「緑屋ビル」広小路側出入口。

70年代後半に「緑屋ビル」が西側に別館を増築する前、広小路に面したこの場所に、女優・浅利香津代の生家「浅利旅館兼食堂」があった。旅館を廃業したあとであったか、晩年は一階部分をSONYの電化製品を主に販売する「ソニーショップ・ミュージックエース駅前店」に貸していた。


▼駅前「緑屋」盛衰・昭和から平成へ

緑屋ビル
▲1972(昭和47)年 新聞広告より

秋田駅前「緑屋」オープン時の新聞広告のイラストに一部彩色。

増設される前の非常にシンプルな外観だが、前身の「やまじんデパート」時代にはなかった屋上看板が新設されている。その看板に見える四つ葉のクローバーをデザインしたロゴマークが「電巧堂」のものに少し似ている。

クレジット販売の「緑屋信販」が南通りから秋田駅前に進出した当時の営業品目をあげると、主力の家具・インテリア・電化製品を中心に、スポーツレジャー用品・ファッション用品・貴金属・カメラ・時計・メガネ・レコード・楽器・住宅設備用品、等々と食料品以外の生活用品を場広く取り揃えていた。

70年代後半、県内8ヶ所に支店を展開、従業員約200人、年商約40億円規模の優良企業に成長をとげるが、あいつぐ県外大手量販店の進出が影響して、次第に事業規模を縮小していく。

1984(昭和59)年、大手量販店に対抗するため、YESブランドの「そうご電器」とフランチャイズ契約を結び、家電部門の業務提携を開始。一階から三階フロアを「緑屋そうご電器」が占め、四階以上を自社の家具コーナーとした。

こうして秋田駅前を舞台に「緑屋そうご電器」と至近距離に先にオープンした「電巧堂」とのあいだに、折り込みチラシを主要武器にした家電戦争が始まり、その流れ弾が個人経営による街の電気屋さんのシェアを奪っていった。

1989(平成1)年「そうご電器」とのフランチャイズ契約更新の交渉が決裂し、同年8月「緑屋そうご電器」を閉店するが、家電売場は継続。「そうご電器」は同年、広小路の「三浦書店」とフランチャイズ契約を結ぶが、そのお話しはいずれまた。

その後、家電と家具の専門店「緑屋」一階に、CD・レコード・ビデオを豊富に揃えた、レンタル・レコードショップ「グリーンパーク」を新設。県内最大規模のレンタル・レコード店だった。

90年代初頭、消防法の改正によりスブリンクラーの設置が義務づけられたことを契機にに、秋田駅前北地区再開発事業を念頭にビルの新築を計画。

地下一階、地上八階建て、地下から三階までをテナント用スペース、四階以上を自社の家具売り場とする計画であったが、バブル崩壊後の不況も影響し、計画は立ち消えとなる。

緑屋ビル
▲1990年頃

カラフルにライティングされた「緑屋」の壁面に、広告文を記した懸垂幕が確認できる。

右手の袖看板は「家具&電器」その下が「レンタルショップ グリーンパーク」。階上レンタルスペースのネオンは「富士通」と「TDK」。

緑屋ビル
▲2004.12

時代は飛んで2004年。未使用スペースが多くを占める「緑屋ビル」。カラフルに駅前を彩っていた照明も消えて久しい。

2003年、市内の広告代理店「アクティブイエロー」が、壁面に「アクティブビジョン」と称した大型屋外ビジョンを設置、音声付きの広告を流し始め、7年間ほど運営したあとに廃止。

緑屋ビル
▲2014.09

アサヒビールの看板に覆われて隠れていた増築部分壁面の「緑屋」ネオンサインが久々に顔を見せた。

秋田駅前に五階建ての「やまじんビル」(やまじんデパート)がオープンして約50年、経営が傾いたそのビルを買収した「緑屋信販」が駅前に進出して45年。

未使用スペースが大半を占めるなか、2017年8月現在、ビル内で「緑屋」が経営するのは、ゲームコーナーのあるリサイクルショップ 「グリーンライフ」と、ビリヤード・雀卓・卓球台が並ぶ「遊間専科アソヴェ」。店内改装のため「グリーンライフ」が2017年9月中旬から一時休業とのこと。

テナントの飲食店は「まぐろ居酒屋さかなや道場」「秋田きりたんぽ屋」「柚柚」など。

2017年5月、ビル内で最もにぎわっていた「アニメイト秋田店」が「フォンテAKITA」(旧・イトーヨーカドー秋田店)地階に移転。

支店については、90年代なかば、四ツ小屋にオープンした郊外型大型家具店「緑屋」南店が2010年頃に店をたたみ、大仙市花館に唯一残っていた支店・家具の「緑屋」大曲店の前を、2年ほど前に通過したときは閉店セールの最中であった。

「山甚ビル」「やまじんデパート」「緑屋信販」のことはまた日を改めて。

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象さんが「木内」でお買い物・昭和27年の春

木内デパート

▲昭和27(1952)年 新聞広告

秋田市広小路の老舗百貨店「木内」(きのうち)が、花見時に出した「さくらまつり」の新聞広告。

品目を見ると「純綿 キャラコ・天竺 特売会」「御徳用 はぎれの市」など、生地類が目につく。

ちょうど婦人の服装の主流が和服から洋服へと移行する時期で、既製服がまだ少なく、品質も良くなかったこの時代、多くの家庭が足踏みミシンを所有していて、とくに婦人・子供服は、主婦によるハンドメードが多かった。

洋裁の内職にも使えるミシンは嫁入り道具としても人気が高く、昭和31(1956)年には全国のミシン普及率が75%に達し、婦人雑誌は毎号、洋服の型紙を掲載、洋裁学校がブームとなる。

当時、秋田でミシンの割賦販売を専門にしていた「緑屋ミシン店」はのちに「緑屋信販」と名を変え、家電・家具なども扱うようになる。そして70年代初頭、経営不振に陥った「やまじんデパート」のビルを買収し秋田駅前に進出、家電・家具に加えて衣料品・スポーツレジャー用品も扱う総合小売店となるが、そのお話しは別の機会に。

広告掲載商品をいくつか抜粋しておく。

新柄ネクタイ1万点即売会

其他のサービス品
ランニングシャツ 100円
純綿敷布 300円
婦人ソックス2足 90円
子供セーター 220円
ビニールハンドバック 300円
本革抱鞄 2,900円
正絹ネクタイ 100円
木内特製石鹸 3カ 50円
純綿割烹着 180円
男物ゆかた地 480円

お菓子の夜間サービス
本日の分
毎夜7時より特別奉仕
◎花林糖100匁 70円
◎松風せんべい 80円
◎甘納豆    80円

松風せんべいとは、表面に白砂糖がまだらにかかった生姜風味の駄菓子のことだろう。

当時の物価の目安をあげると、公務員の初任給7千円、ラーメン一杯が25~30円ほど。

さて、前置きが長くなったが、今回のテーマである「象さんのお買い物」について。

木内デパート

午前中「木内」店頭まで「象さんがお買い物に来ます」とのこと。

折しも千秋公園二ノ丸広場では、観桜会にあわせてサーカス団がテントを張っていて、そのなかの小象が、公演前に中土橋から、まだ交通量の少なかった広小路の車道を通って「木内」店頭まで訪れたという。サーカスの告知と同時に「木内」にも人が集まる一挙両得な宣伝行為であった。

当時はお花見やお祭りにサーカスはつきもので、昭和30年代前後、20団体を超えるサーカス団が存在し、全国津々浦々を巡業していたが、今では小規模な個人経営も含めて約5団体と大幅に減少している。

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幕洗川二区・国芳の大鰐鮫・土崎湊曳山祭り

平成二十九年(2017)七月二十日・二十一日
土崎湊曳山祭り(通称・浴衣祭り、かすべ祭り)
土崎神明社例祭

土崎港曳山まつり

今年の曳山を飾る「人形・つくりもの」のなかで、ひときわ眼を惹いたのが、幕洗川二区の大鰐鮫(おおわにざめ)。

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

見事な造形を見せる大鰐鮫と柘植(つげ)の木、黒木綿にラフに描かれた白波、そのコントラストが夏の強い日差しに映える。

この大鰐鮫のビジュアル面での元ネタは、一勇斎国芳(歌川国芳)が曲亭馬琴の読本『椿説弓張月』(ちんせつゆみはりづき)の一節に着想を得て描いた錦絵『讃岐院眷属をして為朝をすくふ図』。

Kuniyoshi01
『讃岐院眷属をして為朝をすくふ図』嘉永5(1852)年
大版三枚続(35.8×74.5cm)

『椿説弓張月』から、大鰐鮫が登場する部分のあらすじを・・・・・・

源為朝(みなもとのためとも)が平家討伐のため京へ向かう途中、海上で暴風雨に遭い、為朝の嫡子・舜天丸(すてまる)と、忠臣・八町礫紀平治(はっちょうつぶてのきへいじ)をむ乗せた船は遠くに流されてしまう。

為朝の船が転覆の危機をむかえ、その妻・白縫姫(しらぬいひめ)は、荒れ狂う海を鎮めようと、故事にならい入水するも暴雨風はおさまらず、同船の部下たちは全滅。天命を覚悟し自決を図ろうとしたそのとき、天より讃岐院(崇徳上皇)の眷属と称する烏天狗(からすてんぐ)が現われ、船を立て直し為朝を救う。

『椿説弓張月』第三十二回

忠魂鰐に憑て幼主を救ふ
(ちうこんわににのりうつりてようしゆをすくふ)
神仙気を吹て殃折を甦す
(しんせいきをふいてようせつをいかす)

 そのころ、舜天丸の船も危機を迎えていた。紀平治は舜天丸を守り、高間太郎と磯萩は十余人の郎党を励まして必死で船を立て直そうとするが、船は巌に当たり、砕け散った。荒れ狂う波の上に打ち上げられた主従たちの中で、高間太郎と磯萩は、魂になり主の守護をしようと心中して果てる。
 泳ぎの名人であった紀平治は、舜天丸を抱いたまま、命の限り泳ぎつづける。しかし島も巌も見つからないまま、溺れ死にそうになったとき、大きな沙魚(わにざめ)が現われ、主従を食おうとした。そのとき高間夫婦の魂が大魚の口の中に入り、紀平治と舜天丸を担ぎ上げ、翌朝とある島に送り届けた。‥‥後略‥‥

『椿説弓張月』続編 より

Kuniyoshi02

讃岐院(崇徳上皇)の眷属(けんぞく)烏天狗に救われる為朝。船の廻りに集まる烏天狗の姿が、異界の存在であることを暗示するかのように白抜きに薄墨で描かれている。

Kuniyoshi03

大鰐鮫に助けられ、その背に乗る、舜天丸を抱く紀平治。

土崎港曳山まつり
▲八町礫紀平治と舜天丸

土崎港曳山まつり
▲源為朝と烏天狗

『椿説弓張月』の挿絵は葛飾北斎が描いているが、魚に近い国芳の大鰐鮫に対して、北斎の大鰐鮫は鰐に寄せた姿で表現されて迫力があり、特撮映画に登場する怪獣を思わせる。

Hokusai
▲葛飾北斎画
舜天丸(すてまる)を抱(いだき)て
紀平次(きへいじ)沙魚(わにさめ)に救はる


▲2017年7月20日【土崎港曳山祭り】 幕洗川二区

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平成二十九年「土崎湊祭り・御幸曳山」点描

平成二十九年(2017)七月二十一日
土崎湊曳山祭り(通称・浴衣祭り、かすべ祭り)
土崎神明社・例祭
御幸曳山(みゆきやま)

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

土崎港曳山まつり

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