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二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

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1987「AKTジャンボ迷路椿台」オープン

▼80年代後半の巨大迷路ブーム

1980年代の後半、日本で巨大迷路(立体迷路)ブームが巻き起こり、最盛期には津々浦々に100ヶ所を上まわる迷路施設が営業していた。

その巨大迷路ブームの火付け役は、ニュージーランドのスチュアート・ランズボロー。

迷路(通り抜けにくくつくられた道)

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

‥‥前略‥‥

 日本で1980年代後半に起こった迷路ブームは、スチュアート・ランズボロー Stuart Landsborough が、ニュージーランドのワナカという小さな村で始めた商業迷路がきっかけである。彼はいろいろな試行錯誤を重ね、迷路の立体化、チェック・ポイントの設定、仕切り壁の自由変更などで、人間の動きのコントロールのノウハウを得て、1985年(昭和60)に日本に乗り込んだ。日本では、87年には、ランズボロー・メイズという名のもとで20か所、そのほかを含めると百数十か所の迷路施設が商業化されていた。大きいものは、縦・横各90メートルもあり、平均所要時間は1時間前後である。迷路は単なる知的遊技にとどまらず、一種の軽い屋外スポーツとしての意義から、広く支持を受けたが、ブームが去るとこれらの施設は相次いで閉鎖された。[芦ヶ原伸之]

迷路とは - コトバンク より

スチュアート・ランズボロー
▲スチュアート・ランズボロー 1993年12月『The Rotarian』誌より

  • Puzzling World (パズリング・ワールド)ニュージーランド ワナカ
  • ランズボロー創設の元祖巨大迷路とトリックアートのアミューズメントパーク

ランズボロー式迷路の特徴は、4つのチェックポイントを配置し、仕切パネルを可動式にしたこと。生垣などを使用した従来の古典的迷路と異なり、コースを自由に変更できるため、定期的にバターンを変えることでリピーターを飽きさせない。

大阪の「メイズプロダクツ」がランズボロー迷路の国内独占権を取得して、フランチャイズ展開。同社傘下のランズボロー設計による迷路施設は、島根県に現存する「ランズボローメイズ匹見」のように、創始者の名を冠したが、その成功を受けて、ランズボロー迷路を模倣した非公式の巨大迷路が各地のレジャー施設内などに続々と誕生する。

秋田県内にはかつて3ヶ所の巨大迷路が存在したが、その先陣を切ったのが「AKTジャンボ迷路椿台」であった。

▼「AKTジャンボ迷路椿台」開園

1987(昭和62)年3月、河辺郡雄和町(現・秋田市雄和)の「雄和サイクリングターミナル」前に、秋田初の巨大迷路「AKTジャンボ迷路椿台」がオープン。

面積約2,800平方メートルの敷地に、秋田杉の素材を使用し、総工費3,000万円で建設。「秋田ステージ」が企画・設計し「AKT秋田テレビ 」が主催した。

東北初、立体迷路が完成
 ゴールまで1時間

AKTジャンボ迷路椿台

河辺郡雄和町の「雄和サイクリングターミナル」に建設が進んでいた立体巨大迷路が完成。きょう21日オープンする。同町の新たな観光拠点として定着、人気を集めている同サイクリングターミナルの第2次開発構想の第1弾で、全国的にブームの立体迷路がお目見えするのは東北で初めて。

完成した巨大迷路は、同ターミナル向かいの草地に建設。施設の総面積は約2,800平方メートルで、この敷地の上に合板パネルを立ててジグザグ模様に複雑な仕切りをつくる。パネルの高さは2.2メートル。入口でタイムを記録、迷路の中にある4ヶ所のチェックポイントで通過確認のスタンプを押し、ゴールするまでの時間を競う。入口と中心部の合わせて3ヶ所にやぐらがあり大まかな自分の位置が分かるようになっている。

迷路は1時間前後で抜け出られるようになっているが、万が一“お手上げ”の場合は。途中4ヶ所にある“非常脱出口”から逃げることができる。

コースはコンピュータで管理され、1カ月前後で組み替える予定。

‥‥後略‥‥

1987(昭和62)年3月21日 『秋田魁新報』より

AKTジャンボ迷路椿台AKTジャンボ迷路椿台▲1987(昭和62)年3月 新聞広告

東北初登場! AKT ジャンボ迷路 椿台
あさって
3月21日(土)AM10:00 OPEN!

春休み ドカーンと挑戦しようぜ!
脱出までなん時間?

迷い心地、満点。話題のウォーキングパズル

いったんこの迷路に入りこんでしまったら頼れるのは自分の体力と根気、そして方向感覚だ
とにかく歩かなければ出られないから、日頃マイカーに頼ってばかりの人にはピッタリの遊び

■開場時間/AM10:00〜PM4:00(日・祭日 AM9:30〜PM4:00)
■入場料金/一般 500円 小中学生 400円
■場所/雄和町サイクリングターミナル前
●主催/AKT秋田テレビ
●後援/秋田県/秋田県教育委員会/雄和町/秋田魁新報社/雄和町サイクリングターミナル
●協賛/大塚製薬
●企画製作/秋田ステージ

〈迷路の遊び方〉
この迷路はスバリ紙面迷路の立体版です。
約2.640㎡の敷地にジグザグの木製パネル仕切迷路を作り、入場者が4つのチェックポイントを通過しゴールを目指す、ニュータイプのレジャーランドです。まず入口でタイムカードを押し迷路に入り、知恵を使って次々にチェックポイントを探し、そのチェックポイントで通過証明のスタンプを押し次を目指します。めでたくゴールインしたらゴールタイムを押して、入場者の通過タイムがわかる仕組みになっています。ご家族で、グループで、恋人、友人、また一人でも楽しめる遊びです。中央の塔にはスタッフがおり、4ヶ所に非常口も設けられ、、万一お手上げの方はリタイヤもできます。
何度チャレンジしても面白いプレイゾーンです。

キャラクターショー
超人機メタルダー

1987(昭和62)年3月から放映された、東映製作の特撮テレビ番組『超人機メタルダー 』のキー局は「テレビ朝日」だが、まだ系列の「秋田朝日放送」が存在しないため、日テレ系の「ABS秋田放送」にて放映された。

AKTジャンボ迷路椿台
▲ストップウォッチとモグラ?を組み合わせたロゴ

AKTジャンボ迷路椿台

主催社である「AKT秋田テレビ」では連日CMを放映。下記YouTubeにて、当時のCM映像およびテロップCMを閲覧できる。

  • 秋田ローカルCM集(昭和編)④ - YouTube
  • 0:14 でっかく遊ぼう「ジャンボ迷路椿台」
  • 1:00 AKTジャンボ迷路情報
    ゴールデンウィーク 毎日先着100名様に特製テレフォンカードプレゼント
  • 1:33 AKTジャンボ迷路情報
    キリン株式会社主催 キリンカップ駅伝タイムトライアル参加者募集
  • 2:45 ゴールデンウィークは中央交通の増発バスで迷路に行こう

AKTジャンボ迷路椿台CM

AKTジャンボ迷路椿台CM

AKTジャンボ迷路椿台CM

 ゴールデンウィークには、中央交通による臨時直行バスが運行された。

1987(昭和62)年3月末のオープンから、11月後半の冬期休業まで、シーズン中13万人を超える入場者を記録する。

AKTジャンボ迷路椿台

▼ジャンボ迷路の移設と閉園

「AKTジャンボ迷路椿台」が開設された場所が「ミネソタ州立大学機構秋田校」の建設用地となったため、1989(平成1)年の春、サイクリングターミナルの東隣り、サイクル列車の線路内側、現在の有料市民農園「椿台スーパー農園」Aゾーンの地に迷路を移設。

面積は初期が約2,800平方メートルに対して、約2,000平方メートルに縮小。移設に際して迷路の仕切り板を透明に変更し「向こうが見えながらも思うように進めない」というもどかしさを強調した。

それ以降「AKTジャンボ迷路椿台」からAKTの冠が消えているので、移設のタイミングで「AKT秋田テレビ」が主催を外れ、サイクリングターミナルに経営を移したと思われる。

「雄和サイクリングターミナル」は「日本自転車振興会 (競輪)」と県の補助を受けて1985(昭和60)年オープン。レンタルサイクルのほか、宿泊・宴会施設、レストラン、グラウンド・ゴルフ場などを備える。現在は第三セクターの「雄和振興公社」が運営。レストランの名物はジャンボおにぎり。

1995(平成7)年時点での「雄和サイクリングターミナル」内の遊具・レジャー施設は、ジャンボ迷路のほかに、変わり種自転車各種、ローラースケート、バギーバイク、ポニー乗馬、忍者屋敷、サイクル列車、オフロードゴーカート、レーザーガンゴルフなど。

雄和サイクリングターミナル
▲サイクル列車 宝くじ号

1988(昭和63)年7月、宝くじ助成金で導入された20人乗りサイクル列車は、各座席にペダルがある足こぎ列車。

AKTジャンボ迷路椿台

サイクリングターミナル前の長方形の土地が初期ジャンボ迷路の跡地。サイクリングターミナルの東側で、サイクル列車のレールに囲まれた後期ジャンボ迷路が営業中。

AKTジャンボ迷路椿台

初期ジャンボ迷路の跡地付近に「ミネソタ州立大学機構秋田校」の学生寮。後期ジャンボ迷路を囲んでいたサイクル列車のレールはすでに消えている。

1990(平成2)年に開校した「ミネソタ州立大学秋田校」は赤字の累積を理由に2003(平成15)年閉校。2004(平成16)年、その跡地に公立大学法人「国際教養大学」が開学する。

1999(平成11)年10月「ジャンボ迷路椿台」閉園。最後は無料開放された。

1987(昭和62)年の開園年に13万人を超えた入場者数は、1989(平成1)年に約3万人、閉園の前年、1998(平成10)年には約3,000人まで落ち込んでいた。

「AKTジャンボ迷路椿台」がオープンした翌月、1987(昭和62)年4月末「仁別レジャーランド」内に県内2番目の巨大迷路が開園するのだが、そのお話しはいずれまた。

1989(昭和64)年5月、由利郡(現・由利本荘市)岩城町に開園した「天鷺遊園ファミリーランド」(2008年閉園) 内に、アスレチック要素を加味した巨大迷路「巨大あまさぎ忍者迷路」がオープン。詳細は下記関連リンク先に。

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さようなら「ブックスささき」平和通りの「ヤマサストア」

ブックスささき
▲ブックスささき 2020.11

秋田駅ビル「トピコ 」2階の書店「ブックスささき」が、 令和2(2020)年10月14日をもって閉店。創業から数えて70余年の老舗であった。

ブックスささき

「ブックスささき」跡地には、隣の「ジュピター」(コーヒー豆・輸入食品他) がスペースを広げ、この(2020)12月3日リニューアルオープン。

ジュピター トピコ秋田店
▲ジュピター 秋田トピコ店(ブックスささき跡) 2020.12

「ブックスささき」の前身は秋田駅前「平和通り」で、玩具と雑誌を扱っていた「ヤマサストア」。

昭和23(1948)年、創業者の佐々木常蔵氏は秋田駅前に完成したばかりの商店街「平和通り」に「ヤマサ商会」を創業。

その時代の広告がこちら。当初は「石油ランプ」などの生活用品を売っていたようだ。

ヤマサ商会
▲昭和23(1948)年 新聞広告

戦時中から戦後にかけて、石油ランプが売れ筋商品となる。

電気が通じる以前の遺物的な照明装置である石油ランプが、この時代になぜ売れるようになったかというと、戦時下そして終戦から数えて3年ほどのあいだは、曜日を定めて電気を止める計画停電や突然の停電が多く、電圧も不安定だったため、かつて生活必需品であった石油ランプが復活することに。

石油ランプの欠点は、ガラス製のホヤ(火屋)の内側がすぐに黒く煤けて輝度が低下すること。そのため本体から取り外したホヤを布きれで磨くことが日課になる。ホヤの口径は小さく、大人の手では入らないため、小さな手の子供がその仕事を任された。その作業中にガラスを割ってしまうことも多く、交換用のホヤも販売されていた。

ちなみに今は煤と匂いを抑えたランプ用オイルが使われている。

戦中・戦後の計画停電といえば、理髪店の定休日が月曜日になったのは、月曜日が計画停電日だったためだとか。

「ヤマサ商会」は間もなく「ヤマサストア」と名を改め、玩具・雑誌・お土産品を販売するようになる。

ヤマサストア
▲昭和29(1954)年 新聞広告

昭和29(1954)年、佐々木氏は秋田駅前の久保田町に、子供用乗り物専門店「フタバヤ」を創業。

フタバヤ
▲昭和29(1954)年 新聞広告

平和通り
▲昭和33(1958)年 平和通り

秋田県内初の全蓋式アーケードとされる、商店街をすっぽりと覆うアーケードが完成して間もない「平和通り」の、正面・北角の「ヤマサストア」店頭に浮き輪がぶら下がっている。

昭和36(1961)年、 鉄筋コンクリート2階建ての「秋田民衆駅」が誕生すると、駅舎に併設された「秋田ステーションデパート」2階に「ヤマサ玩具」と「ヤマサ雑誌コーナー」を出店。この小さな雑誌コーナーがのちに「ブックスささき」となる。

民衆駅(みんしゅうえき)とは、駅舎の建設を日本国有鉄道(国鉄)と地元が共同で行い、その代わりに商業施設を設けた駅である。
民衆駅 - Wikiwand

ヤマサ玩具
▲昭和56(1981)年頃「秋田ステーションデパート」内「ヤマサ玩具」

「ヤマサ玩具」の奥に模型・プラモデル・教材の「伊藤教材店」。同フロアには秋田駅前「金座街」で営業していた「おもちゃのミウラ」も出店していた。

秋田駅前の商店街、平和通り・銀座通り・末広町界隈の跡地に、昭和55(1980)年「イトーヨーカドー秋田店」を核テナントとする「秋田ショッピングセンター」が完成。地権者である「ヤマサストア」はその5階に「ブックスささき」を出店。

平成22(2010)年10月「イトーヨーカドー秋田店」撤退にともなう改装工事のための全館休業を前にして「秋田ショッピングセンター」内の「ブックスささき」は店を閉じる。

施設名を「フォンテAKITA」と変えてリニューアルしたビルの、かつて「ブックスささき」があった5階フロアには、香川県高松市に本店がある全国チェーン店「宮脇書店 」が営業している。

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1972 横井さんフィーバーと秋田プラザの「グアム生活展」

大東亜戦争終結から28年目の1972(昭和47)年1月、アメリカ領グアム島で、無条件降伏発令を知らされなかった残留日本兵・横井庄一が島民に発見される。2人いた戦友たちは発見から数年前に事故で亡くっていた。

「グアム島敗戦の状況を知っていただきたいと思い、恥ずかしいけれども帰ってきた」との、羽田空港に到着したときの第一声が「恥ずかしながら帰って参りました」と変化して、この時代の流行語となり、「ヨッコイショ」の掛け声をもじった「ヨッコイしょういち」とともに、世代を問わずよく使われたものだ。

横井庄一
▲昭和47年4月 新聞全面広告

横井さん発見の興奮がさめやらぬ同年2月、東京駅八重洲口のデパート「大丸」東京店にて「横井庄一さんグアム生活展」を開催。新聞各社が主催し、当初に所持品を保管した厚生省(現・厚生労働省)が後援する生活展はその後、全国を巡回する。

秋田では「秋田第一ホテル」(現・キャッスルホテル )の商業棟「秋田プラザ」を会場に、ゴールデンウィーク期間中の4月30日から5月3日までの3日間開催。

多大な集客力を見込める展覧会だけに、開催を希望するデパートが多く、各地で事前に開催権を獲得するための抽選が行わている。秋田でも催事場がある「本金」「協働社」あたりと争って「秋田プラザ」に決まったのかも知れない。

横井庄一

横井庄一

●期間中相当混雑が予想され係員の指示に従いご入場ください。又、入場制限する場合もありますのでご了承願います。

●会場入口
第1会場(2階特設会場)
広小路入口から入り階段を上りお入りください。
第2会場(3階催し会場)
駐車場入口から階段を上りお入りください。

●会場混雑をさけるため第1会場ご覧になりましたら一端店外に出て第2会場入口〈駐車場側〉からお入りください。

●期間中駐車場の混雑が予想されますので車での乗り入れは、ご遠慮願います。

「秋田プラザ」3階の催事場のほか、2階の一部を特設会場とし、できるだけテナントの営業に支障が出ないように専用の入口を設け、各所に係員を配した。

広小路側と裏手の露天駐車場側(現在のキャスルホテル正面玄関、立体駐車場、南館の場所)に長蛇の列がつづき、ようやく会場に入っても係員に立ち止まらないようにとせかされ、展示物をじっくりと見ることもできないほどの人出のなか、写真集などの記念品が飛ぶように売れていた。

下記「NHKアーカイブス」の動画に「グアム生活展」の様子が映っている。場所は「大丸」東京店だろう。

横井庄一さん グアム島から帰国

次は横井さんの出身地・名古屋での「グアム生活展」の様子を。

「恥ずかしながら帰ってまいりました!」グァム島のジャングルの中で終戦後28年間孤独と戦った元日本兵・横井庄一さんが1972年2月2日、奇跡の生還を果たした。当時日本中で話題となったこの衝撃的ニュースの興奮が冷めやらぬなか、松坂屋名古屋店は同年2月29日から6日間の会期で「孤独に生きた28年、横井庄一さんグァム生活展」を開催し爆発的な人気を呼んだ。

会期中本館7階会場には、横井さんが28年間のグァム島のジャングル生活で使用した日用品や手製の洋服など64品目、90点余りが展示・公開された。展示品は旧陸軍の水筒を改造した鍋、ココナツの実で作った容器から、パゴの木の樹皮で加工した衣類、魚とりの竹かごなど、どの品も横井さんの創意と工夫あふれる発明品ともいえるものばかり。

特にパゴの木の皮で織ったジャングル服は一番人気で、「さすがは洋服屋だけのことはある。」と称賛と感嘆の声があちこちで上がった。

会場入口には横井さんが住んでいた洞窟が再現され、「よくこんな狭いところに長い間住めたものだ」と見物客はみな感心しきりだった。

名古屋は横井さんの地元ということもあって来場者の関心は高く、初日は早朝から開店前に約400人の行列ができ、1日の入場者数は2万5千人を超えた。数多い松坂屋名古屋店の名物催事の中でも、歴史に残る記録的な人出となった。

写真は1972年2月29日 名古屋タイムズ紙 より
松坂屋100年史 より抜粋

松坂屋名古屋店「松坂屋ヒストリア小話 その四十九」

名古屋は地元なだけあって会期も6日間と長い。開催にあたっては「松坂屋」「丸栄」「名鉄」「オリエンタル中村」の4百貨店が抽選を行い「松坂屋」が引き当てたという。

同年10月、今度はフィリピンのルバング島で、ジャングルに潜んでいた小野田寛郎元陸軍少尉と小塚金七元一等兵が発見されるが、ゲリラの山狩りをしていたフィリピン警察軍と銃撃戦となり小塚元一等兵が死亡する。

横井庄一

好評開催中!!
人形のオリンピック参加89ヵ国
世界名作人形展
25日まで/3階催し会場
●入場料 大人150円 学生130円 小人100円
協賛 パンアメリカン航空

正義を愛する者!!
月光仮面ショウ ご招待セール
●200円お買上げの方に補助券進呈
●10枚でご招待券と案内で引き替
ご招待日 4月28日.29日く1日3回>
会場3階催し会場/後援ABS 秋田放送
●招待券は定数に達し次第切らせて頂きます。お早めに

50年代後半のヒーロー番組の元祖「月光仮面」のアニメ版「正義を愛する者 月光仮面」(日本テレビ) の放送期間は1972年1月10日~1972年10月2日、放送時間・月曜日19:00~19:30。日テレ系の「ABS秋田放送」でもキー局と同時放送された。

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80年代後半「キャッスルプラザ3F カルチャーフロア」の時代

今回は、前回記事「1986 キャッスルプラザに透明エスカレーター登場」でも触れた、広小路「秋田キャッスルホテル」館内の「キャッスルプラザ」にかつて存在したカルチャーフロアに関するお話しを。

1985(昭和60)年の春「キャッスルプラザ」(旧・秋田プラザ) 3階に、ブックセンター、新星堂、ソニックプラザが新たに入居して、カルチャーフロアとしての様相を整える。

キャッスルプラザ
▲1985(昭和60)年4月 新聞広告

キャッスルプラザ

3F 知性のワンダーランド・・・・・・3Fの仲間たち

キャッスル ブックセンター(書籍)
コミックから専門書まで良書厳選8万冊。コンピューターによる本の情報スピードガイドで、本の検索も簡単。まさに「知の宝庫」。

キャッスル 新星堂(レコード他ミュージックソース)
LPレコード2万枚!! ミュージックテープ8千本!! コンパクトディスク3千枚など、県内随一の規模。ミュージックフリーク集まれ。

キャッスル フォト(カメラと写真)
写真のある素敵な暮らしを演出します。カラー写真は55分仕上げ。

キャッスル ロックイン 新星堂(楽器・スタジオ)
エレキギター、フォークギター、ギターアンプ、シンセサイザー、エフェクターなど、プロのニーズに応える楽器の数々。スタジオ完備。

ソニックプラザ(オーディオとエレクトロニクス)
AV時代にふさわしい、音と映像の新次元を切り拓く先進のショップ。オーディオ、ビデオはもちろん、パソコン、周辺機器も充実。

コーヒーショップ ブラジル(喫茶)
お買物のあい間にちょっとひと息。炒りたてのコーヒーをどうぞ。

コミュニケーションボードで、情報交換を・・・。
いわゆる伝言板です。
売ります。買います。交換します。など、ご自由にご利用ください。お申し込みは1Fインフォメーションへどうぞ。

いまどき無料(ロハ)のコインロッカー。
つまり、早い者勝ちです。
大きな荷物はロッカーへ預けて、らくらくショッピング。投入した100円はロッカー使用後お手元へ。

催し物ご案内
「秋田大学美術科3年次展」●4月12日(金) ~15日(月)●会場:3Fキャッスルホール
「春の器」●4月11日(木)~16日(火)●3F特設会場●主催・保原屋

「キャッスル 新星堂」の「LPレコード2万枚!! ミュージックテープ8千本!! コンパクトディスク3千枚」という品揃えのように、この時代はまだアナログレコードとCDが混在していた時代で、1985(昭和60)年の時点ではLPレコードがその数を圧倒していた。ミュージックテープというのは音楽が録音されたカセットテープのこと。

ようやく値段がこなれてきたソニー製コンポ用CDデッキを購入し、始めてCDを買ったのが「キャッスル新星堂」だった。

クリストファー・ホグウッド指揮 エンシェント室内管弦楽団
バッハ:ヴァイオリン協奏曲集
録音・1981年ロンドン
発売・日本ポリドール、ディスクのみ西ドイツ ポリグラム製 ¥3,500

ところがこのポリグラム製CDが音飛びがする不良品で、交換することになった顛末が記憶に残っている。初期は不良品が多かったらしい。

キャッスルプラザ
▲1986(昭和61)年5月 新聞広告

山瀬まみ 歌とサイン会
ホリプロタレントキャラバンで一躍スター街道に躍り出た 山瀬まみがいよいよ秋田に!
5/29(木) 4:30pm ~ 3F コミュニティ広場

高橋アキ エリック・サティの世界
出演/高橋アキ(ピアノ)お話と演奏
6/5(木) 6:00p.m~
会場/ 3Fキャッスルホール
●入場無料●

小林旭 オンステージ
6月30日(月) 秋田キャッスルホテル
●第1部/午後5時30分開場●第2部/午後8時30分開場
●お一人様(税・サービス料とも)19,000円

父親の転勤で「秋田城南中学校」に在籍したことがある山瀬まみ。その父親が支店長を務めていた「森永レストラン」は、山瀬まみ来秋時、「マルサンショッピングセンター」から「キャッスルプラザ」2階に場所を移し、南欧風レストラン「morinaga カプチーノ」の店名で数年間営業していた。

1986(昭和61)年3月、歌手デビューした山瀬まみのキャッチコピーは「国民のおもちゃ新発売」。この年リリースされたデビューシングル『メロンのためいき』の作家陣は、作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆という豪華メンバーで、ホリプロの期待のほどがうかがわれる。呉田軽穂(くれだ かるほ)は松任谷由実のペンネーム。

「キャッスルホテル」ではまだ40代の小林旭によるディナーショー。

この時代、エリック・サティによる楽曲が、環境音楽として、ちょっとしたブームとなるが、その立役者が高橋アキであった。

シースルーエスカレーター
▲1986(昭和61)年6月 新聞広告

ビデオホール誕生!

3F・キャッスル新星堂店内に、100インチのビデオプロジェクター装備の本格的なビデオホール完成。
6/21(土) 2:00pm〜 MUSIC FLASH & 渡辺美里
6/28(土) 2:00pm〜 DAYS VIDEO CONCERT

 1986(昭和61)年6月「キャッスル 新星堂店」内にビデオホールがオープン。

キャッスルプラザ
▲1987(昭和62)年2月 新聞広告

3F 催しものご案内

THE BEE VIDEO CONCERT
2/28(土)PM 2:00 ~
TM NETWORK「TM VISION」
松岡英明「M's Design 1」

キャピタゴン・ビデオコンサート vol.14
「俺たちが、てっぺんだ。」
2/28(土) PM 3:00~
REACTION KAZUO TAKEDA & BOYS ON ROCKS
UP-BEAT「PRISONER of LOVE」

のりピーが来るぞ〜!
酒井法子●歌とサイン会
とき/3月10日(火)PM4.00~会場/3Fキャッスルホール
キャッスル新星堂にて酒井法子のシングル「男の子になりたい」をお買い上げの方にもれなく握手券とサイン色紙プレゼント。

80年代に入ると、多くのレコード会社が宣伝活動の一環として、各地のレコード店や小ホールにファンを集め、主に週末にプロモーション・ビデオを上映する「ビデオコンサート」をさかんに開催するようになる。

「キャピタゴン」はビクター主催、「THE BEE」はEPICソニー(現・エピックレコードジャパン)主催のビデオコンサート。

酒井法子 歌とサイン会は「キャッスル新星堂」主宰。山瀬まみ、高橋アキなどの物販がともなうイベントも同店が主宰したものだろう。

1985(昭和60)年に誕生したカルチャーフロアは「キャッスルプラザ」が「横浜そごう」の運営に変わった1991(平成3)年9月のリニューアルを前にして幕を下ろしたのは前回記事のとおり。

1985(昭和60)年から1991(平成3)年まで、約6年間つづいた「キャッスルプラザ・カルチャーフロアの時代」は丁度、バブル経済期と重なり合っている。

秋田キャッスルホテル
▲2010.05 キャッスルホテル

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