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二〇世紀ひみつ基地

●土地の記憶●歴史●民俗●路上観察●広告●二〇世紀ノスタルジア・・・秋田市を中心に

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紙屋小路のNTT洞道換気塔・大町四丁目小路

▼秋田市内のNTT洞道換気塔(1)

NTT換気塔
▲紙屋小路 2020.01

秋田市の中心部を流れる旭川に架かる四丁目橋から寺町を突き抜け、新国道に到る四丁目小路のうち、南側に「那波伊四郎商店」の土蔵と本社事務所、北側に明治の町家建築「那波紙店」(那波伊四郎商店) がある、いにしえの面影を残す区画を、自分は“紙屋小路”と呼んでいる。

NTT換気塔▲紙屋小路 2020.01

その紙屋小路(四丁目小路)の「那波伊四郎商店」前の市道上に、電柱のような物体が建ち、頭頂部にある箱に換気扇が収納されているのか、近づくとゴーゴーと、換気音らしき大きめの物音がする。その音は常に鳴っているわけではなく、柱には所有者を記したプレート類は見当たらない。

NTT換気塔▲2020.01

この謎物件の正体は、「日本電信電話公社」(現NTT) が、昭和50年代初頭に設置した地下トンネルに通じる換気塔。

通信ケーブルが収納された洞道(とうどう)と呼ばれる地下トンネル内で、保守・点検に携わる作業員を、酸欠事故から守る安全装置のひとつだ。

昭和50年代初頭、固定電話の加入率は右肩上がりをつづけていたが、秋田市大町三丁目に存在した「秋田電報電話局」の敷地は狭く、電話交換機を増設するスペースが少なくなったため、大町四丁目(旧・豊島町)の「秋田電報局」跡地に「秋田電報電話局大町分局」を新設し、急増する電話加入申込みに対応することに。

NTT秋田▲NTT秋田大町ビル(旧・秋田電報電話局大町分局)2019.10

昭和51(1976)年「秋田電報電話局大町分局」竣工。旭川を境とした西側一帯、最大1万2千台の加入電話をカバーする。

当地は「秋田電報局」跡地。戦前までさかのぼれば、山王に移転する前の「旭北小学校」がここにあった。

「秋田電報電話局大町分局」の建設に合わせて、通信ケーブルを収納する地下トンネルである洞道(とうどう)の開削工事および、洞道と連結する主要管路埋設工事が、昭和50(1975)年秋から翌51年初夏にかけて、周辺の道路を一般車両通行止めにして行われた。

「秋田電報電話局大町分局」地下と直結する洞道の延長は、局舎から「那波紙店」付近までの86メートル。地下9.7メートルの位置に、高さ4.4メートル、幅5メートルの洞道が設けられた。

洞道の位置は公表されていないが、「秋田電報電話局大町分局」から紙屋小路の換気塔まで約86メートルあるので、換気塔の位置が洞道の終端と思われる。

洞道から先のケーブルは、主要管路という地下ケーブル管を通り、さらに細い地下配線管路を経由し、電柱から架空ケーブルで、ビルや各家庭へと引き込まれる。

NTT通信ケーブル

NTTの洞道の役割、構造などについては文末の関連リンクを参照のこと。

次回は秋田市内にある、もうひとつのNTT洞道換気塔のお話しを。

那波紙店
▲「那波紙店」前から右手に紙屋小路の換気塔を望む 2020.11

NTT換気塔
▲紙屋小路から「NTTドコモ秋田ビル」 2020.11

秋田市大町三丁目の「秋田電報電話局」跡に建つ「NTTドコモ秋田ビル」。その北隣の広い駐車場が「秋田郵便局」跡地。左手前角地の駐車場が「加賀正呉服店」跡地。

四丁目小路

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在りし日の「お菓子のくらたビル」2階パーラー

1980年頃の仲小路「お菓子のくらたビル」(お菓子のくらた秋田店) 店内の様子がTwitterに投稿されていたので、今回はまずそれを紹介し、そのあとに同ビルの現状などを付記する。

飲食業界誌のグラビアページに掲載されたとおぼしき記事のタイトルは「お菓子のくらた 物販で1日60万円、パーラー部門で1日10万円を売る繁盛店」。

向かいにあった「秋田赤十字病院」の職員や見舞客らでにぎわった「くらたビル」2階のパーラーと、1階の洋・和菓子物販フロアなどが掲載されている。もしかして“あの頃”のあなたが写っているかも。

当ブログの過去記事から関連部分を引用。

1970(昭和45)年4月、湯沢市の老舗菓子店「くらた」が仲小路に秋田店を開設。

1977(昭和52)年10月「お菓子のくらたビル」オープン。
一階・菓子店舗、二階・パーラー、三階・洋菓子工場、四階・パン工場、五階・社員寮。

新たにパン・デニッシュ・ドーナツの製造販売を初め、二階にパーラーを新設。

北・西方向に大きく開いたガラス張りのパーラーは、焼きたてのパン類、抹茶・玉露に和菓子のセットやランチも提供し、主に女性客でにぎわっていた。

「お菓子のくらたビル」に「竹半スポーツ」移転 より

お菓子のくらた・フランスパン
▲1982年 雑誌広告

同ビル4階のパン工場で焼かれていたフランスパンの眼を惹く広告。県内で初めてフランス・ボンガード社製のフランスパン専用オーブンを導入して焼き上げたとのこと。

お菓子のくらた・竹半スポーツ
▲2015.01

1998年「秋田赤十字病院」が秋田市上北手に移転。以降、売上げが激減、パーラーも一時閉鎖。隣に明徳館ビルがオープンした機会に再開するが長続きせず。

2012年7月、婦人会館・日赤跡地に「エリアなかいち」がオープンするも、期待した売上げは微増にとどまり、開店から約44年、2014年2月に閉店する。

現在(2015.01)お菓子の「くらた」は、県内で11店舗を経営、その内、秋田市内に4店舗がある。

「お菓子のくらたビル」に「竹半スポーツ」移転 より

お菓子のくらたビル
▲2021.02

屋上の大型看板は最近になって撤去された。

2015年に「サン・パティオ大町」から「くらたビル」に移転した「竹半スポーツ」は、アトリオン地下1階を経て、保戸野小学校近く、菊谷小路の文具店「のてや」(2019年7月廃業) 旧店舗に移転。

くらたビル
▲2020.08

2021年3月現在、同ビル1・2階には、フェイシャルエステティック「ウインズ秋田サロン」が入居している。

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1987「AKTジャンボ迷路椿台」オープン

▼80年代後半の巨大迷路ブーム

1980年代の後半、日本で巨大迷路(立体迷路)ブームが巻き起こり、最盛期には津々浦々に100ヶ所を上まわる迷路施設が営業していた。

その巨大迷路ブームの火付け役は、ニュージーランドのスチュアート・ランズボロー。

迷路(通り抜けにくくつくられた道)

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

‥‥前略‥‥

 日本で1980年代後半に起こった迷路ブームは、スチュアート・ランズボロー Stuart Landsborough が、ニュージーランドのワナカという小さな村で始めた商業迷路がきっかけである。彼はいろいろな試行錯誤を重ね、迷路の立体化、チェック・ポイントの設定、仕切り壁の自由変更などで、人間の動きのコントロールのノウハウを得て、1985年(昭和60)に日本に乗り込んだ。日本では、87年には、ランズボロー・メイズという名のもとで20か所、そのほかを含めると百数十か所の迷路施設が商業化されていた。大きいものは、縦・横各90メートルもあり、平均所要時間は1時間前後である。迷路は単なる知的遊技にとどまらず、一種の軽い屋外スポーツとしての意義から、広く支持を受けたが、ブームが去るとこれらの施設は相次いで閉鎖された。[芦ヶ原伸之]

迷路とは - コトバンク より

スチュアート・ランズボロー
▲スチュアート・ランズボロー 1993年12月『The Rotarian』誌より

  • Puzzling World (パズリング・ワールド)ニュージーランド ワナカ
  • ランズボロー創設の元祖巨大迷路とトリックアートのアミューズメントパーク

ランズボロー式迷路の特徴は、4つのチェックポイントを配置し、仕切パネルを可動式にしたこと。生垣などを使用した従来の古典的迷路と異なり、コースを自由に変更できるため、定期的にバターンを変えることでリピーターを飽きさせない。

大阪の「メイズプロダクツ」がランズボロー迷路の国内独占権を取得して、フランチャイズ展開。同社傘下のランズボロー設計による迷路施設は、島根県に現存する「ランズボローメイズ匹見」のように、創始者の名を冠したが、その成功を受けて、ランズボロー迷路を模倣した非公式の巨大迷路が各地のレジャー施設内などに続々と誕生する。

秋田県内にはかつて3ヶ所の巨大迷路が存在したが、その先陣を切ったのが「AKTジャンボ迷路椿台」であった。

▼「AKTジャンボ迷路椿台」開園

1987(昭和62)年3月、河辺郡雄和町(現・秋田市雄和)の「雄和サイクリングターミナル」前に、秋田初の巨大迷路「AKTジャンボ迷路椿台」がオープン。

面積約2,800平方メートルの敷地に、秋田杉の素材を使用し、総工費3,000万円で建設。「秋田ステージ」が企画・設計し「AKT秋田テレビ 」が主催した。

東北初、立体迷路が完成
 ゴールまで1時間

AKTジャンボ迷路椿台

河辺郡雄和町の「雄和サイクリングターミナル」に建設が進んでいた立体巨大迷路が完成。きょう21日オープンする。同町の新たな観光拠点として定着、人気を集めている同サイクリングターミナルの第2次開発構想の第1弾で、全国的にブームの立体迷路がお目見えするのは東北で初めて。

完成した巨大迷路は、同ターミナル向かいの草地に建設。施設の総面積は約2,800平方メートルで、この敷地の上に合板パネルを立ててジグザグ模様に複雑な仕切りをつくる。パネルの高さは2.2メートル。入口でタイムを記録、迷路の中にある4ヶ所のチェックポイントで通過確認のスタンプを押し、ゴールするまでの時間を競う。入口と中心部の合わせて3ヶ所にやぐらがあり大まかな自分の位置が分かるようになっている。

迷路は1時間前後で抜け出られるようになっているが、万が一“お手上げ”の場合は。途中4ヶ所にある“非常脱出口”から逃げることができる。

コースはコンピュータで管理され、1カ月前後で組み替える予定。

‥‥後略‥‥

1987(昭和62)年3月21日 『秋田魁新報』より

AKTジャンボ迷路椿台AKTジャンボ迷路椿台▲1987(昭和62)年3月 新聞広告

東北初登場! AKT ジャンボ迷路 椿台
あさって
3月21日(土)AM10:00 OPEN!

春休み ドカーンと挑戦しようぜ!
脱出までなん時間?

迷い心地、満点。話題のウォーキングパズル

いったんこの迷路に入りこんでしまったら頼れるのは自分の体力と根気、そして方向感覚だ
とにかく歩かなければ出られないから、日頃マイカーに頼ってばかりの人にはピッタリの遊び

■開場時間/AM10:00〜PM4:00(日・祭日 AM9:30〜PM4:00)
■入場料金/一般 500円 小中学生 400円
■場所/雄和町サイクリングターミナル前
●主催/AKT秋田テレビ
●後援/秋田県/秋田県教育委員会/雄和町/秋田魁新報社/雄和町サイクリングターミナル
●協賛/大塚製薬
●企画製作/秋田ステージ

〈迷路の遊び方〉
この迷路はスバリ紙面迷路の立体版です。
約2.640㎡の敷地にジグザグの木製パネル仕切迷路を作り、入場者が4つのチェックポイントを通過しゴールを目指す、ニュータイプのレジャーランドです。まず入口でタイムカードを押し迷路に入り、知恵を使って次々にチェックポイントを探し、そのチェックポイントで通過証明のスタンプを押し次を目指します。めでたくゴールインしたらゴールタイムを押して、入場者の通過タイムがわかる仕組みになっています。ご家族で、グループで、恋人、友人、また一人でも楽しめる遊びです。中央の塔にはスタッフがおり、4ヶ所に非常口も設けられ、、万一お手上げの方はリタイヤもできます。
何度チャレンジしても面白いプレイゾーンです。

キャラクターショー
超人機メタルダー

1987(昭和62)年3月から放映された、東映製作の特撮テレビ番組『超人機メタルダー 』のキー局は「テレビ朝日」だが、まだ系列の「秋田朝日放送」が存在しないため、日テレ系の「ABS秋田放送」にて放映された。

AKTジャンボ迷路椿台
▲ストップウォッチとモグラ?を組み合わせたロゴ

AKTジャンボ迷路椿台

主催社である「AKT秋田テレビ」では連日CMを放映。下記YouTubeにて、当時のCM映像およびテロップCMを閲覧できる。

  • 秋田ローカルCM集(昭和編)④ - YouTube
  • 0:14 でっかく遊ぼう「ジャンボ迷路椿台」
  • 1:00 AKTジャンボ迷路情報
    ゴールデンウィーク 毎日先着100名様に特製テレフォンカードプレゼント
  • 1:33 AKTジャンボ迷路情報
    キリン株式会社主催 キリンカップ駅伝タイムトライアル参加者募集
  • 2:45 ゴールデンウィークは中央交通の増発バスで迷路に行こう

AKTジャンボ迷路椿台CM

AKTジャンボ迷路椿台CM

AKTジャンボ迷路椿台CM

 ゴールデンウィークには、中央交通による臨時直行バスが運行された。

1987(昭和62)年3月末のオープンから、11月後半の冬期休業まで、シーズン中13万人を超える入場者を記録する。

AKTジャンボ迷路椿台

▼ジャンボ迷路の移設と閉園

「AKTジャンボ迷路椿台」が開設された場所が「ミネソタ州立大学機構秋田校」の建設用地となったため、1989(平成1)年の春、サイクリングターミナルの東隣り、サイクル列車の線路内側、現在の有料市民農園「椿台スーパー農園」Aゾーンの地に迷路を移設。

移設を前にして、迷路は「AKT秋田テレビ」から雄和町に譲渡され、以降、AKTの冠が消えた「ジャンボ迷路椿台」の管理・運営は、サイクリングターミナルが担当するため、同テレビ局が主催した「AKTジャンボ迷路椿台」の時代は、オープンから2年間ということになる。

面積は初期が約2,800平方メートルに対して、約2,000平方メートルに縮小。移設に際して迷路の仕切り板を透明に変更し「向こうが見えながらも思うように進めない」というもどかしさを強調した。

「雄和サイクリングターミナル」は「日本自転車振興会 (競輪)」と県の補助を受けて1985(昭和60)年オープン。レンタルサイクルのほか、宿泊・宴会施設、レストラン、グラウンド・ゴルフ場などを備える。現在は第三セクターの「雄和振興公社」が運営。レストランの名物はジャンボおにぎり。

1995(平成7)年時点での「雄和サイクリングターミナル」内の遊具・レジャー施設は、ジャンボ迷路のほかに、変わり種自転車各種、ローラースケート、バギーバイク、ポニー乗馬、忍者屋敷、サイクル列車、オフロードゴーカート、レーザーガンゴルフなど。

雄和サイクリングターミナル
▲サイクル列車 宝くじ号

1988(昭和63)年7月、宝くじ助成金で導入された20人乗りサイクル列車は、各座席にペダルがある足こぎ列車。

AKTジャンボ迷路椿台

サイクリングターミナル前の長方形の土地が初期ジャンボ迷路の跡地。サイクリングターミナルの東側で、サイクル列車のレールに囲まれた後期ジャンボ迷路が営業中。

AKTジャンボ迷路椿台

初期ジャンボ迷路の跡地付近に「ミネソタ州立大学機構秋田校」の学生寮。後期ジャンボ迷路を囲んでいたサイクル列車のレールはすでに消えている。

1990(平成2)年に開校した「ミネソタ州立大学秋田校」は赤字の累積を理由に2003(平成15)年閉校。2004(平成16)年、その跡地に公立大学法人「国際教養大学」が開学する。

1999(平成11)年10月「ジャンボ迷路椿台」閉園。最後は無料開放された。

1987(昭和62)年の開園年に13万人を超えた入場者数は、1989(平成1)年に約3万人、閉園の前年、1998(平成10)年には約3,000人まで落ち込んでいた。

「AKTジャンボ迷路椿台」がオープンした翌月、1987(昭和62)年4月末「仁別レジャーランド」内に県内2番目の巨大迷路が開園するのだが、そのお話しはいずれまた。

1989(昭和64)年5月、由利郡(現・由利本荘市)岩城町に開園した「天鷺遊園ファミリーランド」(2008年閉園) 内に、アスレチック要素を加味した巨大迷路「巨大あまさぎ忍者迷路」がオープン。詳細は下記関連リンク先に。

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さようなら「ブックスささき」平和通りの「ヤマサストア」

ブックスささき
▲ブックスささき 2020.11

秋田駅ビル「トピコ 」2階の書店「ブックスささき」が、 令和2(2020)年10月14日をもって閉店。創業から数えて70余年の老舗であった。

ブックスささき

「ブックスささき」跡地には、隣の「ジュピター」(コーヒー豆・輸入食品他) がスペースを広げ、この(2020)12月3日リニューアルオープン。

ジュピター トピコ秋田店
▲ジュピター 秋田トピコ店(ブックスささき跡) 2020.12

「ブックスささき」の前身は秋田駅前「平和通り」で、玩具と雑誌を扱っていた「ヤマサストア」。

昭和23(1948)年、創業者の佐々木常蔵氏は秋田駅前に完成したばかりの商店街「平和通り」に「ヤマサ商会」を創業。

その時代の広告がこちら。当初は「石油ランプ」などの生活用品を売っていたようだ。

ヤマサ商会
▲昭和23(1948)年 新聞広告

戦時中から戦後にかけて、石油ランプが売れ筋商品となる。

電気が通じる以前の遺物的な照明装置である石油ランプが、この時代になぜ売れるようになったかというと、戦時下そして終戦から数えて3年ほどのあいだは、曜日を定めて電気を止める計画停電や突然の停電が多く、電圧も不安定だったため、かつて生活必需品であった石油ランプが復活することに。

石油ランプの欠点は、ガラス製のホヤ(火屋)の内側がすぐに黒く煤けて輝度が低下すること。そのため本体から取り外したホヤを布きれで磨くことが日課になる。ホヤの口径は小さく、大人の手では入らないため、小さな手の子供がその仕事を任された。その作業中にガラスを割ってしまうことも多く、交換用のホヤも販売されていた。

ちなみに今は煤と匂いを抑えたランプ用オイルが使われている。

戦中・戦後の計画停電といえば、理髪店の定休日が月曜日になったのは、月曜日が計画停電日だったためだとか。

「ヤマサ商会」は間もなく「ヤマサストア」と名を改め、玩具・雑誌・お土産品を販売するようになる。

ヤマサストア
▲昭和29(1954)年 新聞広告

昭和29(1954)年、佐々木氏は秋田駅前の久保田町に、子供用乗り物専門店「フタバヤ」を創業。

フタバヤ
▲昭和29(1954)年 新聞広告

平和通り
▲昭和33(1958)年 平和通り

秋田県内初の全蓋式アーケードとされる、商店街をすっぽりと覆うアーケードが完成して間もない「平和通り」の、正面・北角の「ヤマサストア」店頭に浮き輪がぶら下がっている。

昭和36(1961)年、 鉄筋コンクリート2階建ての「秋田民衆駅」が誕生すると、駅舎に併設された「秋田ステーションデパート」2階に「ヤマサ玩具」と「ヤマサ雑誌コーナー」を出店。この小さな雑誌コーナーがのちに「ブックスささき」となる。

民衆駅(みんしゅうえき)とは、駅舎の建設を日本国有鉄道(国鉄)と地元が共同で行い、その代わりに商業施設を設けた駅である。
民衆駅 - Wikiwand

ヤマサ玩具
▲昭和56(1981)年頃「秋田ステーションデパート」内「ヤマサ玩具」

「ヤマサ玩具」の奥に模型・プラモデル・教材の「伊藤教材店」。同フロアには秋田駅前「金座街」で営業していた「おもちゃのミウラ」も出店していた。

秋田駅前の商店街、平和通り・銀座通り・末広町界隈の跡地に、昭和55(1980)年「イトーヨーカドー秋田店」を核テナントとする「秋田ショッピングセンター」が完成。地権者である「ヤマサストア」はその5階に「ブックスささき」を出店。

平成22(2010)年10月「イトーヨーカドー秋田店」撤退にともなう改装工事のための全館休業を前にして「秋田ショッピングセンター」内の「ブックスささき」は店を閉じる。

施設名を「フォンテAKITA」と変えてリニューアルしたビルの、かつて「ブックスささき」があった5階フロアには、香川県高松市に本店がある全国チェーン店「宮脇書店 」が営業している。

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