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2020(令和2)年6月「フォンテAKITA」7階、かつてのレストラン街に唯一残っていた飲食店「パルルやちよ」が店を閉じた。
「フォンテAKITA」とは「イトーヨーカドー」秋田店を核テナントとして、1980(昭和55)年11月にオープンした「秋田ショッピングセンター」の新名称。
さよなら「パルルやちよ」フォンテ7階、閉店惜しみ行列
秋田市中通のフォンテAKITA7階の喫茶店「パルルやちよ」が25日、閉店した。1980年のイトーヨーカドー秋田店(当時)開店時から多くの市民に親しまれた。閉店前の数日は知らせを聞いた客が訪れ、開店直後から列ができることもあった。
パルルやちよでは、パフェが人気を集めたほか、ハヤシライスなどの洋食を提供。かつて7階はレストランなどが集まっていたが、近年は徐々に店舗がなくなり、唯一の飲食店となっていた。
店の前には閉店数日前からお知らせが掲示され、経営者の健康上の理由で店を閉めることが記されていた。1970年から2013年まで近くで経営していた姉妹店「喫茶やちよ」を含め、「50年間ありがとう」とのメッセージが添えられていた。
閉店の知らせを聞いた人々が連日訪れ、開店直後には店の前に列ができる日もあった。会員制交流サイト(SNS)では「名店が姿を消す」「さみしい」「パフェおいしかったな」といった投稿が相次ぎ、閉店を惜しんだ。
‥‥後略‥‥
2020年6月27日 さきがけonTheWeb より
閉店日の夕刻、早めに営業を終えたため、最後の晩餐が叶わず、灯りの消えた店内を眺めて、別れを惜しむ人たちを見かけた。
▲2020.06 閉店の日
▲2020.06 閉店の日
▲2020.06
閉店のお知らせ
50年間一緒にいてくれてありがとう!
いつもバルルやちよをご利用いただき
ありがとうございます。まことに勝手ながら
6月25日(木)をもちまして閉店することになりました。日々皆様より頂く温かいお言葉に励まされ、
50年という長い間続けて参りましたが、
この度、健康上の理由により、
フライパンを置くことにしました。皆様にはオープン以来のご愛顧、
心より感謝するとともに御礼申し上げます。パルルやちよ
「パルルやちよ」のルーツは終戦後の秋田駅前に自然発生したヤミ市にある。
初代経営者の住吉さんは、戦後混乱期のヤミ市から始まった飲食店が“千代に八千代に”末永く繁栄するようにと「八千代」と命名。
戦後の復興が進み、秋田駅前に商店街が形成されると「八千代」は末広町に店を構える。
▲1958(昭和33)年
昭和30年頃から「ニッカウヰスキー」のフランチャイズチェーンに加入、ニッカバーとなる。
寿屋(現・サントリー)のトリスバーおよびサントリーバーを手始めに、昭和30年代には「ニッカウヰスキー」のニッカバー、「三楽オーシャン」(現・メルシャン) のオーシャンバー、等々、各洋酒メーカーが競い合って、各地に自社製品の販促を兼ねた系列バーを展開。
安価なハイボールを主力商品とする、庶民的な洋酒メーカー系列バーの軒数は、昭和30年代のピーク時には全国に35,000軒ほど存在したといわれる。
やがてバー「ヤチヨ」は閉店、その店名を残すことを条件に、二代目の経営者に引き継がれ喫茶店に。
さらにその喫茶「やちよ」を引き継いだのが、のちに「パルルやちよ」の女性オーナー・シェフとなる藤田さん。
1970(昭和45)年、秋田駅前・青木ビル2階に支店「コーヒーの店 やちよ」をオープン。同店は御主人がマスターを務め、のちに「やちよ本店」を名乗る。詳細は文末の関連記事リンク先に。
▲2013.06 やちよ本店
▲1983(昭和58)年
オープン当初の一番人気商品は自家製レアチーズケーキ。
▲マッチラベル 80年代
バブル経済期の初めにあたる1986(昭和61)年6月。秋田市広面の大学病院通りに3店目のチェーン店、カジュアル・レストラン「Yachiyo’s」オープン。
▲1986(昭和61)年
今、風向きがかわった。地中海の風、白い館・・・
広面大学病院通りに
CASUAL RESTAURANT
Yachiyo’s
本日6月28日OPENごあいさつ
初夏の候、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
‥‥中略‥‥
ファッショナブルな白い館、シンプルでおちついた店内、アイデアをもり込んだメニューアイテム、洒落たカクテル、優れ者のスタッフが皆様との出逢いを、心からお待ちいたしております。
昭和61(1986)年6月
閉店時期不明、今は建物も存在しない。
▲glad to see you(あなたに会えてよかった)やちよ
▲2010.12
▲2013.06
▲2017.09
▲2019.06
▲2020.06
▲2020.06
▲2020.06
▲2020.06
▲2020.06
▲2020.06 女性オーナーの店らしい可憐な店頭ディスプレー
▲2020.06
▲2020.06
▲2020.06
▲2020.07
▲2020.07
▲2020.07
▲2020.07 店内に電話ボックス
▲2020.09
▲2020.09
▲2020.09
▲2020.09
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今回はイトーヨーカドーを核テナントとして、1980(昭和55)年11月に誕生した「秋田ショッピングセンター」(現・フォンテAKITA) 7階フロアの初期と昨今の比較を。
▲1984年
▲1980年 エスカレーター付近 右手に「福鳥」の看板
▲1980年 フリースペース 左手にテレフォンコーナー
過去記事で書いたように、当地の一角にかつて存在した銀座街で「たけや製パン」創業。その小さな店はやがて「たけや製パン」の売店となり「秋田ショッピングセンター」が完成するとレストラン街で「そば処 関所」と地階にベーカリー「レアルたけや」を開業する。
「たけや製パン」の二代目社屋兼工場があったのは、創業の地・銀座街から西側に徒歩3分ほどの場所(現・ニュー金座街ビル)。秋田駅裏の楢山館ノ越に社屋兼工場が移転すると、その跡地に同社がレストラン「ニューたけや」をオープンする。
しゃぶしゃぶ すき焼 天ぷら「煌」(あかり) は、上掲広告のコピーに「ゴージャストなムード」とあるように内装に力を入れ、店内に11トンの大理石を使った総大理石の豪勢なトイレがあって、ちょっとした話題になった。
▲80年代・洋食「クラム」マッチラベル裏面
秋田駅前で「浅利旅館」「浅利食堂」「浅利バナナ問屋」(浅利商店) などをやっていた浅利家が経営した、洋食屋「クラム」は「ダイエー秋田店」(秋田ニューシティ) 5階のレストラン街にも同名のレストランを出店。川反方面でクラブや割烹も展開した。割烹「旭川」も「秋田ニューシティ」5階に入居している。
秋田駅前・末広町にあったのが中華料理の名店「豊来軒」。特に麻婆豆腐が絶品だったが、7Fレストラン街に「ほうらい軒」と名を変えて入居したあとは敷居が高くなり、ほんの数回しか入店しなかった。
1991(平成3)年3月「ほうらい軒」の調理場から出火し、約1時間後に鎮火。換気口から吹き出した煙が7階フロアに充満し、買い物客約1500人、従業員約400人がビル外に避難、あたりは一時騒然となる。
7階フロア以外になるが、銀座街と末広町との角地にあった伝説的な駅前食堂「まんぷく食堂」(井川商事) は「秋田ショッピングセンター 」地階のフードコートでカレー&そば・うどんの「まんぷく」を営業後、一旦廃業するが、のちに御子息が秋田駅前の中通四丁目13-15に新店舗を建て「まんぷく食堂」を復活、2000(平成12)年閉店する。
駅前商店街から「秋田ショッピングセンター」までの変遷、レストラン「ニューたけや」のことなどは文末の関連リンク先を参照のこと。
▲2010.02 ファミール・芝のらーめん屋さん
「イトーヨーカドー」100%出資のファミレス「ファミール」の隣、初期は「ベルネージュ すずむら」があった隣接店舗に、90年代初頭、株式会社「ファミール」が「芝のらーめん屋さん」を出店。両店は調理場を挟んでつながっていた。
2019(平成31)年5月、全国の「ファミール」と「「芝のらーめん屋さん」全店舗が閉店。
▲2010.02 ファミール
▲2010.02 芝のらーめん屋さん
2020(令和2)年 6月、7階フロアに唯一残っていたパーラー「パルルやちよ」が閉店したことで飲食店が消滅、約40年におよぶレストラン街としての歴史に幕を下ろす。
▲2010.12 パルルやちよ
「パルルやちよ」については長くなるのでまた後日に。
現在の各テナントについては文末のリンク先を参照のこと。
▲2022.02 正面にファミール跡
▲2020.11 インターフェイス
▲2022.02 エスカレーター付近 右手にインターフェイス
▲2022.03 秋田カルチャースクール
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「イトーヨーカドー」秋田店(現・フォンテAKITA)7階レストラン街にかつて存在した、カレーショップ「かまくら」のマッチ箱。
80年代のものと思われ、ラベルの状態は良好だが、湿気でマッチ棒の頭薬がボロボロになっている。
ラベルの表面・側面・裏面をつなげると、こんなデザインに。
CURRY SHOP かまくら
秋田駅前イトーヨーカ堂7F
AM10時〜PM9時30分 定休日 火曜日昭和44年からカレー一筋という『かまくら』。秋田駅前にまだヨーカ堂もミスタードーナツ店もなかった時代から多くの人々に親しまれてきたカレー屋さんである。当時はカレー一杯が150円。手軽に食べられて栄養満点!というコトで店には学生など若者が一杯。「おいしければそれだけでやっていける。だからカレーだけのメニューで昔からがんばっています。」とはご主人の信太さんの弁。開店当時からの常連さんも数多いとのことだ。
味の秘密は約8種類のスパイスを用いたルゥー。そのルゥーをじっくり寝かせ特製のスープでのばしたこのカレーの調理法は20年来、がんこに貫き通されている。お米の質がいいのもこの店の特徴。
時代の流れで店内の雰囲気もずい分お洒落に変身したが、ここは秋田カレーの発祥の場といえる。
月刊『あきたタウン情報』1988年3月号より
入ってすぐ右手のカウンター席奥の調理場に立つお二人の姿がなつかしい。
秋田駅の真正面、南角地にあった老舗米穀店「信太米店」(現・信太駅前米店) の裏手、中央通りに面した場所に、1969(昭和44)年、同米店の親族である信太氏が経営するカレーショップ「かまくら」がオープンする。おそらくこれが秋田初のカレー専門店だろう。
カレー150円という創業当時の値段は、1969(昭和44)年の並ラーメンが80円ほどなので、特に安いわけではないが、記事にあるように主に若者が集まる人気店で、身内が米屋だけあってご飯がうまかった。
カレーショップ「かまくら」が創業した秋田駅前南地区商店街の跡地に「イトーヨーカドー」秋田店を核テナントとする「秋田ショッピングセンター」(現・フォンテAKITA) がオープンすると、同店は、7階のレストラン街に地権者として入居。
CURRY SHOP かまくら
開店以来継ぎ足している
コクのあるルーが自慢のお店昭和44年に開店してから約33年目という、カレー店の草分け的存在。このお店の「ドライカレー」は、ご飯と一緒に炒めるのではなく、ご飯の上に乗せるという独特のもの。ニンジンやタマネギなどの野菜や挽き肉などを加えたカレーのルーを、水分が飛ぶほど長い時間炒めているので、野菜の甘みが際だっている。
開店以来継ぎ足し続けているカレールーは、仕込んだ後さらにスープを加えて伸ばすという2段階の製法。そのため、コクのある旨みが実感できるのだ。「チキン骨付きカレー」は、箸で崩れるぐらい煮込んでいるチキンが印象的。いずれもセットメニューで、サラダとコーヒー、コーラなどのドリンクが付く。
月刊『あきたタウン情報』1998年8月号より
この時代、もっぱら食べたのがサラダとコーラがセットになったドライカレー。トッピングされたドライレーズンがアクセントとなった味わい深いドライカレーとコーラの相性が抜群だった。
▲2004.01
ショーウインドウに「都合により午後三時で閉店・・・」の貼り紙があるが、御主人が体調を崩されたとかで、このあとまもなく店を閉じてしまう。
かつては15店ほどの飲食店が入居していた7階のレストラン街も、2020年6月、同フロアに唯一残っていたパーラー「パルルやちよ」が閉店したことで飲食店が消滅、約40年におよぶレストラン街としての歴史に幕を下ろす。
秋田駅前南地区商店街から「秋田ショッピングセンター」までの変遷、「パルルやちよ」の姉妹店「喫茶やちよ本店」のことなどは下記関連記事に。
「パルルやちよ」や、7階のレストラン街の今昔についてはまた日を改めて。
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