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二〇世紀ひみつ基地

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川反「かっぱ小路」に旧料亭の土蔵出現

▲川反「かっぱ小路」今昔(1)戦前編

川反 かっぱ小路
▲ 川反「かっぱ小路」2010.12

秋田市大町五丁目、旧町名・秋田市川反(かわばた)五丁目の「かっぱ小路」突き当たり、青地に白抜きの「かっぱ小路」の看板がある建物に、かつて「かっぱ」という名の酒場があった。この店名が「かっぱ小路」の由来。

酒場「かっぱ」の女主人、そして「かっぱ小路」の大家で、  “かっぱの母さん” と慕われた中野ヨ子(よね)さんが亡くなられたのは、今(2021)から10数年前。

中野さんの住居でもあった旧「かっぱ」の、長らく空き家となっていた建物を、同小路内で30年近くバーを営む方が購入。リノベーション(改修)工事も終盤にさしかかり、見違えるほど小綺麗に変身した。

川反 かっぱ小路 土蔵▲2021.4

川反 かっぱ小路 土蔵

リノベーションにともない、屋内に隠されていた、明治期の建造と思われる土蔵(内蔵)が日の目を見ることに。

川反 かっぱ小路 土蔵

川反 かっぱ小路 土蔵

川反 かっぱ小路 土蔵

川反 かっぱ小路 土蔵

川反 かっぱ小路 土蔵

川反 かっぱ小路 土蔵

川反 かっぱ小路 土蔵

川反 かっぱ小路 土蔵

川反 かっぱ小路 土蔵

「かっぱ小路」の場所に、かつて「中野亭」という料理屋(料亭)が存在した。

今回姿を現した土蔵は、その「中野亭」の遺構。明治後半から大正にかけて繁栄を極めた花街・川反の全盛時代のおもかげを今に伝える、貴重な文化遺産。

戦後になって旧「中野亭」敷地の一角に開業した、酒場「かっぱ」の時代は、土蔵前に仕切り壁を設け、その前方空間を店舗としていたため、土蔵の存在を知るものはごくわずかだった。

「中野亭」の開業時期は不明だが、1901(明治34)年発行の案内記に「川反三丁目 料理屋 中野亭」の名が見え、1903(明治36)年10月発行の案内記でも、住所を川反三丁目としている。当初は三丁目で開業したものだろう。

下掲画像のように、1905(明治38)年には現在地の川反五丁目に移転している。

川反 中野亭
▲1905(明治38)年『秋田市明細案内』より

「中野亭」の家印(屋号)は“山形に土”。

同町内の「御料理てんぷら 菊もと (菊本)」 は川反四丁目に移転し戦後も継続。「秋田名産菓子調進 開運堂」については文末の関連記事リンク先を参照のこと。

川反 中野亭
▲左・1916(大正5)年 右・1924(大正13)年 書籍広告

川反 かっぱ小路 土蔵
▲「中野亭」の屋根を飾っていたと思われる鬼瓦

中野亭 大福帳
▲「中野亭」の大福帳(管理帳簿)

中野亭 電話看板
▲「中野亭」電話番号 掛け看板

上掲画像、漆で黒地に金文字を描いた掛け看板は、玄関先か電話室にでも掛けられていたものか、電話の「話」中野亭の「野」の文字が特徴的で面白い。製作年代は大正期と推定。

終戦後、旧「中野亭」敷地の一角に開業した、酒場「かっぱ」の、初期電話番号は「2239」、「中野亭」の電話番号「二三九」が、下3桁にそのまま継承されている。

故・中野ヨ子(よね)さんの証言によれば「かっぱ小路」の北隣「あたりやパチンコ店」跡に建つ「アイパレスビル」も「中野亭」の敷地であったとのこと。

川反 かっぱ小路

川反 五丁目小路
▲川反五丁目小路 2005.10

「中野亭」の土蔵が残されていることを知ったのは、今から10数年前。

「かっぱ小路」南側に隣接する「川反五丁目小路」の長屋ビル(上掲画像「レモン」の看板がある建物)が解体され、脇に枝垂れ桜が植えられた、土蔵の側面があらわになった。

川反 かっぱ小路 土蔵
▲五丁目小路から「中野亭」の土蔵と枝垂れ桜 リノベーション前 2019.4

川反 かっぱ小路 土蔵
▲リノベーション前 2015.5

上掲画像、右手に少し見えるベージュ色の建物は居住スペース。

川反 かっぱ小路 土蔵
▲「中野亭」土蔵背面 リノベーション前 2015.5

川反 かっぱ小路▲2004.3

上掲画像を撮影した時点では、この奥に「中野亭」の土蔵が隠されているなんて思いもよらなかった。

ちなみに、土蔵をリノベーションした店は、近々オープンする予定だが、具体的な日時はまだ決まっていないという。 

川反 かっぱ小路▲2021.5

突き当たりに掲示されていた「かっぱ小路」の看板は、リノベーションにともない、小路の正面に架け替えられている。

次回は「かっぱ小路」の戦後編を。

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風見鶏型NTT洞道換気塔・秋田市民市場通り

▼秋田市内のNTT洞道換気塔(2)

NTT換気塔▲2020.10

紙屋小路にNTT洞道(とうどう)換気塔が建設された約10年後、電電公社が民営化されてNTTとなった昭和60(1985)年に設置された、風見鶏型の換気塔。

NTT洞道換気塔とは、前回の記事「紙屋小路のNTT洞道換気塔・大町四丁目小路」で解説したように、通信ケーブルが収納された洞道と呼ばれる地下深くにあるトンネル内で、保守・点検に携わる作業員を、酸欠事故から守る安全装置のひとつ。

市民市場通りと南大通りが交差する中通六丁目交差点に近い、和楽器の「梅屋」前、市道沿いの歩道に建つ当物件は、紙屋小路の換気塔とは換気方式が異なり、近づいても換気音(モーター音)は聞こえない。

NTTは当初、紙屋小路の換気塔のような実用性を重視したものを建てるつもりで、市に道路占用許可を申請するも、美観上好ましくないとの注文がついたため、風見鶏を換気塔に乗せたデザインに変更。

南大通り(旧・南通り)の拡幅工事にともない、交差する中通六丁目交差点から北側の歩道も、景観を考慮したカラーブロックで舗装されたため、配色もそれに合わせている。

本来の風見鶏(風向計)のように、鶏の部分を可動式にする予定だったが、近くに建造物や電柱があり、この高さでは風が当たらないため固定式にした。

ちなみにE・W・S・Nの方位はデタラメ。

NTT換気塔▲換気塔から「NTT東日本秋田支店」の無線鉄塔を望む 2020.10

秋田市民市場通りの洞道の規模・位置などに関する情報は、非公開なため不明だが、昭和59(1984)年に「秋田電報電話局中通局」(現・NTT東日本秋田支店) の新棟を増設しているので、その増設工事に合わせて局舎の地下から換気塔のあたりまで洞道が造成されたのだろう。

NTT換気塔
▲2011.10

換気塔の隣りに建つ電柱に、地下から延びる通信ケーブルが見える。

平成19(2007)年度から平成23(2011)年度にかけて、中通六丁目交差点から広小路交差点まで、電線類地中化工事が行われたため、上掲画像の電柱は撤去された。

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紙屋小路のNTT洞道換気塔・大町四丁目小路

▼秋田市内のNTT洞道換気塔(1)

NTT換気塔
▲紙屋小路 2020.01

秋田市の中心部を流れる旭川に架かる四丁目橋から寺町を突き抜け、新国道に到る四丁目小路のうち、南側に「那波伊四郎商店」の土蔵と本社事務所、北側に明治の町家建築「那波紙店」(那波伊四郎商店) がある、いにしえの面影を残す区画を、自分は“紙屋小路”と呼んでいる。

NTT換気塔▲紙屋小路 2020.01

その紙屋小路(四丁目小路)の「那波伊四郎商店」前の市道上に、電柱のような物体が建ち、頭頂部にある箱に換気扇が収納されているのか、近づくとゴーゴーと、換気音らしき大きめの物音がする。その音は常に鳴っているわけではなく、柱には所有者を記したプレート類は見当たらない。

NTT換気塔▲2020.01

この謎物件の正体は、「日本電信電話公社」(現NTT) が、昭和50年代初頭に設置した地下トンネルに通じる換気塔。

通信ケーブルが収納された洞道(とうどう)と呼ばれる地下トンネル内で、保守・点検に携わる作業員を、酸欠事故から守る安全装置のひとつだ。

昭和50年代初頭、固定電話の加入率は右肩上がりをつづけていたが、秋田市大町三丁目に存在した「秋田電報電話局」の敷地は狭く、電話交換機を増設するスペースが少なくなったため、大町四丁目(旧・豊島町)の「秋田電報局」跡地に「秋田電報電話局大町分局」を新設し、急増する電話加入申込みに対応することに。

NTT秋田▲NTT秋田大町ビル(旧・秋田電報電話局大町分局)2019.10

昭和51(1976)年「秋田電報電話局大町分局」竣工。旭川を境とした西側一帯、最大1万2千台の加入電話をカバーする。

当地は「秋田電報局」跡地。戦前までさかのぼれば、山王に移転する前の「旭北小学校」がここにあった。

「秋田電報電話局大町分局」の建設に合わせて、通信ケーブルを収納する地下トンネルである洞道(とうどう)の開削工事および、洞道と連結する主要管路埋設工事が、昭和50(1975)年秋から翌51年初夏にかけて、周辺の道路を一般車両通行止めにして行われた。

「秋田電報電話局大町分局」地下と直結する洞道の延長は、局舎から「那波紙店」付近までの86メートル。地下9.7メートルの位置に、高さ4.4メートル、幅5メートルの洞道が設けられた。

洞道の位置は公表されていないが、「秋田電報電話局大町分局」から紙屋小路の換気塔まで約86メートルあるので、換気塔の位置が洞道の終端と思われる。

洞道から先のケーブルは、主要管路という地下ケーブル管を通り、さらに細い地下配線管路を経由し、電柱から架空ケーブルで、ビルや各家庭へと引き込まれる。

NTT通信ケーブル

NTTの洞道の役割、構造などについては文末の関連リンクを参照のこと。

次回は秋田市内にある、もうひとつのNTT洞道換気塔のお話しを。

那波紙店
▲「那波紙店」前から右手に紙屋小路の換気塔を望む 2020.11

NTT換気塔
▲紙屋小路から「NTTドコモ秋田ビル」 2020.11

秋田市大町三丁目の「秋田電報電話局」跡に建つ「NTTドコモ秋田ビル」。その北隣の広い駐車場が「秋田郵便局」跡地。左手前角地の駐車場が「加賀正呉服店」跡地。

四丁目小路

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在りし日の「お菓子のくらたビル」2階パーラー

1980年頃の仲小路「お菓子のくらたビル」(お菓子のくらた秋田店) 店内の様子がTwitterに投稿されていたので、今回はまずそれを紹介し、そのあとに同ビルの現状などを付記する。

飲食業界誌のグラビアページに掲載されたとおぼしき記事のタイトルは「お菓子のくらた 物販で1日60万円、パーラー部門で1日10万円を売る繁盛店」。

向かいにあった「秋田赤十字病院」の職員や見舞客らでにぎわった「くらたビル」2階のパーラーと、1階の洋・和菓子物販フロアなどが掲載されている。もしかして“あの頃”のあなたが写っているかも。

当ブログの過去記事から関連部分を引用。

1970(昭和45)年4月、湯沢市の老舗菓子店「くらた」が仲小路に秋田店を開設。

1977(昭和52)年10月「お菓子のくらたビル」オープン。
一階・菓子店舗、二階・パーラー、三階・洋菓子工場、四階・パン工場、五階・社員寮。

新たにパン・デニッシュ・ドーナツの製造販売を初め、二階にパーラーを新設。

北・西方向に大きく開いたガラス張りのパーラーは、焼きたてのパン類、抹茶・玉露に和菓子のセットやランチも提供し、主に女性客でにぎわっていた。

「お菓子のくらたビル」に「竹半スポーツ」移転 より

お菓子のくらた・フランスパン
▲1982年 雑誌広告

同ビル4階のパン工場で焼かれていたフランスパンの眼を惹く広告。県内で初めてフランス・ボンガード社製のフランスパン専用オーブンを導入して焼き上げたとのこと。

お菓子のくらた・竹半スポーツ
▲2015.01

1998年「秋田赤十字病院」が秋田市上北手に移転。以降、売上げが激減、パーラーも一時閉鎖。隣に明徳館ビルがオープンした機会に再開するが長続きせず。

2012年7月、婦人会館・日赤跡地に「エリアなかいち」がオープンするも、期待した売上げは微増にとどまり、開店から約44年、2014年2月に閉店する。

現在(2015.01)お菓子の「くらた」は、県内で11店舗を経営、その内、秋田市内に4店舗がある。

「お菓子のくらたビル」に「竹半スポーツ」移転 より

お菓子のくらたビル
▲2021.02

屋上の大型看板は最近になって撤去された。

2015年に「サン・パティオ大町」から「くらたビル」に移転した「竹半スポーツ」は、アトリオン地下1階を経て、保戸野小学校近く、菊谷小路の文具店「のてや」(2019年7月廃業) 旧店舗に移転。

くらたビル
▲2020.08

2021年3月現在、同ビル1・2階には、フェイシャルエステティック「ウインズ秋田サロン」が入居している。

| 昭和・平成ノスタルヂア・秋田 | 08:00 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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